日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

 日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2016年10月20日

2016-10-20 12:30:45 | 日記
 日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2016年10月20日
【第68回ロシア語能力検定公開試験】1、2,3,4級で20名の受験者で行われました。[写真 下左]

【ぺあせろべ2016に参加します。】
日時 2016年10月30日日曜日 10時開催 16時終了
場所 広島市中区基町中央公園 参加出来るかたは当日9時に現地にお集まり下さい。
(詳しくは同封の案内チラシをご覧下さい。)

【2016留学生会館祭に参加します。】
日時 2016年11月6日日曜日 出店:11時開催 15時終了
場所 広島市留学生会館2階ホール(広島市南町西荒神町1-1) 
参加出来るかたは当日10時に現地にお集まり下さい。

【国際交流・協力の日2016に参加します。】
日時 2016年11月20日日曜日 10時開催 16時終了
場所 広島市中区中島町 広島平和記念公演内 広島国際会議場内外
参加出来るかたは当日9時に現地にお集まり下さい。

【学習会・講演会のご案内】
①広瀬隆講演会 島根原発再稼働を止める!
―広島の私たちにできることー
日時:2016年10月23日(日)14:00~16:30
場所:広島弁護士会館ホール
資料代:500円

②第2回ヒロセミ講座 
日時 2016年10月29日日曜日 13時30分~16時30分
場所 広島市留学生会館2階大ホール(広島市南町西荒神町1-1)
内容
星 正治さん(内部被曝現地実験)
野崇 義博さん(現地での医療支援)
夏季スタディツアー参加者報告
主催 ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト 電話 0822741634


【ハバロフスク旅行に参加された佐々木富貴子さんの感想文】ハバロフスク旅行に参加された佐々木富貴子さんの感想文が、神奈川県日本ユーラシア協会の機関誌に載る事になりました。(2回に分けて掲載します。今回は第2回目。)

午後からアムール河にかかるアムール鉄橋をわたり、肥沃な土地のダーチャ村に行く。ダーチャはロシアの菜園付き別荘のことで、日本の別荘と異なる。ロシア国民の6割ぐらいの人がダーチャをもっており、週末になると、都会から来て農作業をしたり宿泊したりして楽しんでいるそうだ。私たちが農作業を体験するための家に着くと、カラフルな色の建物があった。畑にはビーツやピーマン,沢山の野菜、木の実、ブドウなど植えられており,広大な農園だった。ジャムはここでとれたブルーベリーやラズベリーを使ってつくったという。とても美味しい自然の味だった。
女主人はクラキーナ・リュウドミラさんで国後(クナシリ)の生まれという。夫は元パイロット、女主人の友達はニーナという。私たちといっしょに行動し通訳をしてくれたデムチェック・エカテリーナさんは若くて美しく、日本人以上に正しい日本語が話せる人だった。日本人は4人でここに2泊し、サウナ(ロシアではバーチャという)に入ったり、美味しい料理をごちそうになったり、雑草の刈り取りを手伝ったりした。土地は肥沃な上,化学肥料も消毒剤もなしで育てていた。
ごちそうをいただきながら楽しく会話した。彼女達はロシアの社会について「年金だけでは生活できない」とか「子供への助成が3年後には減額されるので困っている」など、まるで日本での会話かと思うほど共通の話題があった。私は今年の原水禁世界大会で確認された“核兵器廃絶国際署名”を出してお願いしたら、快くサインしてくれた。ロシアに来てロシア人の4人分の署名が集まった。ユーラシア協会本部が発行した『日本国憲法九条を世界に普及しよう!』のパンフをお礼に差し上げると、ニーナさんはロシア語で読み上げ皆で平和の大切さを話し合った。
呉からいっしょに行った村田さんが日本から持って行った小麦粉と酵母菌を混ぜてパン生地をつくり、一晩ねかせて次の日朝みるとふっくらとふくれたパン生地を厚手の鍋で焼き、ロシアの人を喜ばせた。良い食文化交流になった。
12日午前
ダーチャ組合長さんを表敬訪問した。この組織は1966年ハバロフスクの組合として発足した。安全な食糧の自給を目的としているという。
その後、日露親善協会のゾーヤ理事長さんや多数の会員さんもかけつけてくださり、親しくあいさつを交わし、おいしいクッキーや紅茶をごちそうになる。ゾーヤさんは日露間の「平和と友好」のため長年功労されている方と聞いている。
12日午後 自由行動
ハバロフスク駅も立派だった。駅前にはハバロフという人物の銅像が立っていた。この駅を入場券なしで構内に入れてしばらくプラットホームの見える椅子にすわり、構内をながめた。
ここはシベリア鉄道が30~50台ぐらいの貨車を連ねて通る駅。列車がくるのを2~3回みた。客車はなかった。シベリア鉄道はウラジオストクからモスクワまで走る鉄道で、1891年に建設開始し、当時露仏同盟を結んでいたフランス資本の援助をうけながら25年かけて完成された。
3年前にこの鉄道でバイカル湖まで行ったのよと友人に話した。「フーン」とうなづいていた。
13日午前
オケアンキャンプに行く。オケアンOKEAHは英語にするとOCEAN・・「大洋」という意味だ。ソ連時代からの歴史あるキャンプ場との事。夏の21日間300人の子どもたちが両親から離れてキャンプ生活をしながら社会生活を養っていくための学校といえる。みんなどの子ものびのびして明るい感じがした。施設長はロシア人の女性、タチヤーナさん、堂々としている。私たちは日本人のゲストとして迎えてもらい、私は鶴の折り方を日本で勉強してここで教えた。 皆んな一生懸命知ろうとしていた。 馬にニンジンを与えるのがうまくできず教えてもらっている人がいる。
緑いっぱいのオケアン構内は広く、馬がいたり、出入口のそばにはアヒルやにわとり、うさぎなども飼っていた。
13日午後
ホテルの近くからタクシーでアムール河の遊覧船の船着き場に行った。遊覧船は日本円で
8000円だ。高いと思ったが乗るのも思い出になるからと思い決心した。
船の中ではロシア人の何かの団体がパーティーをして楽しくダンスをしていた。日本人の私たちにもいっしょに踊ろうと誘いに来られ、他国の人を親しく誘うロシア人のこだわりのなさに感激した。
夕方のお別れパーティーには、こじんまりとしたレストランに入り、食事をしているとロシア民謡をうたう楽団が来て歌や曲を聞かせてくれた。「カチューシャ」や「百万本のバラ」の曲も歌われ,心があたたかくなった。
14日
ハバロフスク空港の近くの日本人墓地に花をたむけて、お参りをして空港に向かった。
朝は10時ホテルを出発し,夕方は17時すぎには帰るというゆっくりとしたスケジュールで身も心もゆったりできて良かったです。

【文集 宙(おおぞら)第30号(2014年度)】中村さんの作品紹介 第4回は次号以降に。

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