日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2017年12月28日

2017-12-28 23:45:54 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2017年12月28日
【日本ユーラシア協会広島県支部連合会理事会を開催しました】
12月6日水曜日13時30分  広島市留学生会館
議題
  ① ブロック会議  日時 2月3日土曜日午後 場所 ビューポートくれ 内容 本部、福岡県連と調整中
  ② 全国総会 2018年3月24日25日 茨城県水戸市内 交通手段  飛行機、レンタカーも検討する。
  ③ 広島県連総会   日時  4月7日土曜日    場所 阿賀まちづくりセンター (1月に申し込み可能)
  ④ ロシア語講習会  12月16日土曜日 呉市役所1階    その後休会  
  ⑤ 広島うたごえ協議会との連携  「うたごえ新聞」、「日本とユーラシア」の購読について
  ⑥ ユーラシア旅行  2018年7月頃 ウズベキスタン・カザフスタン(アルマトイ)・キリギスタン旅行
  ⑧ 核兵器全面禁止のアピール署名 、3000万署名
  ⑧ 会員拡大  秋に6人が新入会   
⑨黒瀬町村田さん工房見学 ⑩その他  名刺広告 甘夏のジャム作り
  ⑪ 第4回県連理事会  2月23日 11時   場所 ビューポートくれ

【12/8 植村隆さん講演会が開かれました。】
演題「日本軍『慰安婦』問題と日本の戦争責任~植村バッシングとは~」
講師 韓国カトリック大学客員教授・元朝日新聞記者 植村隆さん

 山谷哲夫監督が映画「沖縄のハルモニー証言・従軍慰安婦」(1979年)で描き、中曽根康弘衆議院議員(当時)が「終わりなき海軍」(1978年文化放送)の中で、「二十三歳で三千人の総指揮官」の題で「「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」と記述し、沖縄県平和祈念資料館資料、あるいは、 河野内閣官房長官野談話(1993年)で「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」と述べられた「従軍慰安婦問題」を真っ向から否定する潮流で行われたのが2014年からの「植村バッシング」でした。ちなみに「終わりなき海軍」には、徳永正利さんの呉海兵団、土田国保さんの空母「雲鷹」についてなど率直な投稿がある。「12/8不戦の誓いヒロシマ集会」で標記講演が行われて植村さん自身からその経緯と真相を聴くことが出来ました。

【 カザフスタン・アウエゾフ記念国立アカデミー劇団日本公演「アクタス村の阿彦~カザフ人になった日本人~」】




12月21日の東京公演に先立つ19日のカザフスタン共和国独立26周年式典会場でこの演劇の主人公となった阿彦哲朗さんとお話した。「こんにちは」と話しかけると付き添いの人から「耳が遠くなっているから、大声で話してください。」と教えて戴いた。穏和な表情で、1930年生まれの年齢にも拘わらず姿勢が正しいとの印象だった。横に座っている女性が阿彦さんの娘さんだった。「私は初めて父の国日本に来ました。父は日本語を少し忘れているみたいですよ。」 赤坂区民センターでの公演では、エルラン・ビラロフ団長から原案のヌルラン・ドラトベコフさん、脚本のマディナ・オマロワさんの紹介があった。
主役阿彦さん役を演ずるドルガ・アクモルダさんの迫力に圧倒された。言葉はカザフ語だったがレシーバーで日本語の台詞を聞いた。時々ロシア語音声が混じり、またフィルムが映し出された。
ストーリーは
「第一部サハリン:1946年終戦時のサハリン。ソ連の支配下になった南サハリンと千島地域で日本人の引き揚げが始まります。混乱の中、15歳のアヒコは父、母、兄弟とはぐれてしまいます。ひとりぼっちで海岸で両親の迎えを待つ毎日。しかし、寒さのあまり日本軍が残した軍服を着ていたことでスパイ容疑をかけられ逮捕されてしまいます。厳しい尋問では、真実は聞き入れられず、スパイとしてカルラグ収容所に送られます。
第二部カルラグ収容所:カルラグ収容所は死が迫りくる場所。毎日重労働から戻ると、服もなく、骨だけになった病人たちをみる日々。収容所の中では殺人を繰り返す狂気の元画家ステパン、祈り続ける老人、詩人の若者アホメットたちと出会います。そのほか、ソ連から先祖代々の草原を守ろうとして捕らえられたり、友人の密告によって逮捕された多くのカザフ人たちがいました。
第三部二つの祖国:病気や衰弱でカルラグ収容所を追われた人たちには死が待っていました。阿彦も25歳で24キロと痩せ、瀕死の状態で倒れていた時、カザフ人の女性(アクタマク)とドイツ人の両親をソ連軍に殺されアクタマクに救われた娘(カティア)に助けられます。アクタマクは偶然にも収容所で無実の罪で処刑された詩人アホメットの母でした。収容所で心を通わせたアホメットから託された手紙を彼女に渡します。アヒコがカザフの母となったアクタマクのもとで落ち着いた暮らしを取り戻しつつあったある日、突然日本の父から手紙が届きます。カルラグ収容所で一緒に働いた日本人抑留者が帰国し、アヒコの生存を伝えたのでした。母は息子の帰りを待ちわびながらすでに亡<なっていたことも書かれていました。悲しむカティアを振り切って日本帰国を果たしたアヒコは父と兄弟に再会し、大歓迎に驚く英雄のようでした。しかし、アヒコは日本への永住帰国を選びませんでした。過酷な運命がつないだカザフスタンでの人生。苦しいときに光をくれた温かい人々、雄大な大地。日本とともにもうひとつの祖国となったカザフスタンに帰ることを決めました。その後、妻となるカテイアとカザフの母が待つ「故郷」へ戻ってきます。」
 阿彦さんの体験・実話とは微妙に違いのある演劇でしたが、ミュージカル風に仕上げられていて、観客の感動を呼ぶものとなっていました。[1枚目の写真の中央が阿彦さん。]

【日本ユーラシア協会呉支部より】 呉でウクライナ料理教室


呉支部主催のウクライナ料理教室は、11月26日(日)、呉市阿賀まちづくりセンター調理室で開催された。講師は広島市在住のウクライナ人音楽家のホンチャリック・ナタリヤさん。参加は講師も含め、男性4人女性13人、合わせて17人であった。
 みかんと無農薬レモンは前日、呉支部会員の経営する豊島の農園で収穫したものを持参した。料理は「Котлета по-Ки.вськиキエフカツレツのみかんソースとじゃがいもクリームクロケツ」、「Гетьманська Юшка ヘットマンスカ ユーシカ」、「Цукерки зБряка ツーケルケ ズ ブリャカ」の3品。名前からして手の込んだ料理の印象を受けたが、実際に午前10時から始めて午後2時までかかってしまった。受講生にとって、これらの調理は初めてのようであった。レストランで食べたことのあるキエフカツレツも作るのは初めてだ。鶏胸肉1枚を包丁で開いて肉たたきで叩き、バターを載せて包み、衣をつけて油で揚げ、さらにオーブンで焼く。これはパン粉を2回つけるのがコツだ。ツーケルケ ズ ブリャカは、ビーツ、カシュナッツ、プルーンをペースト状にしたものをチョコレートで覆ったお菓子であり、ヘットマンスカ ユーシカは肉、卵、人参、セロリなどのスープだった。
 ナタリヤさんは4つの調理台を回りながら、お顔を見なければ日本人と勘違いするような流暢な日本語で指導された。口と手を動かし楽しく調理し、できたウクライナ料理に舌鼓を打った。青年受講生から、「スープやクロケツ等のレシピ名から想像していた物と違う料理が出来上がり、その意外性が楽しかったです。外国の料理だけれど日本人が親しみやすい優しい味付けでした。他にどんな料理がウクライナにあるのか、さらに興味が湧きました。」 以上
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ウクライナ料理教室

2017-12-23 13:14:20 | 日記
呉でウクライナ料理教室
 呉支部主催のウクライナ料理教室は、11月26日(日)、呉市阿賀まちづくりセンター調理室で開催された。講師は広島市在住のウクライナ人音楽家のホンチャリック・ナタリヤさん。参加は講師も含め、男性4人女性13人、合わせて17人であった。
 みかんと無農薬レモンは前日、呉支部会員の経営する豊島の農園で収穫したものを持参した。料理は「Котлета по-Київськи キエフカツレツのみかんソースとじゃがいもクリームクロケツ」、「Гетьманська Юшка ヘットマンスカ ユーシカ」、「Цукерки з Бряка ツーケルケ ズ ブリャカ」の3品。名前からして手の込んだ料理の印象を受けたが、実際に午前10時から始めて午後2時までかかってしまった。受講生にとって、これらの調理は初めてのようであった。レストランで食べたことのあるキエフカツレツも作るのは初めてだ。鶏胸肉1枚を包丁で開いて肉たたきで叩き、バターを載せて包み、衣をつけて油で揚げ、さらにオーブンで焼く。これはパン粉を2回つけるのがコツだ。ツーケルケ ズ ブリャカは、ビーツ、カシュナッツ、プルーンをペースト状にしたものをチョコレートで覆ったお菓子であり、ヘットマンスカ ユーシカは肉、卵、人参、セロリなどのスープだった。
 ナタリヤさんは4つの調理台を回りながら、お顔を見なければ日本人と勘違いするような流暢な日本語で指導された。口と手を動かし楽しく調理し、できたウクライナ料理に舌鼓を打った。
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ロシア歌謡を歌う会

2017-12-23 13:05:48 | 日記
知って楽しいロシア歌謡
ー呉で第10回ロシア歌謡を歌う会ー
 呉支部主催の「第10回ロシア歌謡を歌う会」が、12月17日(日)午後2時から、呉市中心街のガレンホールで開催され、シニアを中心に20人が大きな声で歌って楽しんだ。歌唱指導は作曲家でアコーディオン奏者の高田さん、ピアノ伴奏は若本さんであった。
 声ならしにジグーリ、すずらんなど7曲を歌った後、プレゼント曲「じゃがいも」を新しく練習して覚えた。高田さんがロシアで教えてもらったと言われるこの曲はソビエト民謡、森おくじ訳詞とあった。休憩時間には、呉で栽培されたみかんと柚子をいただき、みかんの美味しさに舌鼓を打った。後半はリクエストタイムだ。85歳、最高齢参加者Oさんは「ロシア民謡は夫との思い出」と「心さわぐ青春の歌」をリードした。毎回リクエストの多いのが「百万本のバラ」。全国の歌声喫茶でも一番多いとのことだ。これらを含めて6曲を歌い、「じゃがいも」をもう一度歌って締めくくった。
 アンケートの評価は、ほぼ全員が「大変良かった」にマル。感想には「久しぶりに声を出して楽しかった」、「戦後うたごえ喫茶で歌った曲のほとんどがロシア歌謡、その親しみやすさが当時の若者の心を捉えたのだと思う」、「ロシア歌謡がたくさんあるのに驚いた」などとあった。
 知らない曲を歌えるようになることと、ロシア語の意味を理解して歌ってみることで「ロシア歌謡を歌う会」の面白さを増しそうだ。
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ロシア・カザフ旅行報告会

2017-12-23 13:03:16 | 日記
旅での国際交流に期待
ー広島県連が旅行報告会ー
 広島県連主催のロシア・カザフ旅行報告会が、12月10日(日)午後2時から、広島市留学生会館で開催され、一般2人と協会員5人が旅の余韻を味わった。8月のヒロシマ・セミパラティンスク・プロジェクトのカザフスタン共和国「アスタナ旅行」と、10月のユーラスツアーズ企画、日本ユーラシア協会広島支部・呉支部後援のロシア「ボルガクルーズ合唱交流の旅」の様子を、スクリーンにスライドとビデオを上映して報告した。2つの旅行報告の間の休憩時間には、お土産の、アリョンカ(Алёнка)、 喜び:ナスラシジェニエ(Наслаждение) 、 ババエフのリス:ババエフスカヤベロチカ(Бабаевская Белочка)などのロシアのチョコレート菓子とカザフのチョコレートをプレゼントした。
 参加者から「カザフは行ってないが、写真やビデオで雰囲気を感じることができた」、「ロシアは懐かしかった」、「ビデオは楽しめた」などの感想が寄せられた。
 来年予定のウズベク・カザフ・キリギス旅行では、タシケントではナボイ劇場やコンセルバトーレのアーチストと、アルマトイでは日本語学校のスタッフや生徒さんたちと交流し、旅行報告会も面白くしたい。
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日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2017年12月5日

2017-12-05 10:45:33 | 日記
 日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2017年12月5日
【日本ユーラシア協会広島県支部連合会理事会】次の要領で開催します。
12月6日水曜日14時  広島市留学生会館
主な議題 ブロック会議の開催 全国総会の開催について

【ロシア革命100周年日本ユーラシア協会創立60周年記念講演会が開催されました。】詳細は次号以降で。
日本大学理工学部1号館3階134号教室
15時「協会の60年 これまでも、これからも」竹田正直さん(当会会長 北海道大学名誉教授)(写真左)
16時「ロシア革命100年と日本」和田春樹さん(東京大学名誉教授)
【秋のイベント】無事終了しました。詳細は次号以降で。
①[ぺあせろべ2017]
 2017年10月29日日曜日10時~16時 広島市基町中央公園 フードフェスタ会場西隣
②[広島留学生会館祭]
2017年11月5日日曜日10時  広島市留学生会館 広島市南区西荒神町1-1
③[国際交流フェスタ]今年の国際交流協力の日 11月19日日曜日
10時~16時 広島国際会議場前緑地帯、地下1階。

【11月15日核の歌「ザマナイ」作詞者エスダウレトフさんと広島で交流】
 東京都立中央図書館にカザフスタンコーナーが開設され、カザフスタン共和国の国立アカデミー図書館長のダウレンベコヴナさんによる書籍の贈呈式が11月14日に行われた。日本ユーラシア協会本部からも同席された。15日には訪問団の希望で広島訪問をされることになった。元上院議員、反核の歌「ザマナイ」作詞者エスダウレトフさん、図書館長ら6名が広島を訪問された。広島県議会議員中原さん、歌手の道田さん、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト、広島支部3名を含む7名が対応した。早朝に東京を新幹線で出発し、夕刻には広島を離れられるという短い設定でしたが、訪問団の熱い思いに接することが出来た。昼食会で交流し、その後広島平和公園で慰霊碑に献花、原爆資料館を見学、市内散策という忙しい日程でした。
 詩人ウリグベック・エスダウレトフさんは反核の歌「ザマナイ」の作詞者として知られており初来日、道田涼子さんが歌う日本語の「ザマナイ」に感動されていました。慰霊碑前に移動した後、日本語とカザフ語での「ザマナイ」合唱の様子は翌日の地元新聞でも紹介されました。1945年のアメリカの原子爆弾使用に対抗する形でソビエト政権は核開発をすすめた。セミパラチンスク核実験場(ポリゴン)では1949年8月29日核実験から1991年に閉鎖されるまで地上および地下で450回以上の核実験が行われた。1985年エスダウレトフさんはスレイメノフさんのもとで「ネバタ・セミパタチンスク・プロジェクト」の副会長としてアルマトイで反核市民運動を担った。「私の母はセメイで生まれた。核実験の痛みを母から聞いて感じた。私のセメイの友人達は年々次々と無くなった。セメイにお墓はたくさんあるが、今セメイに私の幼い頃からの友人は一人も生きていない。1986年チェルノブイリ原発事故の後、現地を訪問し反核の歌があることを知った。セメイからアルマトイを治療のために訪ねてきた10歳の少女を救うことが出来なかった。5つの歌を書いて、その一つがトレジャノフさんと作った『ザマナイ』です。私は今本を書き始めています。今日お会いした広島の被爆者の川崎さんのことから書き始めたい。」そんな思いは、核実験場の閉鎖、配備された世界4位の核兵器を廃棄したナザルバエフ大統領の決断から、「アルマトイ宣言、セミパラチンスク条約」を経て、民衆の願いが2017年7月7日122ヵ国による「核兵器禁止条約」採択として結実した。
 別の被曝者は「1955年の爆発は大きなもので400キロトンの規模だった。1945年8月6日のベービー爆弾(リトオルボーイのこと)の20倍だった。私は母から爆発を見てはいけないと言われていたが、8歳の私は爆発を見てしまった。」「私(トルミンさん)には11人の兄弟姉妹がいるが、今は生きているのは私一人になってしまった。」「日本とカザフスタンは共にこうした悲劇を歴史の中だけのものにしたい。」 1997年にアルマトイからアスタナに首都が移転された。図書館長は「来年2018年に開催される遷都20周年には皆様においで戴きたい」。すでに夕暮れの時、一行は広島を後にされた。

[中国新聞の記事です。]http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=78297
反核の作詞者 廃絶願い歌声 平和公園 2017年11月17日
 旧ソ連で最大の核実験場があった中央アジアのカザフスタンで、核実験反対運動の象徴となった歌「ザマナイ」を作詞したウリクベク・イエスドレトさん(63)が15日、広島市中区の平和記念公園を訪れた。「核被害を受けた両国が連携し、廃絶の願いを広げたい」と歌声を響かせた。 イエスドレトさんは同国の元国会議員たち計5人で、原爆資料館や原爆ドームを見学。原爆慰霊碑前で、核実験の被曝(ひばく)者支援に取り組む市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」のメンバーたちとザマナイを合唱した。ザマナイは現地の言葉で「ああ、時代よ」を意味する。哀愁を帯びた旋律で、被曝者や古里を追われた人々の悲しみを表現。1989年から本格化した核実験反対運動の象徴として広く歌われている。イエスドレトさんの故郷のセミパラチンスク市(現セメイ市)では、450回を超す核実験で150万人以上が健康被害を受けたという。「歌声で記憶を継承したい」と力を込めた。(栾暁雨)

【ロシア・カザフ旅行報告会】日時 2017年12月10日(日) 午後2時〜午後4時 場所 広島市留学生会館 研修室1
内容 今年8月のカザフスタン・アスタナ旅行
   今年10月のロシア・ボルガクルーズ合唱交流の旅
   2つの旅行のスライド、ビデオ上映、お土産プレゼントなど
主催 日本ユーラシア協会広島県支部連合会
問合せ/申込み 藤井 携帯電話 080-5610-9751

【カザフスタン演劇「アクタス村の阿彦」日本初上演】カザフスタン現地で大人気の演劇「アクタス村の阿彦」が日本初上演されます。カザフスタンの名門アウエゾフ記念国立アカデミー劇団が描くシベリア抑留者の人生。昨年独立25周年を記念してカザフスタンで初演され現地で好評を博しました。ぜひこの機会にご覧ください。
入場無料・申込先着順 (定員なり次第締め切らせて頂きます)Email(japan@mfa.kz)にてご希望日とお名前(複数の場合全員)、電話番号をお送りください。講演場所 赤坂区民センター区民ホール 日程 1回目2017年12月21日(木)14:00開場14:30開演 2回目2017年12月25日(月)18:00開場18:30開演(25日は16:30~17:30にカザフ民族音楽コンサートもあります。)お問合せは在日カザフスタン大使館文化広報課まで。
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