日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年4月30日

2024-06-21 06:25:36 | 日記
  日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年4月30日
【2024年度ロシア語能力検定試験】
 第83回ロシア語能力検定試験(3・4級)は2024年5月26日、会場は広島市東区民文化センター3階工作実習室です。

【2024広島フラワーフェスティバル】
 5月3日4日5日に平和大通り西詰め付近で開催されます。参加出来る方は08055054872に連絡をお願いします。

【ミンスク通信(2回目)】
 西村汐音さん(ベラルーシ在住、ミンスク国立言語大学外国人のためのロシア語コース在学中)より
 ベラルーシには昭和のような雰囲気がある、というのはこちらで知り合った日本人の方の言葉だ。私は実際の昭和の時代というものを知らないが、とてもしっくり来た。
 ベラルーシ、特にミンスクについてだが、街は当初私か想像していたものよりかなり都会的である。シェアスクーターがあちこちにあり、スーパーには自動精算機、電気自動車の充電スポットもよく見かける。
 では、そんな現代的な都市ミンスクで感じる昭和の雰囲気はどこから来るのか。それはまさしく人々からである。共産時代の影響からだろうか、人々の間には助け合いの意識が強くあるように思う。そして、ありがたいことにそれはよそ者である私にも適応されるのだ。ベラルーシに来て三か月、人々に助けてもらったことは数えきれないほど多い。言語や文化の壁に戸惑う私に、彼らは、優しく「anyeroCIPamroro」(大丈夫だよ)と返してくれるのだ。料理や景色も素敵だが、この国の一番の魅力は人々だ、と私は思う。[広島支部より]広島出身で2023年にベラルーシ・ミンスクに留学(ミンスク国立言語大学)されていた吉村虎之助さんが広島市内でミンスク等の写真展を2023年12月2024年3月に開催されました。その一部を写真で紹介します。ベラルーシは日本人にはなかなか馴染みが薄い国で、ベラルーシ在住の日本人は50人ほどだそうです。広島支部の会員がチェルノブイリ原発事故被害者支援・交流のために訪問されたりしています。

【原爆製造とPFAS(ピーファス)】
 3月29日より全国で2023年製作の米国映画「OPPENHEIMERオッペンハイマー」が上映された。原爆に関わる放射能の人体への影響についての描き方が乏しいものの、原爆・水爆製造の経緯やその「世界を破壊する」威力を垣間見ることができた。
 一方で「永遠の化学物質(フォーエバー・ケミカル)」と言われるPFAS(ピーファス、ピーエフエーエス、)問題も、大きな課題として解決されないまま残っている。今年1月には東広島市の川上米軍弾薬庫周辺の地下水でのPFAS汚染、3月には大阪のPFAS汚染に関わる「1000人血液検査」結果の中間発表で汚染の広がりが明らかにされた。東広島市八本松町宗吉の水路で「PFOAピーフォア」と「PFOSピーフォス」が1リットル(1L)当たり4000ナノグラム(4000ng/L=4000ppt)、広島市の瀬野川では250ng/Lが記録された。
 PFOA(ペルフルオロオクタン酸)もPFOS(ペルフルオロオクタンスルホン酸)もPFASの一種である。PFASはペルフルオロアルキル化合物及びポリフルオロアルキル化合物(英語名:perfluoroalkyl substances and polyfluoroalkyl substances )の略称 。PFASの由来は、デュポン社の研究員をしていたロイ・J・プランケットが1938年にテトラフルオロエチレンがガスボンベ内で自然に重合反応を起こし、偶然にテフロン(ポリテトラフルオロエチレンPTFE)が生成していることを発見したことによる。炭素Cとフッ素Fが結合した物質がさらに多数結合(重合)した構造を持つ。1935年には合成繊維「ナイロン6, 6」が同じくデュポン社のウォーレス・ヒューム・カロザースにより発明された。新素材テフロンに注目した米国陸軍省が、1941年原子爆弾の製造を推進したマンハッタン・プロジェクト(総経費20億ドル)のためデュポンにテフロンを発注した。原爆製造に必要な放射性ウランの製造時には、きわめて腐食性の強いガスが放出されるから、製造装置の配管や容器のライニングやパッキンがこうした腐食に耐えうる物質としてテフロンを採用した。C-F結合は強いものであるため自然界の生物はテフロンを生成・分解もできない。C-F結合でできた化学物質PFASにはテフロン以外にも現在では12700種類の物質がある。PFOSも米国化学企業3M(スリーエム)と米軍共同で泡消火剤として使われ始めた。PFASが環境汚染物質であることは3Mやデュポンで1950年代から認識されるようになった。
 2012年にはアメリカのC8科学調査会はPFOAについては、これが6種の病状(妊娠高血圧症、妊娠高血圧腎症、精巣がん、腎細胞がん、甲状腺疾患、潰瘍性大腸炎、高コレステロール)に関連していると結論付けた。これ以外の疾病や精子数の減少、子どもの免疫力の低下など、また家畜や自然界の生物への影響も懸念される。製造企業の社会的責任の明確化、沖縄を始め米軍基地内外での汚染状況の透明性確保、従業員・住民の血液中濃度の測定実施も緊急の課題となっている。

【ウクライナ情勢とパレスチナ・ガザ空爆(4)係争の地パレスチナ】[「イスラエル国家の建設」の後半]
 すなわち①イギリスは1914年10月24日、エジプト駐在イギリス高等弁務官マクマホンの名で、中東の各植民地民族の指導考や族長、敵国トルコの支配下にある民族の指導者をも含めて彼らに書簡を送りました。その内容は、この戦争に協力し、トルコに対して闘争し、パレスチナを解放すれば、この地方にアラブ民族国家の建設を承認する、というものでした。この書簡の内容を歴史上『マクマホン宣言』といいます。
 ところが一方ではイギリスは、②当時ユダヤ人の有力者が盛んに活躍していたアメリカの協力を得るためと、国内のユダヤ人財閥、特に国際金融資本家ロスチャイルド財閥の協力によって膨大な戦費をあがなうため、当時の外相バルフォアの名によって「もしイギリスがこの戦争に勝利したあかつきには、パレスチナの地にイスラエル国家を建設することを承認する]という書簡を送りました。1917年11月2日、これが世にいう「バルフォア宣言」で全文を後掲します。
 更に③第一次世界大戦中1916年5月16日、イギリス・フランス・ロシアの三国はオスマン帝国領の分割をとりきめた密約を結びました。三国首脳は秘かにペテログラードに集まり、大戦後のオスマン帝国のアラブ人地域について、イギリスはイラク(バグダードを含む)とシリア南部(ハイファとアッカの二港)、フランスはシリア北部とキリキア(小アジア東南部)、ロシアはカフカースに接する小アジア東部というように分割して領有し、パレスチナ(イェルサレム周辺地域)は国際管理地域とするという秘密協定を作成しました。サイクス・ピコ協定です。
 そして④第一次大戦後の1920年4月19日から26日、イギリス、フランス、イタリア、日本、ギリシア、ベルギーの各国は、ベルサイユ条約の実施および中東の石油と委任統治の問題を討議するため、イタリアのサンレモで会議を行いました。この会議では、旧トルコ帝国領のアラブ民族居住地域を国際連盟の委任統治領として、イギリス、フランス両国が、分割管理することなどを取り決めました。フランスは、敗戦国ドイツに代わりメソポタミアの石油利権を持つトルコ石油会社の株を 25 %取得するとともに、シリア経由の地中海向けパイプライン建設を認められました。これが、英仏石油協定ともいわれるサンレモ協定です。このイギリス、フランスによる石油利権独占に対してアメリカは門戸開放、機会均等などを唱えて強く反発し、やがて両国はトルコ石油会社に対するアメリカの参入を認めることになりました。この会議には、イギリス(デヴィッド・ロイド・ジョージ)、フランス(アレクサンドル・ミレラン)、イタリア(フランチェスコ・ニッティ)の首相を代表とする第一次世界大戦の主要同盟国4か国と日本の松井慶四郎駐フランス大使、澤田廉三書記官(三等書記官、講和会議全権代表団随員)も参加しました。この会議は、国際連盟設立と並び、対トルコ講和会議であり、帝国主義の石油利権をめぐる会議の性格をおびていましたが、オスマン帝国領土の内の3つの区域である、「パレスチナ」、「シリア」、「メソポタミア」の管理を欧州各国に割り当てることが決定されました。この会議において日本は「ユダヤ民族パレスチナに於ける郷土建設」への道を踏み出す「パレスチナ委任統治」創設決議に共同署名しました。領土紛争の観点からみても、イスラエルとパレスチナの紛争の根本原因(イスラエル建国)を作った責任は英国とイスラエルにあり、それに賛同したフランス、日本にもあります。
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