日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年6月29日

2023-07-17 22:04:15 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年6月29日
【2023ひろしまフラワーフェスティバル】
 2023ひろしまフラワーフェスティバルは、日程が6月10日(土)・11日(日)で開催に参加しました。


【2023年度ロシア語能力検定試験】
 第82回ロシア語能力検定試験(1・2・3・4級)は10月28日29日実施予定です。
                           
【2023年8月カザフスタン訪問】
 基町高校の生徒による「原爆の絵」複製画の展示会をセメイ市内で開催し、合わせて、セメイ医科大学設立70周年を迎えて行う国際会議「環境・放射線・健康」にも参加します。
○日程表:月/日行程(宿泊先)
▲8/25(金)・広島駅10:00→11:50博多(新幹線)・福岡14:50→16:20ソウル(アシアナ133)・ソウル18:05→21:40アルマトイ(アシアナ577) (アルマトイRoyal Palace Hotel泊)
▲8/26(土)・ホテル出発9:30→アルマトイ空港・アルマトイ12:20→13:55セメイ(エアアスタナ7151) セメイ市内(ホテルヨーロッパ泊)▲8/27(日)・セメイ市内で基町高校の生徒jこよる「原爆の絵」複製画の展示会開催・セメイ市内の小児病棟訪問(慰問及び医薬品贈呈)、セメイ医科大学標本室、歴史博 物館等の訪問(同上泊)
▲8/28(月)・セメイ医科大学主催の創立70周年記念の・「環境・放JI櫞・健康」一野宗先生(広島匡際大学)、井上先生(高知大学)、高垣(カクワカ広島)等スピーチ(同上泊)▲8/29(火)・セメイ市主催「第1回核実験から74周年・慰霊・平和式典」への参列午前中(同上泊)▲8/30(水)・ホテル出発13:00→セメイ空港・セメイ14:25→16:05アルマトイ(エアアスタナ7152)・アルマトイ市内で元留学生だちと食事(カザフスタンホテル泊)▲8/31(木)・アルマトイ市内見学(日本語学習者と交流、博物館見学、公園・市場等見学)・ホテル出発20:00→アルマトイ空港・アルマトイ23:00→9/1 7:40 ソウル(アシアナ578)(カザフスタンホテル滞在)▲9/01(金)・ソウル7:40着・ソウル8:45→10:15福岡(アシアナ132)・博多11:30前後→12:00~13:00広島(新幹線)[広島市又は平和文化センターよりの親書を持参します。]小説『悲劇と運命』の寄贈先を募集しています。問い合わせはヒロセミ事務局にお願いします。

【広島・セミパラチンスク合唱交流の旅】
 2023年9月15日(金)~9月20日(水)6日間 成田、関空、福岡発着可 
※参加者を引き続き募集しています。日本のうたごえ全国協議会、日本ユーラシア協会広島支部後援。

【初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語:第13話 阿部和夫】
太十郎の自殺未遂
 碇泊しているナジェージダ号は,薩摩藩等五十艘程の警備の船に取り囲まれていました。そして,船に食糧は届けられても,肝心の交渉についての返事は示されませんでした。
 レザーノフは,上陸を希望しますが許可されません。四人はせっかく帰国しても自分達は見捨てられたのではないかと,不安も強くなっていきます。九月二十二日,レザーノフは,体調を崩したので上陸しての静養を希望しますが,それが許されるのは十一月十七日になってからです。それも,レザーノフ以下四人を含めて二十人だけで,竹矢来で囲んだ梅ヶ崎の屋敷に軟禁状態といえるものでした。
 その一か月後,六十郎が自ら喉に剃刀を突き立て,かき回そうとしたところを止められます。この時,治療に当たった医師吉雄幸載の診断書に拠れば,「舌に一寸二分(4㎝)深さ一分余り(3㎜),喉向突疵四分余り(1㎝ちょっと)治療方至て六ケ敷所にて」とあり,命はとりとめますが,治療の難しさを訴えています。以後,太十郎は口がきけなくなってしまいました。
 太十郎の自殺未遂については,二つの可能性が考えられます。
 一つは,前途に絶望してノイローゼ状態のためと思われます。四人が長崎に到着したのが九月六日,それから三か月以上経っているのに,四人に対して何の音沙汰も無しです。仮に引き渡されても,待っているのは牢獄だけではないか。その様な想いが強くなり,自殺を図ったかもしれないという見方です。
 二つ目は,本当に死ぬ気ではなく狂言自殺ではなかったかという見方です。彼は頸動脈を切るのではなく,口の中で剃刀をかき回そうとして,その後は喋れなくなりました。ところが,レザーノフとの別れの時,抱擁した彼の耳元で,ロシア語でお礼の言葉を囁いているのです。周りには喋れなくなったと思わせて,上陸後の証言拒否をするため自殺を偽装した可能性も考えられます。
 レザーノフは,この様なことがまた起こり得ることなので,四人を日本側で引き取って欲しいと強く訴えます。しかし,事態は好転しませんでした。
 日露の正式交渉がないまま,その年(一八〇四年)は過ぎ去ってしまいました。
【「映画『氷雪の門』への考察(24回目)】



[北海道新聞2017年12月30日号1面より(その2)千島列島、南サハリンの占領。]
「ソ連四島占領 米が援助」「艦船貸与、兵訓練・・・極秘合同作戦」「45年2~9月」
           根室振興局調査で判明
 振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まったつた45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。米国は45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計141隻の艦船をソ連に無償貸与。4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の訓練に当たったという。訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島の作戦に投入された。8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日までに完了した。こうした史実が判明したのは、根室振興局が2015年度から取り組む北方領土遺産発掘・継承事業がきっかけ。各国の資料を集める中で、ソ連が樺太南部と千島列島での作戦に投入した全艦船を調べ上げたイーゴリーサマリン氏(現ロシアーサハリン州戦勝記念館科学部長)の論文「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト』 (2011年3月)を入手した。リストに米艦船が含まれていることが分かり、経緯を探るうち、米ソの極秘プロジェクトの内実を書いた元米軍人リチャード・ラッセル氏の著書「プロジェクト・フラ」 (03年)の存在を知り、米国から取り寄せた。国後島の地元紙「国境にて」の過去記事など各種資料と照らし合わせ、四島占領作戦での米艦船の使用を突き止めた。調査を取りまとめた国後島元島民2世の谷内紀夫・根室振興局副局長は「米国が徹底した対ソ支援を行っていたことが分かり、北方領土開題への両大国の関与が浮き彫りになった」と話す。
 調査資料は来年1月19日~2月2日に根室市内の道立北方四島交流センターで開く企画展で公開。初日の1月19日に谷内副局長が講演する。参加無料。


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