日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年3月30日

2023-04-16 23:14:17 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年3月30日
【2023年度ロシア語能力検定試験】2023年度ロシア語能力検定試験の試験日程
●第81回ロシア語能力検定試験 (3・4級のみ)2023年5月28日(日)
●第82回ロシア語能力検定試験 (1・2・3・4級)2023年10月28日(土)・29日(日)

【2023ひろしまフラワーフェスティバル】
  2023ひろしまフラワーフェスティバルは、日程が6月10日(土)・11日(日)で開催に参加予定です。

【カザフスタン(広島-セミパラチンスク)合唱交流の旅】
企画実施:株式会社ユーラストラベル(東京都知事登録旅行業第3-6973号)
後援:日本ユーラシア協会広島支部 (予定) 日本うたごえ全国協議会 (予定)うたごえ新聞社 (予定) 協力:広島合唱団(予定)協賛:イスクラ産業株式会社(予定)                                                 
[企画趣旨とご後援及び協力のお願い 2023年3月24日]
 データによれば、被爆当時の広島の人口35万人のうち、9~16万人が被爆から2~4ヵ月の間に死亡した。そして、もうーつの被爆地長崎では、人口24万人のうち、74,000人が瞬時に命を落としている。当時の核保有大国のアメリカはネバダで、そして、ソビエトは戦後、セミパラチンスクで核実験を行っていた。かつてセミパラチンスクと呼ばれた町は現在はセメイと言う町に名前が変更され、核実験場はそのセメイの町から西方150
kmのところにあり、1949年~ソビエトが崩壊して独立した1991年まで地上116回、地下340回、計456回の核実験が行われ、実態把握が正確になされていないが、およそ20万人の健康被害が報告されています。
 2013年秋、作詞家のなかにし礼は、オペラ歌手で名ソプラノの佐藤しのぶに核兵器廃絶の詩の提供を求められ、「リメンバー」というヒロシマ、ナガサキを忘れないという意味を込めて佐藤しのぶに送った。その発表の席上でなかにしは、「この楽譜を、ポール・マッカートニーにも、マドンナにも、レディ一ガガに送って、母国語で、世界中で歌ってほしい。そして、地球から核兵器を廃絶してほしい」と訴えた。しかし、彼らは相次いで病に倒れた。
 2013年全国うたごえ祭典・大阪の大阪城ホールで「リメンバー」が披露され、2022年秋にはうたごえ祭典・広島での記念曲集にこの「リメンバー」が掲載され、方々の合唱団が手話付きの楽曲として取り組みが始まりました。
 つきましては、お二人の遺言を携え、「リメンバー」合唱交流の第1回目を、同じ苦しみを被ったカザフスタンのセミパラチンスクの人たちにも「リメンバー」を母国語で共有してもらい、合唱交流を通して、市民交流をもっともっと根付かせるとともに、既に核兵器廃絶条約に批准しているカザフスタンと連帯した大きなイベントとしたいと考えています。
 つきましては、上記の企画趣旨にご賛同くださり、ツアーのご後援あるいはご協力をいただきたくお願い申しあげる次第です。[2023年9月に6日間程度の旅行日程となる予定です。]
 
【初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語:第10話 阿部和夫】船内での対立 二つ!
 ロシアは、日本への通商を求める全権大使として、皇帝侍従のニコライ・レザーノフを任命しました。彼は、イルクーツクの商人で漂流民送還を通商のきっかけにする提案をした人です。
 出発に際し、レザーノフが乗る戦艦は「ナジェージダ号」(ロシア語で「希望」の意味)ですが、その艦長をしているのが、海軍大尉クルーゼン・シュテルンです。この航海には、日本と通商条約を結ぶことの外に、もう一つの目的がありました。それは、「ナジェージダ号」と「ネヴァ号」の二隻の戦艦を率いて、「ロシア初の世界周航」を実現することでした。その隊長にもニコライ・レザーノフが任命されました。ナジェージダ号には八十五名、ネヴァ号にはリシャリンスキー艦長以下四十八名が乗り込みました。
 日本への航海中、ナジェージダ号の中では二つの対立が渦巻いていました。
 一つは、レザーノフとクルーゼン・シュテルンの指揮権をめぐっての対立です。二つの目的のための隊長は、侍従であり政治家でもあるレザーノフですが、クルーゼン・シュテルンの立場からすると、航海の責任者は艦長たる自分である。だとすれば、世界周航成功の暁には、その名誉は、自分に来るべきものだという認識があります。下世話にいう功名争いというものかも知れません。
 二つ目は、日本人同士での対立です。「ピヨートル・ステファノヴィッチ・キセーリョフ」というロシア人になった善六を、ロシアは日露交渉の通訳にしようとしていました。それに対して、帰国する津太夫等四人の日本人からすると、善六は自分から日本人であることを捨てただけではなく、他の人たちまで誘い込んだ憎い男ということになります。しかもその上、善六は自分達と話すよりもレザーノフと互いに相手の言葉を学び合っています。善六と四人の日本人は、お互いに口も利かなくなっていきました。
 この様な対立をはらんで三か月近くも航海している内に、レザーノフは長崎で善六が日本人であることがばれる可能性を恐れて、ペトロパブロフスクで彼を下船させてしまいます。また同伴のネヴァ号は、ナジェージダ号と別れ、北アメリカに向かいます。

【書籍の紹介】
「キューバ・ミサイル危機 広島・長崎から核戦争の瀬戸際へ 1945-62 上下」マーティン・J・シャーマン著  三浦元博訳 2022年9月10日発行 白水社
 1962年10月のキューバ・ミサイル危機は、核戦争(最終戦争)が一触即発で起きかねない13日間(10月16日~同月28日)だった。ソ連と西ベルリンとの問題、アメリカによる水爆搭載ミサイル「ジュピター」のNATO加盟国トルコ配備が背景になっている。本書はその「一触」が、実はほんの偶然の積み重ねで回避されていたことを明らかにした大作。米国の国家安全保障会議、国防総省、統合参謀本部の会議録、関係者の個人メモ、回想録、解禁されたソ連共産党幹部会の議事録など、豊富な史料を網羅して、米ソ両政権の内部とカリブ海の現場で何が起きていたかを立体的に描き出し、手に汗握る日々が展開される。ケネディとフルシチョフの関係、その言動や心理、タカ派とハト派の攻防を丹念に積み上げるミクロ的記述と、広島・長崎への原爆投下から冷戦下の核軍拡競争に至る文脈に、この危機を位置付ける俯瞰的視点を交差させており、圧倒的な説得力がある。
 2008年ロシア・グルジア紛争、2014年東ウクライナ紛争、2022年ロシアによる特別軍事作戦、ウクライナによる宣戦布告、台湾をめぐる中国と日米の緊張を踏まえると、この危機が重なって見えてくる。「核の脅威」が懸念される今、60年前の危機が残した教訓を振り返る意義は大きい。ピュリツァー賞受賞の歴史家(米外交と核管理・軍縮論)が、危機の深層を描き切った決定版。

【連載記事は次号以降に。】
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日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年2月28日

2023-04-16 23:09:37 | 日記
 日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年2月28日
【2023年度ロシア語能力検定試験】2023年度ロシア語能力検定試験の試験日程
●第81回ロシア語能力検定試験(3・4級のみ)2023年5月28日(日)
●第82回ロシア語能力検定試験(1・2・3・4級)2023年10月28日(土)・29日(日)

【2023ひろしまフラワーフェスティバル】
 2023ひろしまフラワーフェスティバルは、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の円滑な開催のためとして、日程を6月10日(度)・11日(日)に変更して開催予定。

【初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語:第9話 阿部和夫】地球一回りの道筋
 若宮丸の漂流民となる十六人は,石巻を船出して漂流しアリューシャン列島に漂着します。その内の四人が長崎に帰ることで,初めて地球を一回りした日本人ということになりました。 では,どの様な道筋をたどることで地球一回りということになったのでしょうか。 先ず,アリューシャン列島の小島に漂着した彼等は,そこからイルクーツクに移動します。そこで八年暮らしますが,首都ペテルブルグに呼び出され,日本に帰れることになりました。帰国の意思表示をした津太夫・儀兵衛・佐平・太十郎の四人は,ナジェージダ号に乗せられ,ロシアのクロンシュタットを出航します。この時,ロシア初の世界周航の目的でネヴァ号も同伴しています。最初に寄港したのは,デンマークのコペンハーゲンでした。ここには三週間滞在して食糧や水を積み込んでいます。次いでイギリスのフアルマスに立ち寄り,大西洋を航行していきます。スペイン領カナリア諸島のテネリフエ島に,次いでブラジルのサンタカタリーナ島に寄港します。ここから南アメリカ大陸の最南端,ホーン岬を廻って太平洋に出ることになりますが,ホーン岬の通過が,この航海での最大の難関となり,一か月を要してやっと通過しています。太平洋に出て立ち寄ったのが,マルケサス諸島のヌクヴィア島でした。そこで島民の姿を見た四人は,鬼ヶ島に来たのではないかと驚いてしまいます。島の男たちは長身であり,皆全身に入れ墨をしており,髪の毛を左右二つの房にしていたので鬼の角の様に見えたのでしょう。ここには十三日間滞在しています。次いで寄港したのは,ハワイ諸島のオアフ島です。ここで,ネヴァ号は分かれてアメリカに向かい,日本人四人を乗せたナジェージダ号は,ペトロパブロフスク経由で長崎に入ってきます。文化元年(一八〇五)九月八日のことでした。石巻を出てロシアの小島に漂着し,シベリアを経てヨーロッパのペテルブルグに移動し,海路大西洋から太平洋に抜けて日本に帰り着いた彼等は,十一年をかけて地球を一回りした最初の日本人ということになったのです。

【はだしのゲン】広島市「ひろしま平和ノート」での「はだしのゲン」削除問題について、「南区街歩きを楽しむ会」など市民三団体から2023年2月22日提出の意見書に、賛同いたします。
「ひろしま平和ノート」編集委員 様「はだしのゲン」削除に関わる意見書(公開質問状)                                                                                    
 拝啓 時節柄、職務にご精励のこととお慶び申し上げます。報道によれば、広島市の市立小学校で、平和教育の教材として使われ、世界24か国語に翻訳されている漫画『はだしのゲン』を、4月から使われる教材では削除するとの方針があるときき及びました。削除の理由は「主人公が街角で浪曲のまねごとをして小銭を稼ぐ場面と、栄養失調の母親に食べさせるために、池の鯉を盗む場面。なぜこういう状況になったのか、じっくりと理解して考えさせるためには時間が足りない。」等が報道されました。今回の決定について「作品(の意義)自体を否定することではない」「学校図書室にはおいておく、自由に利用できる」としている。被爆の実相をいかにして伝えるか、被爆者を含めた広島市民が幾多のつらい経験を重ねてきています。私たちは今回の編集方針を理解できませんし容認できません。しかし、2012年に、松江市教育委員会が、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を子供が自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めていたことがあり、当然にも多くの批判の中で、この措置は2013年に撤回されましたが、昨今では大阪府政下での公共図書館で、同様の閲覧制限、また広島への修学旅行の禁止の動向があると聞いています。連動するのではと憂慮しています。この際、次のとおり貴職に対し要請します。
                   記
1 子ども達が「ひろしま平和ノート」を使って「はだしのゲン」を、自主的に、あるいは家庭で、あるいは学校・教室で教員の指導の下で、共に学習する権利と場面を奪わないでください。2 教材「はだしのゲン」編集委員は、この編集方針について市民にたいして公開の場を設定し、市民との対話集会を開催し、説得力のある説明をしてください。3 2019年より開催された、「ひろしま平和ノート」編集会議の、契機、内容をおしえてください。4 2に記載の「市民との対話集会」開催の便宜をはかるよう、広島市教育委員会(広島市)に要請してください。5 「ひろしま平和ノート(改訂版)」の印刷・製本・配付を中止すること。
6 被爆体験を次世代に継承して行くことはとても大切なことですが、様々な困難な状況にも直面しています。困難を乗り越えて継承するためには、市民との協同が必要だと考えませんか?以上

【書籍の紹介】「核時代の科学と社会 初期原爆開発をめぐるヒストリオグラフィー」市川 浩 著 丸善出版               2022年01月 192頁
 核兵器の存在は長く人類の生存を脅かしつづけた,そして、今も脅かしている,現代世界のもっとも深刻な問題のひとつである.では,そもそも核兵器はどのようにして誕生したのか? 本書では近年ようやくその全体像が明るみに出た第2次世界大戦期(米ソ日独),および冷戦初期各国の原爆開発計画を題材に,最新の研究成果を用いて,核時代の幕開けにおける戦争・冷戦下の国家と科学、そして科学者の相互作用を検討してゆく.
[著者の本会会員市川先生は3月広島大学を定年退官されます。]

【リニア新幹線と柏崎・刈羽、浜岡原発再稼働】
 JR東海が2027年の開業を目指すリニア中央新幹線の品川・名古屋間は、15年1月から沿線各地で本格的な工事が始まった。ただし、現在、南アルプストンネル(延長25km)の静岡工区は、大井川の流量減少やそのほかの環境問題により、静岡県がまだ着工を認めていない。地震脆弱性もある。超電導磁気浮上方式で最高設計速度は毎時505キロ、286kmを約40分で結ぶ。柏崎・刈羽原発は2007年7月16日、中越沖地震(M6.8、震度6強)により、浜岡原発は11年5月に運転を止めた。柏崎・刈羽原発は総出力821.2万kW(13年1月現在)1985年~1997年1号機~7号機が運転開始。浜岡原発は76年~05年の間に1号機~5号機が運転、6号機は計画中。JR東海は、「中央新幹線は原子力発電を前提としているのですか」という質問への回答として、消費電力(名古屋開業時約27万kW、大阪開業時約74万kW)を挙げ、「全原発の停止を前提とした電力会社の供給力試算の範囲内で十分まかなえる」、「東海道新幹線同様の省エネルギー化を続ける」と記している。ただし「発電方法に関わらず、将来にわたって安定的な電力供給を政府と電力会社にお願いしたい」と付記している。リニア新幹線は1962年高速鉄道(500km/h)、1971年磁気浮上・リニア推進とする開発方式、1973年全国新幹線鉄道整備法を法的と根拠とする。 11年の東日本大震災と福島第一原発事故のあと、12年3月からの柏崎・刈羽原発の全7基の停止後も、山梨リニア実験線での走行試験は行こなわれており、原発がなければリニアが動かないわけではない。しかしリニア新幹線営業運転となれば、東京・大阪間で原発一基分程度の約100万kWhの電力が必要になる。86年2月、東京電力は山梨県内の電力需要急増に対処して柏崎・刈羽原発からの新送電線、変電所の建設を計画、山梨県に用地問題などで協力を要請する一方、山梨県も進出企業のフル操業やリニアモーターカー実験線誘致に備えて電力の供給能力引き上げ:求めていることもあって、東電に全面的な協力を約束していた。水力・火力も含め、東電とともにリニアの品川・名古屋間で給電を担う中部電力は、浜岡原3・4号機の再稼働に向けての審査を申請しており、新しい燃料集合体の搬入も行っている。リニア営業運転は柏崎・刈羽及び浜岡原発再稼働への圧力となっている。
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