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写真付きで日記や趣味のブログ。「陸・海・空」乗物免許?マニア?の日記です。筋金入りの「アマチュア無線家」でもあります。

hawaiiは何度行ってもいい!

2002-02-15 20:55:00 | 日記
「ハワイ旅行!」なんて言うと、「なんと優雅な!」と人は言う。でも、沖縄旅行より安いし(お金のかけ方次第だが!)、何てったって!「アメリカ」だし、気候も良いし、地元衆はみんな優しいし、SEX産業は立ち遅れているけど、カップルで行くには、そこがまた良い。
4泊6日が多いらしいが、高級ホテルに泊まって、ブランド品を買いあさり、日本食レストランで、変な物食べて、たかだか、5kmくらいの、ワイキキ地区を、**トロリーで行ったりきたり。溢れんばかりのオプショナルツアーがあり、せっかくのバカンスを「のんびり」することも忘れて、あら!明日帰国だ!「最後の買い物だあ!」
ここのとこ、毎日、3000人の観光客が来るそうだが、大体このパターン。
しかし!
あの実感した経験は、「ワイキキ」という、特殊な観光客専用の地区!の話!
ホノルルは、広い!  オアフ島は、広いよ! (とはいっても、我が山形県より狭いけど) 
この前行った時。ハニー!とレンタカー借りて、ドライブして、知らない田舎で独立記念日のパレードに遭遇して、見物人に配られた「スイカ」食べながら、パレードするほうと、みる方がいっしょになって楽しんで、見物したり。高速道路は、「フリーウェイ」だから、料金所はなくて、「ただ!」だった喜び!海の家なんて無い、ビーチで、のんびり昼ねとか。消防自動車と遭遇して、「なんだあの大きさは!」「後ろにもハンドルがついてるぞ!」とか!
やっぱり、田舎を見ないとなあ!
色んな人種が居るし、「やっぱ、人は肌の色じゃないなあ!」と実感。
太ってても気にしない!もっと、凄い人がいる!上には上だし!(家の奥さんの弁!)
(小錦の故郷の上空も飛んだ!ド田舎だった!)
車の運転の心配?ナイナイ!みんな、親切でやさしい!クラクションなんて鳴らされたこと無い!
割り込み!随時OK!「ニッ!」と笑って、手を振れば「OK!」(変な顔するのは、レンタカーを借りてる、観光客!)

結論「フランス製のブランド品、ハワイで買ってどうすんの?」

ddk

教官によって、若干の違いが!

2002-02-14 20:49:00 | 日記
飛行機のラダ―ペダルは、機種によって少し違いますが、我が練習機パイパーアーチャ―Ⅱでは、靴底を裏返しにしたような、ラダ―ペダルでした。
すなわち、つま先の方を踏めば、ブレーキ。
かかとの方は、ラダ―(方向舵)です。
セスナは前後にスライドさせるとラダ―だし、オルガンのペダルのような、ラダ―の飛行機もある。
靴底と靴底をあわせたように、乗せて、操れ!と、最初の先生は言った!。しかし、次の先生は、「むやみに、ブレーキ(上のほう)に足乗せるな!」という。ブレーキが減る!だって。
どちらも、一理ある!
が?教務会議で、統一してくれよ!
むちゃくちゃ、言われる、生徒のみにもなってよ!(いい年のおっさん生徒のつぶやき!)

ラジオK-JAPANのNEWSより

2002-02-13 18:46:00 | 日記
ホノルルの日本語ローカルラジオ局
http://www.kjpn.net/kknews/top.html

ローカルニュースでーす!(ぱくり)

『オアフ島、明日から温暖へ
2002年 2月12日 (火) 7時43分

ここのところ冷え込んでいたオアフ島にようやく暖かさが戻ってきます。

今月9日(先週土曜日)、オアフ島の各地でこの冬一番の冷え込みとなりました。気圧の谷の通過に伴い、乾いた寒気が一気にオアフ島の上空に入り込んだ9日、今年一番の寒さとなる18.3℃(華氏で65度)を記録しました。さらに翌日の気温は18.8℃(華氏で66度)まで下がりました。全米気象台のボブ・ファレル予報官は、「乾いた空気が皮膚の水分を蒸発させ、熱を奪うので寒く感じる。常夏のハワイにしばらく住んでいると余計寒く感じる」と説明しました。

ファレル予報官は明日、暖かくなりますが雨模様になるだろうと予想しています。なお、2月のオアフ島で観測された最も低い温度は1976年に記録した11.7℃(華氏で53度)です。』


DDKいわく。
「ったく!ハワイぼけ!ヤマガタは、それから、25度、引けばいいのじゃな!」
「ここのとこ、やまがたも冷え込んで、明け方は、マイナス6度くらいの日はざらです!」
「今年は、雪が少ないだけでも、ありがたいと思え!」「少ないと、つるつるすべるんじゃい!」

ってが?(スリップ、たまつき、追突事故、見てしまった!)30Km/hで走ってもだよ!

山形で初めて飛行機に乗った女性は?

2002-02-02 23:26:00 | 日記
まもなく実家の母の命日ですが(4年前に90歳でガンで)、私は3男坊で末っ子! 母ちゃんにべったり!でしたので....はい!

その、母ちゃんは長女! 妹が一人いた。
山形に歩兵連隊があった。いま、私が住んでる城西町は、戦前、錬兵場だった。(広い原っぱ)
母ちゃんが若い頃(独身)、なんとか?大尉が、複葉機に乗って、この、錬兵場に降り立った。市民は「飛行機!」というものを見るのは、もちろん初めて。おうぜい見物に行った。
その経緯は良く知らないが、市民代表でお前のとこの娘!飛行機に乗せてあげる。ということになったらしい!(すばらしい!)。もんぺを履いて、ほっかむりして!準備万端!(風ぼうが無いので、風がビュウビュウ状態だったらしい)
いざ!行こうとした母に、ばあちゃんは言った「おまえは、あととり娘だから、だめ!ぜったいだめ!」「家系が絶える!」
代わりに、妹が、乗ったらしい!
「姉ちゃん!お家が小さく見えるんだよ!」と言ったかどうかは、定かでないが?無事着陸したのだが、数年後、病気で死んだ。

母ちゃんは、「あの時!乗ってみればよかった!」と、私によく話してた。
母ちゃんが初めて飛行機に乗ったのは、56歳の頃。高校1年の春、私と東京まで山形空港から「フレンドシップ機」40人乗り、でした。もちろん、私も、そのときが初めての飛行機「搭乗」。

P.S.
親父(1901年生まれ)は、「ツェッペリン飛行船」!を見てたらしい!。古る―い!。それに、一回前の「ハレー彗星」も、見たって言ってた。「スプートニク衛星」も!
飛行機に乗った事は無かった。(模型飛行機を作ってた形跡がある?)
親父は高校一年の「夏」に病気で死んだ。