2015.8.8(土)~11(火) 快晴、快晴、晴れ夕方雨、晴れ
3:40自宅発=7:00松本IC=8:00沢渡駐車場(8:20発)=8:50上高地(9:00発)~10:40徳沢(11:00発)~12:50横尾~13:50本谷橋(14:05発)~15:00涸沢(テント泊)
6:00涸沢~9:00北穂高岳(9:30発)~11:30涸沢岳(11:45発)~12:00穂高岳山荘(12:10発)~12:50奥穂高岳(13:10発)~13:40穂高岳山荘(14:00発)~16:10涸沢(テント泊)
13:00涸沢~15:00横尾~16:00徳沢(テント泊)
8:00徳沢~9:40上高地=10:30沢渡駐車場=11:00白骨温泉(12:00発)=13:00松本IC=14:20中郷IC=下道経由=19:30自宅
穂高岳は15年前に職場の仲間と6人パーティーで賑やかに登った。
その仲間も自分も含め3人は定年退職し、独身だった若い2人は結婚し、山からは離れているようだ。
今回は、15年ぶりとなるが、一人でほぼ同じコースを歩いてみることにした。
ようやく明るくなりかけた4時前、自宅発。野尻湖PAで小休止し、7時に松本IC。この時間に、ここを降りる車は、大半が上高地方面へ向かう。
8時、沢渡駐車場。一番手前、沢渡大橋バス停近くの梓駐車場に入れた。バスの始発地点で便利がよく、満車に近かった。4日分の駐車料金4千円を前払い。
支度をしてバス停へ、2,050円の往復切符を購入し5分ほど待って8:20バスに乗る。終点までなので大荷物は荷物室へ入れてもらう。30分ほどの乗車時間だが、40人以上の乗客の8割ほどは、途中の大正池で降りた。ここから上高地を散策するのだろうか。
終点バスターミナルの登山指導所で登山計画書を出したら係員さんが「楽しんできてください」との言葉。気分が良い。
3泊分のテント装備で20kgのザックはさすがに重いが、担いでしまえば、苦にならない。
快晴。空気も澄んでいて透き通る青空。最高。
河童橋のあたりは、観光客が多く写真を撮ったり、アイスを食べたりとくつろいでいる。数枚写真を撮って先へ進む。
明神までは観光客も多かったが、その先は登山者がほとんどとなる。
1時間半で徳沢到着。気持ちのよさそうな芝生のテント場を通り過ぎて、徳沢園前のベンチで一休み。まだ11時前だが、早朝5時過ぎの朝飯でお腹がすいてきたので昼食とする。
「ここは、ソフトクリームがおいしい。」と、ソフトクリームを食べるパーティーも。
20分ほど休んで出発。おにぎりと水の分が少し軽くなって、足取りも少し軽く、時々 先行者を追い越しながら進む。12時、横尾。水を補給し、先へ。
登山道らしくなってきた道を1時間歩いて本谷橋。
気持ちの良い河原の石に腰を下ろして一休み。
2時間歩いて15時に涸沢に着いた。上高地からここまでコースタイム通り6時間だった。
テント場の1/3程はまだ雪に埋まっていたが、余裕で場所確保。「北陸新幹線開通で、黒部・立山へ行く人が増えた分、涸沢は人が少ないようだ。」の声も。
10分ほどで設営して、軽く食事して横になる。隣は学生の大パーティで賑やかだが、耳栓をして寝るので問題ない。今年買った1万5千円のエアマットは背中の冷たさや痛さが全くなく寝心地抜群。気温18度で快適。
朝早かったせいもあって軽い昼寝のつもりが目覚めたら21時だった。
見上げれば、満点の星。トイレへ行くついでに星空観察。月も出ていないので、星が明るくて数も多い。
テントに戻って、また眠る。朝方、寒くて目が覚めた。夏用テントは高山には少し非力なようだ。
耳栓をしていて周りの様子ははっきりわからなかったが、4時を回ると人の動きが出てきたようだ。こちらは日帰り装備で6時発と決めているのでもう少し横に。5時を回って明るさも増してきたので、朝食準備にかかる。
ゆっくり朝食を食べ、日帰りのサブザックに水、食料、雨具、カメラを入れて6時出発。
隣の学生パーティーはテントも撤収して出発した後だった。ちょうど常念岳と蝶が岳の会田あたりから日が昇ってきた。今日登る奥穂とその下の涸沢カール の雪渓もばっちり。
北穂に向かう登山道には人が見える。
まずは北穂へ。
朝6時半で気温は15度ほどと高くないはずだが、ちょうど背中に陽光を浴びて、半袖でも暑さを感じる。
そんなことよりもこの上天気。向かいの荒々しい前穂の姿を眺めながら足を進める。
何回か写真タイムを取り、3時間で山頂。9時の山頂は360°の大展望台。間近に槍ヶ岳、その先に立山、遠くに白山の白い峰が連なる。空はどこまでも青、青、青。
持参のパンを食べたりして、40分ほど標高3千mの眺望と空気を満喫した。
担いできた2リットルの水を飲み干して、小屋で購入。400円と高いが、日差しが強く水無しではすまない。
北穂から奥穂への稜線歩きに向かう。鎖あり、はしご ありの気の抜けない岩場が続く。3点確保で慎重に進む。
このあたりの稜線歩きはヘルメット推奨とのことで、7、8割はヘルメットをつけている。15年前にはなかった光景である。遭難救助隊の方々も当然装着。
1時間ほど歩いて、いよいよ涸沢岳への急登にさしかかると、20人近い大パーティーが直下の鞍部で休憩中。近くに行くと、中国人(あるいは、台湾、香港)パーティーだった。
これまでの登山経験で、欧米系外国人の小パーティーに出会うことはあっても中国人の大パーティーに出会ったのは初めてで、少し驚いた。
全員ヘルメット着用で、言葉は通じないがリーダー(あるいはガイド)によく統率され、道を譲ってくれるなどマナーはよかった。北アルプスの国際化も進ん でいるようだ。
涸沢岳への急登は、15年前にはそれほどに感じなかったが、今回はタフに感じた。60歳を超えた体力の衰えと照りつける日差しのせいだったかもしれない。標準タイムよりやや遅れて11時涸沢岳に到着。15分ほど展望を楽しむ。
20分下って穂高岳山荘。奥穂までは往復1時間半なので、スポーツドリンクを多めに飲んで、カメラだけ持参で奥穂に向かう。
12時半奥穂山頂。15年前に登ったときは、ガスガスで山頂の標柱を確認しただけだったが、今日は最高。中高年には無縁なジャンダルムがデンとそびえ、その上に気持ちよさそうに3人立っているのが見える。あそこに立ってみたい誘惑に駆られるが、還暦過ぎの中高年には無縁の世界と言い聞かせる。その奥には笠ヶ岳。今日歩いてきた北穂からの稜線やその先の槍ヶ岳。上空はどこまでも青い空。
20分ほど堪能して穂高岳山荘へ戻る。ここ でも水1リットルを購入200円也。
持参のパンとチーズを食べる。2度目の昼食。
気は抜けないが楽しかった北穂岳~涸沢岳~奥穂高岳の稜線歩きを終え、ザイテングラード経由で涸沢カールを下り、4時前にテントに戻った。山小屋は布団1枚に2人だとか。こちらは3人用テントに1人、ゆったりである。
汗をかいた分、ラーメン2杯で補給して、500円の缶ビールで至福のひととき。
今夜も満天の星。最高。
3日目は、疲れ休みで徳沢でキャンプ予定なので、朝寝、昼寝。
9時過ぎ、新しく20人近い大パーティーが来て、近くでテントを張り始めた。テントの文字で愛知県T高校登山部とわかった。
引率の先生に指導されて、てきぱきと設営して見ていても気持ちよい。
時間が遅くなったので、穂高岳には登らないのだとか。もったいないようにも思うが、夕方雨予報もあり、涸沢で一日のんびりするのも高校生活の良い思い出かもしれない。
そんなざわめきをよそに、テントに潜ってエアマットに横になる。朝の日差しと微風が心地よく、若者たちの声や鳥のさえずりを遠くに聞くのは最高である。
12時を過ぎて、名残惜しいがそろそろ帰り支度。
昼食を食べテントを撤収して13時下山 開始。ザックはずいぶん軽くなったが、一番暑い時間帯、汗が出る。
15時横尾。雨がぱらついてきたが、空が明るいので大したことはなさそうである。
16時徳沢到着。細かい雨だが気温が高いので苦にならない。
気持ちの良い芝生にテント設営。しばらくして雨も上がった。550円でビールロング缶。
酔いも回ってすぐに眠ってしまった。
翌朝も朝寝。今日も晴れ。ほとんどのテントは撤収後だった。ゆっくりテント撤収して8時発。
しばらく歩いていると、後ろから元気いっぱいの若者集団がわいわいと追いついてきた。
このあたりの道は広くなっているが、少し道を空けると「こんにちは~」と元気一杯に脇を通り過ぎていった。全員が担いでいた大きなザックは昨日涸沢で隣にテントを張っていたT高校生だった。元気、元気、さわやか登山部に拍手。
明神を通り過ぎたところで、中国人女性2人連れがキャリーバッグを引いて歩いていた。このあたりまで下ると行楽客でも歩ける平坦な道なので、それだけでは特筆することでもないのだが、なんとその前方には天秤棒の両端にキャリーバッグを下げている屈強なポーターが歩いて居るではないか。金持ち中国人旅行者の爆買いなども報じられているが、しばらく目が点であった。金持ち中国人恐るべし。
9時半すぎ、河童橋、月曜日だがお盆前で行楽客が<var id="yiv2081742912yui-ie-cursor"></var><var id="yiv2081742912yui-ie-cursor"></var>多い。今日は山の上はガスで見えない。ビジターセンター横の人目の着かないところで濡れたシャツを着替え、バスに乗る。
10時半、沢渡駐車場に着くと満車で入場待ちの列ができていた。
車に戻り、下着の着替え、4日ぶりのひげそりで少しさっぱりしたが風呂に入りたい。
平成24年に沢渡から白骨温泉まで新しい道が開通して、わずか5km10分でいけるようになった。白骨温泉駐車場からすぐの公共野天浴場へ。510円。
広くはないが、客も少なく、白濁したぬる湯に長くつかっていると一時貸切状態。川のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら上がったり入ったり1時間ほど過ごし、4日分の疲れを癒やした。
3年ほど温めていた計画。楽しさてんこ盛り、お腹いっぱいの4日間だった。
40代 、50代の頃は、時間に余裕もなく、前夜自宅発、早朝登山開始、日帰り、目的の山に登ったら早く戻るというような慌ただしい日程だった。
60を過ぎ、日程に余裕も出てきたので、テント泊でゆったりした日程を組めるようになった。
体力維持に努め、しばらくこんな山歩きを続けてみたい。