2021.3.25(木) 薄曇り
今朝の新潟日報に五泉の水芭蕉公園が見ごろだという記事がきれいな写真とともに載っていた。もう、20年位前にかみさんと見に行ったころとがあったが、久しぶりに行ってみたくなった。
新聞で紹介されたこともあり平日にもかかわらず、駐車場も9割ほどの入りで高齢者を中心に多くの人が訪れていた。
駐車場からほとんど高低差もない木道で水芭蕉を見て回ることができ、子供連れやお年寄りにもお薦めである。
まだ咲き初めで今週末辺りが見ごろかもしれない。
2020.3.13(土) くもり
今朝は自治会役員用務で、区域内の道路が除雪等で破損した箇所がないか役員3人で安全点検した。
戻ってきたら学生時代の旧友から電話。先日亡くなった別の旧友の奥様にみんなで花を贈ろうかという相談だった。しばし近況などを交換し合った。
そういう年齢に差し掛かったのだと思うが訃報が続く。昨年8月に父を88歳で送り、その後の手続関係も年末までにおおむね済ませたと思ったら、2月末に5歳下の従妹が亡くなった。それほど懇意にしていたわけではないがやっと還暦を過ぎたばかりの早すぎる別れでにっこり微笑む遺影に手を合わせて涙が止まらなかった。
つい先日、年に1度ほど何人かで集まっている学生時代の旧友の中心的人物から奥様のご逝去を知らせる葉書が来た。2歳下の奥様も時々集まりに参加してくださるオシドリ夫婦だったので、本当に驚き、旧友の胸にしみるような葉書の文面を読みながら涙が止まらず慰めの言葉も見つからないので、「言葉が見つからず、ただ、奥様のご冥福をお祈りします」と一言だけのお悔やみメールを贈った。
年下の親族や親しい友人の訃報はショックが大きい。
そんな心の動揺が続いたせいか、おかしな夢を見た。
竜宮城の乙姫様に思いを寄せて、そっと抱き寄せ柔らかな髪の温もりを頬に感じてしばし幸せな時間を過ごした。ずっと忘れていたなんとも甘美な感覚。悲しいことや辛いことが続くと無意識に埋め合わせようと幸せな時間を夢見るのかもしれない。
それにしてもと思う。今も現役で活躍している旧友が仲間に呼びかけて花を贈る行動を考えているときに、情に流され思考停止してしまう瘋癲老人状態の自分とを重ね合わせて少し悲しくもなった。
統計によれば、65歳の男性5人に一人は10年以内に寿命を迎えるとのこと。睡眠不足、運動不足、人と会話をしないの3つがボケの原因との説もある。命のはかなさとありがたさを胸に刻み、日々を大切に。
いろいろ思うこの頃である。
(3月21日追記)
1週間後の彼岸の土曜日に10年前に40代半ば過ぎで亡くなられた、かみさんと私の共通の趣味の先生で特にかみさんが懇意にさせていただいた方のお墓にかみさんの友人と3人で墓参りをした。墓銘碑にはその方のご両親も70歳前後で亡くなられたことが記されていた。自分にとってもそんなに先のことではないな、とふと思った。3人でしばし故人を忍んで霊園を後にした。
その翌日、同じく10年前に亡くなった学生時代の旧友の家を訪問し、仏前に花を供えてきた。何回か伺っているが旧友が亡くなってからは6年前に花を供えに伺って以来で2度目となる。何回かお会いしたご両親は3年前に相次いで亡くなられたとのことで、奥様とご子息が出迎えてくださった。
奥様がフォトスタンドに入れて大切に飾られている写真を出してくださった。亡き旧友と私たち仲間が6人で映っている写真だがその中に先日奥様を亡くされた旧友ご夫妻も仲良く並んでいる。50歳過ぎころのものだが、誰も15年後のこのような運命を夢にさえも思わなかっただろう。
気さくな奥様・ご子息と旧友の思い出やそれぞれの家族のこと、日々の過ごし方などもろもろ話し込んであっという間の懐かしい1時間を過ごした。
(5月21日追記)
父が亡くなって最後の関係手続を17日にして今日不足書類を提出して終えた。
自分でできるものは自分で、難しいものは専門家にお願いして、いろいろと時間もお金もかかるものである。
もう3か月余りで一周忌である。