「患者さんの思い」をくみとるのは、近くにいる家族ででさえ難しいものです。いや、むしろ、家族として愛情が深いぶん、「自分の思い」に意識が集中してしまい、「患者さんの思い」が見えなくなるのかも知れません。
ある若い夫婦から、こんな話を聞きました。奥さんにがんが見つかったとき、すでに手遅れでした。それでも、夫はあきらめることなく、「絶対に治る。今の病院では無理でもきっと治療法を見つけるから」と、妻を励ましつづけました。自分で資料を集めてがん治療について調べ、評判の高い病院に問い合わせる。さらには、民間療法にまで手を広げて研究したそうです。(中略)
妻は夫の献身に感謝し、夫の言うとおりあきらめず、弱音を吐きませんでした。痛いとも苦しいとも言わず、努めて明るくふるまいました。けれども、妻はじつは弱音を吐きたかったのです。痛い時には痛いといい、不安なときは、その不安を口に出したい。けれども、夫のがんばりを見ていると、そんなことは言えない。自分の弱さを見せまいと、必死にこらえていたのです。
そのことを知って、夫は、妻のほんとうの思を理解していなかった自分を悔いました。妻のことを思ってがんばっていたつもりが、妻はそれ以上に自分のことを思っていてくれていた。妻の思いに寄り添っているつもりが、妻のほうが夫の思いに寄り添ってくれていたわけです・・・
(「がんと暮らす人のために・樋野興夫」P138~139より抜粋 文責J)
この物語は私自身の物語でもあります。わが家もまさにこの通りで、この文章を読んだ時は自分でも分っていなかった自分の本心をズバリ指摘されたと胸がキュッと痛くなりました。カミサンのためにやっていたことが実は自分のため、自分の納得のためであったわけです。なので、こうならないように、ちょっと関係を離れて冷静に考えてみることはとても大事だと思いますが、当事者どうしではどうしても間合いが近すぎてうまくいきません。
さっぽろがん哲学外来の役目の一つが、この物語の中にもあるのだろうなあ、と思いました。でも難しい。(J)
ある若い夫婦から、こんな話を聞きました。奥さんにがんが見つかったとき、すでに手遅れでした。それでも、夫はあきらめることなく、「絶対に治る。今の病院では無理でもきっと治療法を見つけるから」と、妻を励ましつづけました。自分で資料を集めてがん治療について調べ、評判の高い病院に問い合わせる。さらには、民間療法にまで手を広げて研究したそうです。(中略)
妻は夫の献身に感謝し、夫の言うとおりあきらめず、弱音を吐きませんでした。痛いとも苦しいとも言わず、努めて明るくふるまいました。けれども、妻はじつは弱音を吐きたかったのです。痛い時には痛いといい、不安なときは、その不安を口に出したい。けれども、夫のがんばりを見ていると、そんなことは言えない。自分の弱さを見せまいと、必死にこらえていたのです。
そのことを知って、夫は、妻のほんとうの思を理解していなかった自分を悔いました。妻のことを思ってがんばっていたつもりが、妻はそれ以上に自分のことを思っていてくれていた。妻の思いに寄り添っているつもりが、妻のほうが夫の思いに寄り添ってくれていたわけです・・・
(「がんと暮らす人のために・樋野興夫」P138~139より抜粋 文責J)
この物語は私自身の物語でもあります。わが家もまさにこの通りで、この文章を読んだ時は自分でも分っていなかった自分の本心をズバリ指摘されたと胸がキュッと痛くなりました。カミサンのためにやっていたことが実は自分のため、自分の納得のためであったわけです。なので、こうならないように、ちょっと関係を離れて冷静に考えてみることはとても大事だと思いますが、当事者どうしではどうしても間合いが近すぎてうまくいきません。
さっぽろがん哲学外来の役目の一つが、この物語の中にもあるのだろうなあ、と思いました。でも難しい。(J)