新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

本心は見えにくい(0009)

2013年09月26日 | 外来待合室
「患者さんの思い」をくみとるのは、近くにいる家族ででさえ難しいものです。いや、むしろ、家族として愛情が深いぶん、「自分の思い」に意識が集中してしまい、「患者さんの思い」が見えなくなるのかも知れません。

ある若い夫婦から、こんな話を聞きました。奥さんにがんが見つかったとき、すでに手遅れでした。それでも、夫はあきらめることなく、「絶対に治る。今の病院では無理でもきっと治療法を見つけるから」と、妻を励ましつづけました。自分で資料を集めてがん治療について調べ、評判の高い病院に問い合わせる。さらには、民間療法にまで手を広げて研究したそうです。(中略)

妻は夫の献身に感謝し、夫の言うとおりあきらめず、弱音を吐きませんでした。痛いとも苦しいとも言わず、努めて明るくふるまいました。けれども、妻はじつは弱音を吐きたかったのです。痛い時には痛いといい、不安なときは、その不安を口に出したい。けれども、夫のがんばりを見ていると、そんなことは言えない。自分の弱さを見せまいと、必死にこらえていたのです。

そのことを知って、夫は、妻のほんとうの思を理解していなかった自分を悔いました。妻のことを思ってがんばっていたつもりが、妻はそれ以上に自分のことを思っていてくれていた。妻の思いに寄り添っているつもりが、妻のほうが夫の思いに寄り添ってくれていたわけです・・・
(「がんと暮らす人のために・樋野興夫」P138~139より抜粋 文責J)

この物語は私自身の物語でもあります。わが家もまさにこの通りで、この文章を読んだ時は自分でも分っていなかった自分の本心をズバリ指摘されたと胸がキュッと痛くなりました。カミサンのためにやっていたことが実は自分のため、自分の納得のためであったわけです。なので、こうならないように、ちょっと関係を離れて冷静に考えてみることはとても大事だと思いますが、当事者どうしではどうしても間合いが近すぎてうまくいきません。
さっぽろがん哲学外来の役目の一つが、この物語の中にもあるのだろうなあ、と思いました。でも難しい。(J)

罰(ばち)が当たった?(0008)

2013年09月19日 | 外来待合室
自分の行いが悪いからがんになったのだ、と思う人は多いようです。これまでの食生活や運動不足をふりかえり、「ちがう暮らし方をしていれば、がんにならなかったのに」と悔いるのです。
この悔やみがさらに深みにはまると、悪いことをしてきた罰として、がんにかかってしまったと思い込み、罪の意識にさいなまれることもあるようです。

ところがほとんどのがんは原因が分っていません。ウイルス性のがんや、アスベスト(石綿)がトリガー(引き金)として特定されている中皮腫にしてもはっきりした原因はまだ究明されていないのです。

生活習慣とがんは、何らかの関係があることは確かです。しかし、どのような生活を送ろうががんになる人はなるし、ならない人はならない。がんになるかならないかは単に確率の問題です。がんになったから暮らし方が悪かったせいでもないし、その罰が当たったわけでもありません。
(「がんと暮らす人のために・樋野興夫」P39より抜粋 文責J)

私のカミサンも乳がんになり、3年の闘病の後亡くなりました。闘病中、時々、「私、バチが当たったのかな」と言っていました。私は、「お前さんはバチがありすぎてどれでがんになったのか分らんだろう。大丈夫だよ。」と混ぜ返していたのですが、この先生のお話のように、そうじゃないぞ、とはっきり言うことができれば良かったと思っています。こういうのを後の祭りというのでしょう。思いやりのないばかな亭主です。(J)

ちょっと一息・五輪トリビア(0007)

2013年09月12日 | ちょっと一息
2020年の東京オリンピック開催決定をお祝いしてのトリビア(雑学)をすこし。
まずはメダルのお話から。
近代オリンピックで勝者にメダルを与える慣わしは、クーベルタンが当時の万国博覧会においてメダルが授与されていたことにヒントを得て始めたものです(それに経済的理由から、当初、第2~4回のオリンピックは博覧会の付属行事として行なわれていました。競技が独立催行されたのは第5回のストックホルム大会からでした)。

ところで皆さんは、去る2004年のアテネ・オリンピックにおいて受賞メダルのデザインが一新されたことをご存知でしょうか? 新しいメダルはオリュンピアの考古学博物館所蔵「パイオニオスのニケ(舞い降りるニケ)」の復元像をデザインしたものになりました(この像の姿については本書・第28話を参照方)。
このニケ像はメッセニア‐アテナイ連合軍が対ラケダイモン(スパルタ)の勝利を感謝し、BC.421年に奉納したものです(ギリシア語の「ニケ」とは《勝利》の意で、ローマ人はこれを「ウィクトーリア」と呼びました。

ルーヴル美術館にも有名な「サモトラケ島のニケ」の像があります。またスポーツ用品メーカーのブランド名「ナイキ〔NIKE〕」は、この勝利の女神ニケから取ったものです。それに南フランスの避暑地ニースは、このニケの名をとってニカイアと呼ばれていた時代がありました)。

ところで、近代オリンピックのメダルはなぜ昔から金・銀・銅なのでしょうか? 実はオリンピック開始当時は、1位が銀、2位が銅のメダルでした。金メダルはなかったのです。それが金、銀、銅になったのは、1908年開催・第4回のロンドン大会からでした。
(出典:河津信義氏 古代オリンピックの話)

がん細胞について(0007) ・・・丸山先生のお話その3・最終回(8/24会合)

2013年09月10日 | 集まりの様子
(画像をクリックすると拡大します)

丸山先生のお話の第3回目の紹介です。
・人間は60兆個の細胞から出来ていて、1個の細胞から60兆個まで増えていくが、 60兆個になるとぴたりと増殖が止まるようにプログラムされている。
・一方、際限なく増えて歯止めが効かないのががん細胞で、クルマでいうと①ブレーキが壊れて②アクセルを踏み放し③修理がきかないの3つが備わったのががん細胞。
・制御不能の原因を考えてそこを直してあげるといいのだけど、それが今はできない。
・生殖により親から子に伝わるのが遺伝で、生殖細胞のみが遺伝し、体細胞であるがん細胞は遺伝しない。
・一方、細胞ががん化しやすい性質は遺伝する。遺伝しやすい性質は環境因子が多い。
・40歳以前に発病するがんは遺伝的要因が多い。40歳以降の発病では遺伝の可能性は少ない。
・遺伝的に乳がんが発病することが分って、発病前に予防的に乳房を取ってしまうというニュースがあったけど、がんになりやすい性質が遺伝するので他のがんになる可能性は否定できない。
・がんは顔つきで悪性かどうかを判断している。だいたい当たる。人間だって顔つきで判断する事が多い。なので、ここの皆さんは警官の職務質問には会わない。(爆笑)でも、なかにはやさしい顔をして毒をもっているヤツもいて(爆笑)顔つきで決めていいのか、という話もある。(爆笑)
・がん哲学というのはがんになった患者さんの仲間になって波長を合わせてあげれば、その人にとってはすごい力になる。人間というのはそばにて波長を合わせてあげればものすごい力になる。治癒力というのは1人よりも3人、3人より5人、そばにそばに誰かがいるかいないかで全然違う。がん哲学はなにも勉強する必要はない。そばにいてあげて相手が息を吐いたら吐いてあげればいい、笑えば一緒に笑ってあげる。吐いてるときに吸っては駄目。(爆笑)あまり難しく考えないで気軽に飛び込んでくれれば、すぐに専門家になれる。是非とも北海道で初代のがん哲学コンサルタントになってください。(おわり)(J)

以下、がんはなぜ悪い病気なのかについての事務局の補足です。
*がん細胞は正常な細胞の新陳代謝の都合を考えず、自律的に勝手に増殖を続け、止まることがない。がん細胞は、周囲にしみ出るように広がる(浸潤)とともに、体のあちこちに飛び火(転移)し、次から次へと新しいがん組織をつくってしまい正常な細胞を圧迫する。また、がん組織は、他の正常組織が摂取しようとする栄養をどんどん取ってしまい、結果、体が衰弱し、様々な病気を併発しつつ死に至る。(J)

8/24会合出席者の感想です(0006)

2013年09月05日 | 集まりの様子
24日の会合に参加された女性の方から会合の感想を頂きましたので掲載します。(文責:(J))
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丸山先生のお話は、がんについて新しい知識を得ることができましたしがん細胞は「増え続ける」だけで、そのほかは正常な状態の細胞とは知りませんでした。
また、現在の医学の限界も知ることができました。そして、楽しい語り口からでしょうか、なんだか、がんが怖くなくなりました。

みなさんそれぞれのお話も、まわりに「聞きたい」という空気ができていて、さまざまながんとの付き合い方を共有できたのではないでしょうか。そういう時間がたっぷりとってあったことなどの工夫もあって、まさに「双方向の対話」が実現されていたと思います。

もうひとつ、感じたことがありました。がんとの関わり方は、100人100様で、ひとつとして同じものがないということでした。ふだん意識しない、「命」を考えるおおきな転機となるのだな、と思いました。

丸山先生や、他の方々と、小さな輪でフリートークをする時間がもっとあればいいなと思いました。


がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。