新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

がん哲学校たより・11(0028)

2014年01月27日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.1.26配信)
第43回「がん哲学学校」
「新渡戸稲造記念 がん哲学学校」~純度の高い専門性と包容力~

先週、文部科学省 全国がんプロフェショナル養成基盤推進プラン合同フォーラム(主催:全国がんプロ協議会)が開催され、筆者は、「全国がんプロ協議会アド バイザー・がんプロフェショナル養成推進委員会委員」として出席の機会が与えられた(東京大学山上会館)。今回は「放射線治療」がテーマであり、文部科学省高等教育局医学教育課長の開会挨拶に始まり、基調講演「放射線治療の現状と将来展望」、講演「放射線治療の進歩」、「放射線治療の教育」と充実したプログラムであった。最先端の「放射線治療」と将来展望を拝聴した。

「がん対策基本法」の中で,「手術・放射線療法・化学療法その他のがん医療に携わる専門的な知識・技能を有する医師その他の医療従事者の育成が求められていることから、文部科学省では、 複数の大学がそれぞれの、個性や特色・得意分野を活かしながら相互に連携・補完して教育を活性化し、がん専門医療人養成のための教育拠点を構築することを目的」として、「プロフェショナル養成基盤推進プラン」を平成24年度から実施しており、全国で15拠点が選定されている。順天堂大学は、「岩手医科大学、東京理科大学、明治薬科大学、立教大学、鳥取大学、島根大学」と連携して「ICTと人で繋ぐがん医療維新プラン」で、創意的な取り組みが展開されている。今後のチーム医療の在り方でもある。

週末の午後、「新渡戸稲造記念 がん哲学学校 in 志木」(「ターミナルケアハウスみんなの家・志木」に於いて)が開催された。「がん哲学学校」は「あらゆる世代、あらゆる立場の人々が、お茶を囲みながら、がんについて、人生について、じっくりと対話できる場所」と定義されている。筆者は、「新渡戸稲造記念 がん哲学学校 in 志木 校長」として、「がん哲学学校~純度の高い専門性と包容力」のタイトルで、講演する機会が与えられた。講演に先だって、「対話カフェ・個人面談」が実施され、「患者・家族・遺族・近隣地域の人々、医療・介護従事者・学生」の参加があり、とても心豊かな一時であった。参加者の「来られた時の風貌(悲しみ)と、帰られる時の風貌(希望)」の変化に接し、「新渡戸稲造記念 がん哲学学校 in 志木」の存在の時代的意義を痛感した。まさに「病理学=風貌を見て、心まで診る」の具体的な現場風景である。

内村鑑三の詩(0028)

2014年01月21日 | 外来待合室
樋野先生のおたより「第42回「がん哲学学校」」に出てくる内村鑑三や新渡戸稲造に関する読書会に触発されて、私の好きな内村鑑三の詩を皆さんにお知らせしたくなりました。すでにご存じの方はこの記事は飛ばしてください。

桶職(をけしよく)
  我は唯(ただ)桶を作る事を知る、
  其他(そのほか)の事を知らない、
  政治を知らない宗教を知らない、
  唯善き桶を作る事を知る。

  我は我(わが)桶を売らんとて外に行かない、
  人は我桶を買わんとて我許(もと)に来る、
  我は人の我に就いて知らんことを求めない
  我は唯家にありて強き善き桶を作る。

  月は満ちて又欠ける、
  歳は去りて又来たる、
  世は変り行くも我は変らない、
  我は家に在りて善き桶を作る。

  我は政治の故を以て人と争はない、
  我宗教を人に強ひんと為ない、
  我は唯善き桶を作りて、
  独り立(たち)て甚だ安泰(やすらか)である

内村鑑三はご承知のように敬虔なキリスト教徒ですが、この詩、特に最後の「我は唯善き桶を作りて、独り立て甚だ安泰である」というところは、自己確立を説いたブッダの説話(真理の言葉・ダンマパダ第12章 自己 )を思い浮かべます。独立不羈、不撓不屈の精神とは、知識教養から得られるものではなく、その者の現実の生き様、どんなに小さな職業であってもその者の正々堂々とした生き様から湧き出るものこそ本物であるということを示しているのではないかと思います。(J)

がん哲学校たより・10(0027)

2014年01月21日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.1.20配信)
第42回「がん哲学学校」
国際性~「勇敢なる独創力、急速なる決心と決死的なる着手の習慣」~

土曜日の午後、<がん哲学外来>お茶の水メディカル・カフェ inOCCが開催された(http://www.gantetsugaku.org/)。今回で、第20回とのことである。毎回、カフェの会場は満席である。「何とも言えない癒しの空間が、誰でも受け容れてくれている」とのコメントが複数届いている。今後、日本国のメディカル・タウンのモデルケースとして発展・展開されることであろう。お茶の水の街の拠点「オアシス」になる予感がする。今回は、NewYear Specialとして、カフェの談話の前に、「新年にふさわしく尺八、横笛の和楽器の穏やかな」演奏の時が持たれた。筆者は毎回、さりげなく15分「講話」の機会が与えられている。

終了後、「お茶の水消化器セミナー」(東京ガーデンパレス)に出席した。大変、「純度の高い専門性」のある講演「難治性肝胆膵ガンへの挑戦」を拝聴し、大いに感激した。日々勉強である。まさに、「新しいことのも、自分の知らないことにも謙虚で、常に前に向かって努力する」である。筆者は、「ClosingRemarks」を述べる機会を与えられた。「医師の2つ使命」『(1)「学問的、科学的な責任」で、病気を直接治療する。(2)「人間的な責任」で手をさしのべる。』と、手順を踏んだ「学問より(from)実行」の重要について語った。

日曜日の午後は、定例「読書会」であった(http://www.gantetsugaku.org/)。早 7年目を迎えた。新渡戸稲造の『武士道』 (岩波文庫、矢内原忠雄訳) は、既に 3回目の学びである。又、同時に『後世への最大遺物/デンマルク国の話』(岩波文庫、内村鑑三著)も交互に学んでいる。「一人では読破困難な著書も樋野先生のとてもユニ-クでわかりやすい解説と様々な方々とのお交わりの中で過ごすひと時は格別なものです。」とのことである。今回は『武士道 第二章武士道の淵源』であった。第2章にある「勇敢なる独創力、急速なる決心と決死的なる着手の習慣」は、筆者の若き日からの「学問より(from)実行」のモットーでもある。読書会後、アメリカからの来日中の若者に英語で、「EducationalLecture」として「Session of the Japanese Heart、Inazo Nitobe: The Soul ofJapan」のタイトルで講演する機会が与えられた。聴衆の関心の高さに「新渡戸稲造の国際性:賢明なる寛容性」の時代的要請を改めて痛感した。

がん哲学校たより・9(0026)

2014年01月15日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.1.14配信)
第41回「がん哲学学校」
『生きがいについて』の読書感想文コンクール~『存在の重み』の学び~

先週末(2014年1月11日)「ハンセン病者の心に寄り添い生きた医師 神谷美恵子 (1914年1月12日生まれ~1979年) 生誕100年記念の集い」〈岡山市民会館、 主催:国立療養所長島愛生園〉に出席した。筆者は、『「隔離」という器の中で』〈石田雅男著、文芸社 発行〉を読んで参上した。プロクラムは、「日野原重明先生:人生の生き方の選択」に始まり、「鼎談:長島愛生園入所の方 & 神谷美恵子の御次男 & 筆者」、さらに「バロック音楽のひととき」で終えた。参加者は1500~1600人とのことで、会場は、埋め尽くされていた。驚きである。翌日、地元の新聞の山陽新聞をはじめ、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞に大きく報道されていたとのことである。日野原先生の集客力には、圧倒された。遠く、栃木、群馬からも参加されていた。102歳の日野原先生は、60分間、立ったまま講演された。ただただ感服した。筆者は、「神谷美恵子の幼年・少女時代の新渡戸稲造の思い出」、「読書会」の奨め、神谷美恵子著作集、特に『生きがいについて』の小・中・高校生による読書感想文コンクールの実施を強く提案した。

早速、『楽しみにしていた「集い」ですが、さすがに内容が行き届いていましたね。あっという間の3時間でした。樋野先生の仕掛け人ぶりには舌を巻きました。』、 『「日野 樋野ワード」堪能させて頂き幸せです。――-、無垢に真摯に医療に向かう人または多くの人を魅了していくのですね。――― 読書会提案も流石。』、『神谷先生が「病気を診ることだけでない、患者の心を診ていたこと」に樋野先生のお考えが重なっていてそのことが先生が遠く訪れることになったのかと思いましたが何よりも新渡戸先生がほっぺをつねったお嬢様のことを思ってのことだとも思いました。』、「日々の生活を考え直す良いお話を聞かせていただきありがとうございます」との温かい激励のコメントが送られてきた。

<がん哲学外来メディカルカフェあずまや>1周年記念イベントの為、大坂で途中下車した。筆者は、特別講演『「がん哲学外来」はどのようにして誕生したのか~「医療のオアシス」~』の機会が与えられた。ここでも、「苦労を常に生きがいに転化させて人生を充実させる」(神谷美恵子)を実践されているがん患者に出会った。まさに、『存在の重み』(神谷美恵子)の学びである。

新年雑感(0025)

2014年01月15日 | 外来待合室
今日は1月15日です。今年になって大雪が続いており、毎日除雪をしています。
ほぼ毎日が降るのでやってもやっても雪が積もってせっかく除雪した場所がまた雪に埋もれてしまいます。こういう時は除雪は自分に課せられたなんかの罰ゲームかな、と思ってしまいます。その昔、ナチの拷問の一つに水汲みというのがあったそうです。水を汲ませ、そして捨てさせる。これを繰り返すと人間は精神が破壊されるそうです。大雪時の除雪も、このナチの拷問に近いと思う時もありますが、こっちは人為的なものではなく、単に自然のなせる行ないにしかすぎません。

アラスカの自然や動物を撮った写真家星野道夫さんは、写文集・星野道夫の宇宙の中で、「人間の世界とは関わりのないそれ自身の存在のための自然。アラスカの持つその意味のない広がりにずっと魅かれてきた。」と自然とわれわれ人間との関わりを述べています。つまりわれわれが自然というものをどう思おうと自然は自然さ、という事実を述べています。

しかし同時に「無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じとることができる。自然とはなんと粋な計らいをするのだろうと思う。」と、そして「一年に一度名残り惜しく過ぎゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかも知れない。」と続けています。

暦で1年の終わりや新しい年の始まりを知るのは当たり前のことですが、季節の移り変わりで1年という時の移ろいを感じることがあっても良いのかも知れませんね。
そして、「時々、遠くを見ること。それは現実の中で。悠久なるものとの出会いを与えてくれる。」(星野道夫・同)この言葉を心に刻みつつ新しい2014年の始まりを祝します。
皆さん、今年もさっぽろがん哲学外来をヨロシクです。(J)

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。