新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

12月例会の様子です(0080)

2014年12月27日 | 集まりの様子
*写真をクリックすると別画面で大きくなります。

まずは連絡事項です。
礼式のひとつで立会の時の「ちぎりを切る」しぐさ。
熱心にお話をされる講師の瀧元先生。
居合い抜きの再演。後ろの席の方のためです。
講演後の質疑の一場面です。

12月20日(土)、12月例会を開きました。今年の〆の講演は「礼法としての武から、こころとからだについて考える」というタイトルで、札幌大学 文化学部 スポーツ・武芸文化論担当の瀧元 誠樹先生をお迎えし、90分の熱血講演となりました。今年の最後を飾るにふさわしい講演になりました。瀧元先生には改めてお礼申し上げます。

さて、礼法とは何でしょう。礼法とは礼儀と作法のことをいい、小笠原流礼法の三十一世宗家小笠原清忠氏は著書「武道の礼法」の中で『立ち居振る舞いという動作は、その場その場で実際に役立たなければなりません。無駄を省き、効率的で、その時に一番ふさわしい動きをすると、それが見ていて美しい動きとなります。
「実用・省略・美」が一体になったとき、初めて美しく正しい動作となって映ります。

礼法は心に対して形と言われますが、形とは何でしょうか。実用と省略と美、これがあらゆる事態に即応できるように予想されたものが本当の形なのです。(中略)心が相手に対して向かうとき、その心の本当の姿を体が受け取り、結果として表に形として示されるのです。』と書いております。

礼法は虚栄、虚飾などの「虚」でなく、「実用・省略・美」が一体になったものとのことです。また、虚と一線を画く「実用と省略」は武の特質ということでしょうか。

一方、武を極めていくと「無敵」という境地に達するとのことです。この無敵とは敵のいない最強の私ではなく、我なし・敵なしのこと、ニュートラルとのことで、要は自我がなく自然に体が形(正しい動作:実用・省略・美)に従って動くことでしょうか。このへん、西洋の「われ思う ゆえにわれあり」ではなく「われあり ゆえにわれ思う」の東洋スタイルとも言える?

稽古と修行の違いも印象的でした。稽古とは自己形成のため、修行とは自己否定のため、ということですが、無敵へのステップとしては修行なのでしょう。
今回の講演では瀧元先生が実物の真剣(美術品登録済)を持ち込んでの居合いを披露してくださいました。

刀とは要するに人斬り包丁、鈍く光る刀身やしっかりと意識しないと引き込まれそうな切っ先などをこの目で見ると、文字通り命を賭ける真剣勝負ではやはり心を鍛錬し、修行によって無敵の境地にまで自己を高めないと心の平安は得られないだろうと思った次第です。

さて、がん哲学として今回の講演の意味をちょっと考えてみました。今回には乳がん闘病中の方も参加していただいておりました。なので、礼式、武道、無敵等々今回の講演のキーワードがどう受け取られているのか、とても気になったのです。

慶大病院の放射線医師が「患者よがんと闘うな」という本を2000年に出して以来、「どうせ死ぬならがんがいい(2012年)」、「余命3ヶ月のウソ(2013年)」と一貫してがん避戦論を唱えています。建前ではがん治療の選択は患者さんに委ねられているので、この医師の勧める方法を取ることも可能ですが、実際には主治医の主導によって治療が進められるのがほとんどではないでしょうか。
つまるところ主治医の勧める治療を受けるか受けないかのYES or NOだけの選択肢なので本当に患者さんの身になった治療と微妙なずれがあるのでしょうが、現実には患者さんの無知(当然ですが)もあって、思っている以上に治療の選択肢は少ないのではないでしょうか。

従ってがんを宣告された時、これは武術で言えば、心構えもないままに無理矢理に命がけの真剣勝負に引きずり込まれたようなもののように思えます。
第2次世界大戦の時のイギリスの首相、チャーチルは、「恐怖から逃げてはいけない。逃げると恐怖がいつまでも追いかけてくる」と言いました。私はこのチャーチルの言葉ががん治療においても基本的な心構えだと思っています。
つまり「逃げないで真正面から向き合う」ことが心細く疑心暗鬼になっている自分を心底納得かつ安心させるキーワードではないでしょうか。

治療という言わば真剣勝負に対する上での基本的なことがすーと腑に落ちていく、もちろん無敵の境地には達するわけはありませんが、少なくとも今回のお話のような世界があること、そして多くの先人や覚者がまさに無敵の境地を得んものと日々努力をしていることに思いを馳せるだけでも、心細いことこの上なしの孤独ながん治療の助けになるのでは、と思いました。

事前準備に相当の時間をかけ、周到かつ思いがほとばしる熱血講演をしてくださった講師の瀧元先生に感謝です。ありがとうございました。

がん哲学校たより・44(0079)

2014年12月25日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2014.12.20配信)

第90回「がん哲学学校」
教養の普遍性~いい覚悟で生きる~

先週の日曜日の午後、定例の読書会が開催された。「樋野先生をリ-ダ-として『武士道』読書会も早7年の節目を迎えました。新渡戸稲造の『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳)も3回目の学びを昨年より初めております。又、同時に『後世への最大遺物/デンマルク国の話』(岩波文庫、内村鑑三著)も交互に学んでおります。一人では読破困難な著書も樋野先生のとてもユニ-クでわかりやすい解説と様々な方々とのお交わりの中で過ごすひと時は格別なものです。」と、心温まる市民・主婦にも紹介され、今回は『武士道 第六章 礼』であった。多数の参加があり、本当に楽しい一時であった。年代を超えて日々勉強である。

また、「南原繁研究会」主催の読書会(第128回)が、霞が関高層ビルで開催された。128回も継続とは、既に10年は経過したことになる。 今回は、『聞き書 南原繁回顧録』の「学問と現実」から「南原先生を師として」までを学んだ。読書会後は、忘年会もあり、「同好の志」との大変、有意義な語らいの時であった。時代は、「今、ふたたび、新渡戸稲造・南原繁 !」の様相であり、「新渡戸稲造・南原繁の教養~いい覚悟で生きる~」の時代的到来を再確認した。

順天堂大学は、この度、【2015年4月開設決定】国際教養学部の設置が認可された(
http://www.juntendo.ac.jp/news/20141218-01.html)。「国際教養学部 開設記念シンポジウム」も、来年は企画されることであろう。『「な すべきことをなそうとする愛」は、「高き自由の精神」を持って医療に従事する私たちへの普遍的な真理である。「他人の苦痛に対する思いやり」は、医学・医 療・教育・研究の根本である。「古き歴史と日新の科学」を踏まえて、次世代の新しい精神性として改めて問い直す時代の到来である。人間の尊厳に徹した医 学・医療・教育・研究の在り方を考え、「潜在的な需要の発掘」と「問題の設定」を提示し、「医学・医療・教育・研究」に「新鮮なインパクト」を与える』ことが「国際教養学部」の目的であろう。「国際教養学~人生のversion upの邂逅~」である。
筆者は、全国の小・中学校関係の雑誌に『人の生と死からみた今後の教育の向くべき方向』を執筆する機会が与えられた。『最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである』とは、「教養の普遍性」であろう。

12月例会のお知らせ

2014年12月14日 | 開催予定
早いもので今年最後の例会となりました。多くの皆さんの参加をお待ちしております。どうかよろしくお願いいたします。

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日時:12月20日(土)
13時半受付開始 14時スタート

場所・会費
愛生舘サロン(中央区南1西5 愛生舘ビル6F)
1000円(コーヒー付き)

内容
1.講演 14時~60分程度
「「礼法としての武から、こころとからだについて考える」
札幌大学 文化学部 スポーツ・武芸文化論担当 瀧元 誠樹先生

・内容案内(中里)
日本には礼式という作法がありますが、正しくからだを動かす意味というか重要性を我々は忘れています。
ついつい頭優先、頭でっかちの行動を取る傾向かありますが、武術はからだを中心に据えた
心身共の心構えであり、人生の生き方であり、健康術でもあると思います。今流行の「身体性」そのもの
ですが、それも日本武道の長い歴史を通して絶えず研究・洗練されてきた実践の学でもあると思います。
具体的な武術の体の動きや礼式での体の動かし方を通して、それらのこころやことばへの影響を
教えて頂けるのと同時に、がんという病への武術的腰の据え方も皆さんと一緒に考えて
いけたらいいな、と思っております。また、瀧元先生は、刀を振ったり体の動かし方の
実演も考えられておられるとのこと。瀧元先生を中心に大いに学び楽しみましょう。


2. 懇談・相談・連絡 15時過ぎ~16時

連絡先
中里
0164-58-8800(faxのみ)
jnakaz@agate.plala.or.jp

がん哲学校たより・43(0078)

2014年12月14日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2014.12.14配信)
第89回「がん哲学学校」
「学問のみならず人格的な研鑽」~「勇ましき高尚なる生涯」~

先週、『内村鑑三記念「がん哲学外来」3周年公開シンポジウム「がんに聴く」』
(主催 がん診療連携拠点病院 独立行政法人 国立病院機構 沼田病院) に招かれた。「がんサバイバーって、何?」(小嶋修一氏;TBSテレビ報道局解説委員、報道局エキスパート部長、JNN「報道特集」担当)、「乳がんを体験して学んだこと」(本田麻由美;読売新聞東京本社編集局社会保障部 次長)に続い て、筆者は、「がん哲学外来~がん医療における対話~」を講演する機会が与えられた。お二人の講演は本当に、心に浸みるものであった。まさに、内村鑑三の 「勇ましき高尚なる生涯」の実践であり「格調と品性」のある、極めて充実したシンポジウムであった。継続の大切さを、改めて実感する一時であった。

「がん哲学外来 福岡メディカルカフェ」の開設記念で、「がん哲学外来の対話~砕けたる心、小児のごとき心、有りのままの心~」を講演する機会が与えられた。その後、当時、九州大学医学部病理学の教授であり、2003年の日本病理学会総会会長で、「吉田富三生誕100周年記念」を企画して頂いた、純度の高い病理学者:恒吉正澄先生と久しぶりに夕食しながら会話をした。翌朝、九州朝日放送 (KBCラジオ) の番組「Morning Wave」でアナウンサーの取材を受けた。

山梨大学医学部3年生の特別講義「がん哲学~医師の2つ の使命~」に赴いた。内科学教授の榎本信幸先生の胆力には感動した。病理学教授の加藤良平先生も、拝聴して頂き感激した。「素晴らしいご講義を頂き誠にあ りがとうございました。学生たちも非常に感銘を受けており、将来の医学、医療の修練においてまたとない刺激になったものと、感謝申し上げております。― 少しでも先生に近づくべく学問のみならず人格的な研鑽をつむべく決意を新たにいたしました。」、「味のある授業で興味深く拝聴しました。」。との激励を頂いた。

「がん哲学外来 お茶の水メディカルカフェ in OCC」は多数の参加者があった。今回は、「Christmas Special」として音楽ゲストの歌を聴いた後、「お茶とケーキ」を頂きながら、クリスマスを祝った。筆者の医学生時代に、来日中に出会った、スイスの医師ポール・トウル二エの『聖書と医学』について、触れた。

がん哲学校たより・42(0077)

2014年12月06日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2014.12.6配信)
第88回「がん哲学学校」
内村鑑三・新渡戸稲造・吉田富三~がん患者の心の診療室~~

先週の日曜日の午後、都内の町田の教会で、特別講演会『が ん哲学への道~がん哲学外来から広がる、ことばの処方箋。内村鑑三・新渡戸稲造ら偉人たちと「がん哲学」~』をする機会が与えられた。会場は、多数の参加 者があり、講演後は、お茶を飲みながら参加者との、大変充実した懇親の一時であった。今後、「がん哲学外来カフェ」が、牧師夫人を中心に市民のスタッフ で、自主的に、常設されることが決まった。一周年記念には是非、参加したいものである。

「新渡戸稲造記念 がん哲学外来 メディカルカフェ in 盛岡」が開催された。新渡戸稲造の故郷での企画であり、筆者は、万難を排して参上した。盛岡メ ディカルカフェ顧問である加藤誠之先生(岩手県立中央病院がん化学療法科長)、杉山徹先生(岩手医大産婦人科学教授、腫瘍センター長)のご挨拶に続き、筆 者は、講演「がん哲学外来~新渡戸稲造に学ぶ~」をする機会が与えられた。会場は、患者さんを含め一杯で、熱気に溢れ、人生の忘れ得ぬ想い出となった。

都内のお寺で、『がん哲学外来・カフェ~「人間的な責任」で手を差しのべる』講演をする機会が与えられた。お寺の本堂で、講演するのは、初めての経験であった。筆者は、内村鑑三著『代表的日本人』の「日蓮上人~仏僧~」について、触れた。お坊様達が、熱心に聴いてくださり、大いに感銘した。その夜は、「国会クリスマス晩餐会」(ホテル・ニューオータニに於いて) に、wifeと参加する機会が与えられた。同じテーフルには、駐日外交団長 (サンマリノ共和国特命全権大使) と、駐日イスラエル大使と同席であった。とても大切な、国際的な文化交流の場であり、人間として「多様性の統一」を学ぶ貴重な一時であった。

福島県立医科大学で、医学生への「医療と社会(臨床倫理)」の授業で、「吉田富三 がん哲学外来~がん患者の心の診療室~」を講義する機会が与えられた。熱心に聴き入る医学生の姿に触れ、「がん対策推進基本計画」(第2期=平成24年閣議決定)の「5年以内の実施」で盛り込まれた「がん教育」の在り方を静思した。授業に先だって、患者・家族の方と、スターバックスのお茶を飲みながら「吉田富三記念 福島がん哲学外来」(臨床腫瘍センター)を実践した。

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。