新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

がん哲学校たより (0126)

2016年08月13日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2016.8.13配信)
第176回「がん哲学学校」

「手の届く限りに於いて 手をつける」 〜『誠実・手腕・洞察力・気骨』〜



「内村鑑三記念 メディカルカフェ・沼田 がん哲学外来」 & 「矢内原忠雄記念 本郷通りカフェ」に赴いた。『「内村鑑三を敬愛する病理学者。がん学を専門とし、医療の「すき間」を埋めるため、「偉大なるお節介」を信条とし日本で初めて「がん哲学外来」を開設。がん難民の救いのため、全国にその輪を広げることに努めておられます。」と紹介されていた。「矢内原忠雄記念本郷通りカフェ」も、今後、毎月、開催されるとのことである。感激である。まさに、「手の届く限りに於いて手をつける」(矢内原忠雄)の実践である。筆者の若き日の夜を徹しての読書の対象は、「内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄」の 4人のみであったと、言っても過言でない。筆者を引きつけたのは、4人の感化力を備えた『誠実・手腕・洞察力』と、「歴史的の社会変動期」における、ぶれぬ『気骨』である。筆者の「言葉の処方箋」の源泉は、ここにある。



「がん哲学外来 in 県中“やまの日”講演会 第1回 富山県立中央病院 がん哲学外来 〜 愛情・配慮・寄り添い〜」(富山県立中央病院)が、開催された。富山県立中央病院 緩和ケアセンター長 渡辺俊雄先生の <オープニング>に始まり、 <セッション1>の、「富山県立中央病院 がん哲学外来の これからーー」(富山県立中央病院 緩和ケアセンター 竹川茂先生)に続いて、<セッション2>で、筆者は、『あなたのことを 想ってくれる人が そばにいる』のタイトルで、講演の機会が与えられた。<セッション3> では、「メディカルカフェ“緩(ゆる)り”」が、企画された。その間、筆者は、入院患者のベットサイドで個人面談を行った。会場は、金沢大学の医師、金沢の市民の参加もあり、大盛況であった。今後、定期的に、毎月、開催されるとのことである。



冨山から、福井県済生会病院での5周年記念ともなる「浅井三姉妹記念 がん哲学外来」に赴いた。悩める患者・家族と『対話』しながら、時折、難問には、「内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄」の「助言」を求めた。開設から、5年とは、当時を想い出しながら、スタッフの情熱と胆力に、感服した。11月には、「北陸 3県(福井・金沢・冨山)がん哲学外来」合同大会が、金沢市で、開催されるとのことである。歴史な大事業ともなろう。乞うご期待である。

がん哲学校たより (0125)

2016年08月08日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2016.8.6配信)
第175回「がん哲学学校」

教育とは 〜「空っぽの器の場の設定」〜
「がん哲学外来 新百合ヶ丘メディカル・カフェ 3周年記念 講演会」(新百合ヶ丘21ホール)に赴いた。福田護先生(聖マリ
アンナ医科大学附属研究所ブレスト&イメージング先端医療センター附属クリニック院長、新百合ヶ丘メディカル・カフェ顧問)による講演、桜井奈緒美氏(資生堂ライフクオリティービューティーセンター Makeup Carist)による「がん患者さんのためのカバーメーキャップ」の講演に続いて、筆者も講演の機会が与えられた。大盛況あった。

2016年 がん診療連携拠点病院機能強化事業 公開講演会「新病棟完成記念・内村鑑三記念がん哲学外来5周年記念」(沼田病院地域医療研修センターに於いて)に赴いた。独立行政法人国立病院機構 沼田病院院長前村道生先生の座長による『痛みのミステリー』(小山なつ先生:滋賀医科大学准教授)の話は、「身体性&情動性の痛み」についての新鮮な学びとなった。その後、がん診療部長見供修先生が座長になって下さり、筆者は「がん哲学外来の処方箋〜あなたはそこにいるだけで価値ある存在〜」のタイトルで、講演を行った。沼田利根医師会の先生の『来賓のご挨拶』、また、患者会「地域がんサロンぐんま」、伊勢崎市民病院、群馬大学の医師、看護師の参加もあり、会場は、満席であった。

EMF サマーキャンプ 2016(香川県青年センターに於いて)での講演「人生の邂逅の3大法則〜良い先生・良い友・良い読書〜」に招待された。『勝海舟・新島襄・内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄・吉田富三』について語った。
今度、『矢内原忠雄記念 本郷通りカフェ』(ゆい訪問看護ステーション)が開設されるとのことである。矢内原忠雄 (1893~1961)(東大総長:1951~1957)の「本郷通りに、悩める学生の為に、カフェを開くのが、夢」の実現化でもある。矢内原忠雄は、夢果たせずに、胃癌で亡くなった。新渡戸稲造(1862~1933) は、第一高等学校の校長の時(1906-1913)、「学生は、校長室は敷居が高いので、相談に来づらい」と、学校の近隣に、木曜日の午後、カフェの場所を設定し、そこには、当時、第一高等学校の学生であった矢内原忠雄も、参加していたと、筆者は、若き日から教わった。教育とは「空っぽの器の場の設定」でもあろう。

がん哲学校たより (0124)

2016年08月01日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2016.7.23配信)
第173回「がん哲学学校」

健全な教育の器 〜心優しく、俯瞰的な大局観のある人物 の育成訓練の場〜

『病気であっても、病人ではない 〜人生から期待されている存在〜
』(目白町教会に於いて)で、講演する機会が与えられた。多数の参加があり、大変有意義な時であった。聴講されていた医師夫妻の真摯な眼差しに触れ、今後、『目白町
がん哲学外来カフェ』が、奧様を中心に、定期的に開催される予感がした。

『ゆい訪問看護ステーション』開設記念懇親会(東京ドームに於いて)に招待された。所長の情熱によって、今年、『日本地域医療連携システム学会』(11月5日 第
1回シンポジウム)が設立された。また、『日本Medical Village 学会』(9月12日 第1
回公開シンポジウム)の設立の後押しも頂いた。これらは、『医療維新の事前の舵取り』となろう。『一人の人間を癒すには、一つの街・村が必要である=医療の協働体』の実践の歴史的な一歩でもある。まさに「ユーモアに溢れ、心優しく、俯瞰的な大局観のある人物の
育成訓練の場」でもあろう。

まさに、筆者にとっては、帰宅中の夜に、定例の『池袋がん哲学外来・帰宅中カフェ』(Svenson
に於いて)に立ち寄った。会場のカフェ・個人面談とも、満席であった。カフェの認知が浸透して来たと思えた。継続は、大切な、人間の行為であることを、痛感する日々である。次回は、第
10回記念である。記念講演「がん哲学外来の役割〜チャウチャウ犬の風貌と対話力〜」とのことである。

『企業における、がん哲学の役割〜暇げな風貌と対話力〜』(東邦ホールディングスに於いて)の特別講演会に招待された。会場は、満員であり、有意義な質問もあり、充実した時であった。日本の大企業の中で、『がん哲学外来カフェ』が常設されたら、社員にとっての、『対話力』の「健全な教育の器」にも活用され、「日本肝臓論の実践の場」、「
21世紀の日本国の事前の舵取り」ともなろう。『21世紀の新渡戸とならん』(2003年 発行)が、今、具象的に甦る。

土曜日午後は、『病床にも知恵有り〜人生が拓ける〜』(四国がんセンターに於いて)の講演である。「練られた品性と綽々たる余裕」・「愛の生みたる不屈の気性」
は、「人知・思いを超えて進展する」ものであるとの修錬でもある。

がん哲学校たより (0121)

2016年04月30日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2016.4.18配信)
第159回「がん哲学学校」

『がん哲学外来の 心の持ち方 10ヶ条』
週末の午後、市民公開シンポジウム『がん哲学外来~純度の高い専門性と丁寧な大局観~』(品川プリンスホテルにおいて)が開催された(主催 スヴェンソン、共催:資生堂)。菊池峰子 アナウンサーの総合司会の下、兒玉義則(スヴェンソン社長)の開会挨拶で始まり、大西秀樹先生(埼玉医科大学国際医療センター精神科教授)の基調講演『がん患者さんと関わるために~私たちができること~』は、『心の診察』を行う精神腫瘍医の丁寧な実践であり、大変勉強になった。座長の安藤潔先生(東海大学医学部血液・腫瘍内科教授)の総括も、格調高いものであった。まさに、『純度の高い専門性と丁寧な大局観』であった。

第2部 パネルデイスカッション『純度の高い専門性~美容哲学~』は、パネリスト:コシノジュンコ氏、桐島洋子氏、里岡美津奈氏、澤田保子氏、コーデイネーター:秀村晃生先生(関東労災病院外科部長)、根岸ゆきえ氏と、豪華な顔ぶれで、大変充実した一時であった。筆者は、総括の機会が与えられた。『がん哲学外来へ ようこそ』(新潮新書発行)から抜粋された『がん哲学外来の 心の持ち方 10ヶ条』が、プログラムと一緒に配付されており、大いに感激した。

第1条:自分を心配するのは一日一時間でいい
第2条:「病気」であっても「病人」ではない
第3条:患者に必要なのは覚悟
第4条:夫は「心の冷たさ」に注意、妻は「余計なおせっかい」に用心
第5条:困難にある人の笑顔は、周囲を慰める
第6条:人生の目的は、品性を完成すること
第7条:がんは治療でしか「消え」ない
第8条:抗がん剤は、苦しかったらやめてもいい
第9条:冷たい医師にもいい医師がいる
第10条:人間は、最後の5年間が勝負

まさに、『あなたは そこにいるだけで 価値ある存在』(KADOKAWA発行)のシンポであった。会場は多数の参加者で埋まり、来年も継続されるであろう。


がん哲学校たより 番外編 (0119)

2016年02月21日 | 樋野先生からのメッセージ
<ヤフーニュース・デイリー新潮から転載しました>
「妻のおせっかい」「夫の冷たさ」ががん患者を悩ませる
がんになった人にとって、がんよりも悩ましいものがあるという。
 それは、人間関係。
 本来ならともに病気に立ち向かうはずの家族や親戚、知り合いとの関係に思い悩む患者が急増しているのだ。
 がんにまつわるあらゆる相談にこたえる「がん哲学外来」の担当医で、順天堂大学医学部教授の樋野興夫氏は次のように分析する。

「順天堂医院(順天堂大学病院)にがん哲学外来が発足した2008年には、患者の悩みはがんの不安、職場での人間関係、家庭内での人間関係がちょうど三分 の一ずつでした。職場での悩みは幸いなことに減少傾向にありますが、人間関係、特に家族との関係で悩む相談者は増える一方です。なかでも突出して多いの は、『妻の余計なおせっかい』に悩む夫と、『夫の心の冷たさ』に苦しむ妻という構図でしょう」

「妻の余計なおせっかい」は例えば、がんである夫の気持ちをどこかに置き忘れてしまい、テレビや雑誌で知った「がんに効く食事」や「毎日するといい健康法」などを、妻が無理やり実践させるケースだという。(以下、「」内は樋野教授の『がん哲学外来へようこそ』より)

「消化器系のがんを患っているのに、『あれを食べなさい』『これが効くらしいから毎日飲んで』『一生懸命つくったのよ』とうるさく言われて辟易した夫がい ました。何とか体力を回復してほしいという妻の思いは間違ってはいないものの、これでは患者当人にとって大きな負担になってしまうでしょう。
また、がんになった夫は病状を客観的に把握しているのに、妻のほうが心配ばかりしてあれこれ口出しするということもあります。『親戚には言わないでおいた ほうがいいかしら』とか『入院費は何とかなるのかしら』などと妻がオロオロし続け、夫の苦しさと直接関係しない『自分の問題』ばかりを口にしたら、せっか く前向きになった夫の気持ちも萎えてしまうというものです」

 一方で、「夫の心の冷たさ」も深刻だという。例えば、妻に家事をすべて頼っていた夫が、がんで家事が満足にできなくなった妻に対し、不満を露わにするようなケースが目立つ。

「もちろん夫も、がんになって大変な妻を理解しなければいけない、とわかっています。しかし、知らず知らずイライラを溜め込み、妻に冷たい態度を取ってしまうのです。

 妻が毎日家で『つらい』とか『悲しい』と言って嘆くため、夫は帰宅するのがおっくうにと感じ始めます。外で忙しく働く夫の立場に立ってみると、妻のこと を理解したい気持ちは山々でも、リラックスしたい場所で塞ぎ込まれてはたまったものではありません。そういう場合、夫はだいたい『残業だ』などと言って仕 事に逃げ込み、妻の孤独感をさらに募らせます。極端な場合は、女性問題を起こしたりすることもあるのです。

 また、普段口下手な夫の場合、悪気なくかける『どこが痛いんだ?』『本当に大丈夫なのか?』『頑張れよ』などという言葉が、かえって妻を傷つけてしまう事例も見てきました」

 ここまでの事態になっていなくとも、「がんになった家族にどう接したらいいのだろうか」と深刻に悩む人が少なくないのだ。

 樋野教授はこうアドバイスする。

「たとえ家族でも、何でも気兼ねなく話せる雰囲気作りをすることは簡単なことではありません。そのためにも、がんに限らず、『病気は感情のひだを繊細にする』ことを誰もが知っておくのがいいと思います」

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。