新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

まずは気(波長)を合わせるところから(0004)

2013年08月29日 | 集まりの様子
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8月24日に行われた第1回会合での丸山先生の面白くてためになるお話を紹介します。初回は「気(波長)を合わせるところから」編。当日のお話を再現してみます。

・馬2頭が波長が合えば5馬力、合わないと0.5馬力とか共倒れになる。

・気(波長)が合うかどうかが愛。がん哲学は愛。愛とは味方になること。波長を合 わせること。同調すること。

・愛と可愛がるとは違う。可愛がるということは相手の意思を認めないことで専制君 主の支配観念と言われている。

・相手をコントロール出来れば可愛い、出来なければ可愛くない。

・自分の力と相手の力が合わさると力が3倍にも5倍にもなる。

・認知症の患者さんと隣り合わせになった時に何も合わせられないかというとそうでない。心臓の鼓動を合わせられる。もっと簡単には呼吸を合わせられる。
相手が息を吐いたときに一緒に合わせる。そうすると電磁波なのでだんだん波動が同調してくる。

・同調してくると非常にその人の助けになる。今まで言えなかったことを 言ってくるようになる。隣に座って呼吸を同調してあげると雑音が消えてきちっとなる。これが気が合うということ。

・がんの患者さんの隣に座って波長(気)を合わせるだけで、その人にとってものすごい力になる。

・波長の合わないヤツが隣にいたらどんどん引っ張られる。で、この波長の合わない夫婦が多い(爆笑)。合わす気がないのか。おやじが息を吐いたら一緒になって吐くのではなく、吸ってやるという奥さんが多い(爆笑)。

・最小限一緒に座って一緒に息を吐けばそれだけで助けになる。
(分かり易くするため一部お話の前後を入替えています。文責:J)

第1回会合(8/24)を開催しました(0003)

2013年08月26日 | 集まりの様子
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新渡戸稲造記念さっぽろがん哲学外来の記念すべき第1回会合を8月24日に開催いたしました。
出席者は20名、第1回は準備会合の意味合いもあって、患者さんと家族限定ではなく、一般の方を対象ということになりました。会合は丸山医師の「がんとはなんだろう」というタイトルでの講演を種火にして自然な雰囲気で参加者間での話し合いになりました。

丸山先生のお話は、出席者の中から、職業は医師、および落語家、という言葉も飛び出すほど、タイトルの難解なイメージはお話が始まってからすぐにどこかに飛んで行ってしまい、がん哲学の実践方法について、分りやすくまたユーモアたっぷりにガイダンスして頂きました。別途、このブログの待合室コーナーで順次、丸山先生の面白くてためになるお話を紹介していきたいと思っておりますのでご期待ください。

さて、今回の会合は患者さんやご家族の方ではないと思っていましたが、それは大きな間違いでした。多くの参加者の方のご家族や親兄弟の中にはがん患者さんがいてつらい思いをされてきたことが、それぞれのお話で明らかになってきました。
それはまさに、私にとってはブッダの有名な「キサーゴタミーの物語」そのものでした。この物語は仏教の言う「愛別離苦・愛する者と分かれなくてはならない苦しみ」と癒やしをキサーゴタミーという子供を亡くして気がおかしくなった若い母親の行動を通して教えているわけですが、それが今回の会合で再現されていたという奇跡が起きたのです。

私自身は7年前にカミサンを乳がんで亡くし、その後自分一人で喪失の荷物を背負ってきたつもりでいたのですが、それが、この日、そういう荷物を背負っているのは自分だけではない、と実感し、参加者の皆さんと無言のうちに分かち合うことにより癒やされました。

まずは、寄り添うことから。気を合わせることから。哲学とは愛。愛とは相手に呼吸を合わせること。という丸山先生のお話を身をもって体験することからスタートできた私たちの活動はきっと上手くいくと確信しました。(J)

丸山淳士医師:札幌医科大学卒業後、門別国保病院、斗南病院の勤務医を経て、1980年に札幌で、「五輪橋産婦人科小児科病院」を開業。スポーツ、写真、音楽と幅広い趣味でも活躍中

がん哲学外来の動き・その1

2013年08月07日 | 外来待合室
***外来待合室では主に樋野興夫先生の著書「がんと暮らし人のために」での小テーマをヒントにがん哲学の知恵を勉強したいと思います***
第1回目は、「がん哲学の動き・その1」として、がん哲学という分かりづらく、取っつきにくいけれども、全国的な動きの勢いが増しているこの活動について紹介したいと思います。
・添付写真の紹介

写真は小さくて見づらいですが、全国各地でのがん哲学外来の分布です。北海道には札幌以外に帯広にあります。

・がん哲学の「哲学」とはなんだろう・・・「がんと暮らし人のために」P68、69から抜粋
「哲学」という言葉を聞くとみなさんは何を思うでしょうか。何か特別なこと、堅苦しいこと、難解なことのように思い・・・けれども「哲学」は、私たちと無縁に存在するわけではありません。
・自分の頭で自分の人生を考えること。それが哲学だと、私は思っています。
・人生をより良く生きようとすること。それも哲学です。
・・・そう考えたら、哲学は誰にでもできることだし、誰もが関心をもっていいことのように思えてきませんか。
・・・がんのような大病をわずらうと、自分の人生が限られたものであることを実感します。
・・・がんになるのは不幸なことにはちがいありません。しかし、がんの経験が、自分に、いかに生きるかを真剣に考えるきっかけを与えてくれたと思えば、その後の生き方はまったく変わってきます。

・なぜ、がん哲学なのでしょうか・・・「がんと暮らし人のために」P7から抜粋
「患者さんの「心」という分野こそが、現在の医療でカバーできていない隙間だったのです。そして、「心」という分野へとアプローチできるのは、医学でもなければ心理学でもない、哲学であるという結論に達したのです。」

・・・まだまだ樋野先生の熱き思いは続きますが、今回はこの辺でひとまず終わります。


がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。