新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

がん哲学校たより・26(0055)

2014年05月10日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.5.10配信)

第58回「がん哲学学校」
次世代のがんチーム医療のオアシス~奥ゆかしい立ち居振る舞い~

先日の連休は、父の一周忌〈2013年5月5日死去、享年92歳〉で帰郷した。久しぶりに,母(91歳)、 姉、親族と大いに語らった。丁度、夏休みで帰国してきた息子とも久しぶりの再会の場となった。甥、姪は、息子に「魚釣りを教えてもらったり、散歩に連れて 行ってもらい鬼ごっこをしたり」と、「目をキラキラさせて喜んでおりました。」とのことである、甥、姪達にとって,息子は、まさに「塾長」的存在であった ようである。wifeの手作りのケーキも「あごの落ちるほどのおいしいケーキ」と大好評であった。義理の兄が,筆者の『がん哲学』〈2004年〉の出版を記念して植えた「しだれ桜」が、この10年で大いに成長していた。義理の兄には、「偉大なるお節介症候群認定証」を謹んで授与した。一方、小庭の石碑:特攻隊で若き命を散華した叔父の辞世「花は咲き,実を永劫に結ぶ那れ」(1944年2月20日)を見つめながら、改めて人生の儚さを静思した。

筆者の故郷:鵜峠(うど)は、空き家率 60%、全人口 60人にも満たない。隣りの鷺浦〈人口180名? 空き家約60軒〉には、空き家を利用して「アートギャラリー」、「カフェ」が開店されていた。昔って、北前船の港で栄えた鷺浦港を地元の人の案内で、wifeと遊覧し、その後、「アートギャラリー」で善哉を食べ、「カフェ」(カフェの主人は、驚いたことに、イギリス人)で、昼食をした。今年は、イタリア人も移住されるとのことである。鵜鷺(鵜峠+鷺浦)(うさぎ)小学校は来年3月廃校(鵜鷺中学校は、既に廃校)とのことである。来年3月には、廃校記念講演会も開催されることであろう。小学校の跡地を有効活用し、いよいよ、Medical village(健康村)の具現化へと始動されることであろう。

広島大学医学部3年 生の特別講義「がん学~純度の高い専門性と社会的包容力~」に赴いた。寝る学生も少なく、真剣な眼差しで熱気があった。帰りの新幹線の中で全員のレポート を熟読した。真摯な文章には感激した。夜は、順天堂大学練馬病院での「オンコロジーカンフェランス:みんなで学ぼうがん治療!」で、特別講演「がんチーム 医療の学び~医療者の2つの使命~」をする機会が与えられた。会場は満員であった。順天堂大学練馬病院は、「次世代のがんチーム医療のオアシス:奥ゆかしい立ち居振る舞い」で、時代に輝くことであろう。

第一回「がん哲学外来札幌メディカルカフェ」が開かれました(0054)

2014年05月09日 | 集まりの様子
去る4月29日にカメイ札幌駅前ビル5F(札幌市中央区北4条西2-1-1)の㈱スヴェンソン札幌サロンで行われた第一回「がん哲学外来札幌メディカルカフェ」の様子をお伝えします。当日は樋野先生の講演『がん哲学外来~「人間的な責任 」手をさしのべる~』も行われました。その様子をスヴェンソンの責任者の方が投稿してくださいましたのでご紹介いたします。
なお、「がん哲学外来札幌メディカルカフェ」は我々の「新渡戸稲造記念さっぽろがん哲学外来」とは別の団体で、札幌に出来た2つめのがん哲学外来です。似たような名前でちょっと混乱しそうですが、お互い手を取り合って協力し、また切磋琢磨しつつ、がん患者さんたちのお役に立てばと願っております。がん哲学外来札幌メディカルカフェの立ち上げ、おめでとうございます。

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樋野先生の講演の様子です
意見交換の様子です
記念写真です

㈱スヴェンソン札幌サロンにおいて4月29日に第一回「がん哲学外来札幌メディカルカフェ」が開催されました。
開講記念として順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授 樋野興夫先生にいらして頂き、『がん哲学外来~「人間的な責任」で、手をさしのべる~』をテーマに講演を行って頂きました。
当日は患者様や乳がん、婦人科がん、ホスピスケアの会など患者会を運営されている方々、医療者では看護師様や先生など20名近い方々にご参加頂きました。もちろんその中にはこちらの新渡戸稲造記念さっぽろがん哲学外来に参加されている方にもお越し頂きました。講演後、『がん哲学外来』の主旨にもなっている、お茶を飲みながらゆったりとした雰囲気の中で患者様と医療者が静かに対話することにより、その隙間を埋めていくことを目指し、2グループに分かれ、カフェコーナーを行いました。よりよいメディカルカフェーにしていくにはどうしたらよいかの意見交換が行われ、その後グループごとの意見発表を代表者に行って頂きました。
最後に先生への質問コーナーや全員での記念撮影も行われ、樋野先生や参加頂いた皆様のおかげで、すばらしいスタートを切ることができました。今後も患者様やがん医療に関わる方々を対象に定期的に開催していきたいと考えております。<㈱スヴェンソン札幌サロン 源>



がん哲学校たより・25(0053)

2014年05月03日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.5.3配信)

第57回「がん哲学学校」
「全国がん哲学外来カルタ大会」開催の夢~『暇げな風貌』の心得~

広島での講演会『「がん哲学外来」~「人間的な責任」で手を差しのべる~』(メルパルク広島)の模様が大きく新聞に報道されたようである(“生きるための言葉 患者へ”中国新聞2014年4月30日付け)。早速コメントが届いた。『改めて「暇げな風貌」の境地に達していない自分を認識しました。どうも役人は、虚勢の「忙しげな風貌」を売りにしているような気がします。暇げな風貌の境地に達することができるよう、努力したいと思います。』、「記事を大変興味深く読ませて頂きました。中でも「患者や家族の悩みに耳をすます。その時に心掛けているのは『暇げな風貌』」とのこと。―――掲載されていたお写真を見ると、半分白い 眉毛が 八の字 (はちのじ) に 開き、見るからに、飄々とした、おおらかそうな感じの先生。マイクの持ち方も、人差し指と中指と親指の三本で、優しくそっと持たれていて、身体全体から、 優しさが溢れている様な方でした。―――「最高の医療を受けてもそれだけでは患者さんの心は晴れない。同じ人間として同じ目線で対話する場が必要」という 事を先生から提案して下さって、こんなに有り難い事はありません。是非 広島でも「がん哲学外来メディカルカフェ」が開かれる事を願っています。」などなど、本当に、涙なくして語れない。

「まちなかメディカルカフェ in 宇都宮」1周年記念講演『がん哲学外来の理念「わたしの目には、あなたは高価で尊い」』の新聞記事(下野新聞 2104年4月28日付け)も送られてきた。2008年1月 順天堂大学で試作的に始めた「がん哲学外来の理念= 広い心をもって、心優しく」が、徐々に浸透してきていることを肌で感ずる。まさに「がん哲学外来」は、「威厳のある怖い番犬」でなく「心優しい可愛いチャウチャウ犬」としてイメージされよう。そのうちに、「チャウチャウ犬をモデル」にした「がん哲学外来」のバッジが出現する予感がする。

先 週の〈昭和の日〉、「がん哲学外来・カフェ」開設記念講演「がん哲学外来~「人間的な責任」で、手をさしのべる~」〈札幌〉に赴いた。札幌では、「新渡戸 稲造カルタ」の作成が、進められているとのことである。いつの日か「がん哲学外来カルタ」も作成され、大々的な「カルタ大会」開催を夢見るものである。今日からゴールデンウィークである。筆者は、父の一周忌で、今から帰郷する。

がん哲学校たより・24(0052)

2014年05月03日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.4.27配信)

第56回「がん哲学学校」
「わたしの目には、あなたは高価で尊い」~がん哲学外来の理念~

第103回日本病理学会総会 (2014年4月24~26日) で広島に赴いた。筆者は、特別企画「病理学―復興・創生・展開・未来-」(広島国際会議場)で、「病理学~過渡期の指導原理と新時代の形成力~」を講演する機会が与えられた。「遺伝性がん から そして、環境発がん へ」 を語った。日本病理学会理事長、本学会会長の司会、筆者の恩師:菅野晴夫先生〈癌研究会顧問〉、若き日から、大変お世話になった田原榮一先生(広島大学名 誉教授)をはじめ、皆様のお話には、大変感銘を受けた。その日のランチョンセミナー「リンチ症候群(遺伝性非ポリポーシス大腸癌)の診断と対策」では、司 会の役を仰せつかった。翌日のワークショップ「病理医が一般人と会い、患者・家族に説明する意義は何かを考える」(ANAクラインプラザホテル)では、「医師の2つの使命~がん哲学外来~」を話す機会があたえられた。これを機に、「次世代のがんチーム医療を考える会~病理医〈懸け橋〉の役割~」が立ち上げられる予感がする。まさに「日本国の医療の隙間を埋める使命」である。日本病理学会総会の前日に、市民による講演会が企画され、『「がん哲学外来」~「人間的な責任」で手を差しのべる~』(メルパルク広島)を話す機会が与えられた。会場には、一杯の多数の参加者があり、患者さんも涙され、とても人間の尊厳に触れる、心温まる充実した一時であった。

岡山大学病院 腫瘍センター・総合患者支援センターの主催「第3回 がん哲学外来 in“桃太郎”がんメディカルカフェ」に立ち寄った。継続の大切さを痛感した。大阪では、「緒方洪庵記念 がん哲学外来」(スヴェンソン心斎橋サロン)が開催され、会場は溢れる大盛況であった。早速、「がん哲学外来・メディカルカフェは、時代から求められている気がします。福祉は大事ですが、夢や目標までは与えてくれません。このカフェでそれを取り戻す方も多いと思います。」などの、大いなる励ましのメールが届いた。「がんと診断された患者が1年以内に自殺するリスクは、診断されていない人の約20倍とする調査結果を国立がん研究センターの研究班がまとめた。研究班は、診断直後に適切なケアをすることが重要としている」(朝日新聞 4月23日付)とある。心のケアは極めて重要な課題である。今朝は、「まちなかメディカルカフェ in 宇都宮」1周年記念講演『がん哲学外来の理念「わたしの目には、あなたは高価で尊い」』である。

がん哲学校たより・23(0051)

2014年05月03日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.4.20配信)
第55回「がん哲学学校」
「福祉村」~「一人の人間を癒すのに一つ村が必要である」~

帯広の北斗病院主催で、講演「第2回がん哲学外来 in 帯 広~偉大なるお節介症候群~」(十勝リハビリテーションセンター)をする機会が与えられた。広い会場は多数の市民の参加もあり、大盛況であった。帯広の空 港から、十勝平野の広大な農地を眺め、たまたま、農家に立ち寄り、少しの語らいの時間が与えられた。大自然の中で、「世の流行り廃れに一喜一憂せず、あく せくしない態度」で、「綽々なる余裕」のある農夫の風貌に接した。今の日本国に大切なことは、「自らの強みを基盤」とした「一周遅れの先頭の責務」であることを再認識した。

講演に先立ち、院内で2組の患者さんと、それぞれ1時間づつ「がん哲学外来」を実施する機会が与えられた。今後、「北斗 がん哲学外来・カフェ」として、常設される予感がする。「一人の人間を癒すのに一つ村が必要である」を実践する「福祉村」を肌で実感した。何故か、3月、訪問の機会が与えられたロンドンの、緩和ケアの発祥であるSt. Joseph’s hospiceと,現代ホスピスの祖と言われるCicely Saundersが始めたSt. Christopher’s hospiceを、彷彿した。今夏にも、ロンドン視察ツアーが、企画される気配である。「新時代の医療の壮大なる構想」の具現化を感じた。今後は、「国際医療と国際教養との懸け橋~純度の高い専門性と社会的包容力~」を推進する為の「寄付講座」も開講されよう。まさに「志高く、心の広い、一廉の人物は国運をになう!」の「実例と実行」でもある。

翌朝、帯広駅から札幌駅まで、電車で向かった。筆者にとっては、初めての経路の旅であり、左手に、日高山脈、右手に大雪山を眺めながら,雪の蔽われた山々の壮大な自然に感動した。「俯瞰的な大局観」の学びの貴重な一時であった。

札幌では、講演「がん哲学~内村鑑三・新渡戸稲造の源流~」の機会が与えられた。思えば,筆者が、札幌で、初めて新渡戸稲造の講演をしたのは、2003年の新渡戸稲造没70周年記念講演会ではなかろうか? 『われ21世紀の新渡戸とならん』〈2003年〉を出版した時でもあった。それ以来、市民の方の招きで、機会ある事に、呼んで頂いている。ここにも「札幌農学校のクラーク精神」が、脈々と流れている。「がん哲学外来=対話学の実践」は「人間教育」の場でもある。

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。