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去る12月19日(土)に12月例会が開かれました。ここ2年ほど、12月例会には札幌大学の瀧元先生に講演をお願いしています。お話は古武道とか礼法とか、人間の身体部位を脳と体に分けたとすると、体の方のお話です。この分け方はもちろん養老孟司先生の脳化社会論に影響されておりまして、特に平成の世はパソコンやインターネットの発達により、グローバル化という社会の競争化が激しくなり、コンやと情報の詰め込みや分析能力のアップなど、一層の脳化社会が出現するようになりました。
がん治療の現場でもこの脳化社会は進み、患者さんやご家族は最善の結果を得ようとして医師や病院の評価はもちろん、治療法や治療成績などの情報や知識を様々な方法で入手し、治療の進展に一喜一憂しています。一言で言えば頭でっかちということでしょうが、自分自身がその渦中に放り込まれると当然、同じような行動を取ることは目に見えています。一旦、事あれば他人事ではないのです。
さて、そういった脳化社会ではやはり心身のバランスをとることがより一層重要ではないかと思いますが、その方法には日本古来からの良い方法が沢山あるように思えます。日本には「腹が据わっている」、「肝が太い」、「度胸がある」といったようなどちらかというと脳より体になぞらえた言葉がいざと言う時の言葉、人を評価する時の言葉として多いように思えます。「頭の良い首相」より「腹の据わった首相」の方がはるかに頼り甲斐を感じてしまうのが我々日本人なのです。
脱線話が長くなりましたが、瀧元先生に無理矢理、体に属する話をお願いしているのにはこういうわけがあるのです。ということで、さっぽろがん哲学外来の例会にはドクターに来て頂いて「〇〇がんの最新治療法について」というようなすぐに効く、すぐに役に立つ情報提供型の講演はほとんどありません。強いて言えば、講演を含めたさっぽろがん哲の場は「漢方薬です、じわっと効きます、そのうちに」というスタイルなのです。
で、今回の瀧元先生のお話は 『「守・破・離」、人はどう自分を見つめなおし、生きるのか』 というテーマでした。色々なお話がでました。華道や茶道での修行としての 守・破・離の持つ意味とか予想外の忍者の話、忍者は単身で敵地に乗り込み指示された情報とか暗殺とかを実行するわけなので、必死の覚悟と同時に必生の心構え(忍術における心身の在り方)が必要というこのことです。
忍術の持つ心理学的叡智の一例として自分と他人の認識への考察があり、自分と他人、そしてこの2者の境界である「非自」の存在、そして 自分が他人に触れて(他人の存在に)気づき、既知のものとするが、それは自己と他者のイメージが交錯する 非自に過ぎないという、簡単に言えば「分かったつもりの早ガッテン」ということを忍術というミステリアスな世界での奥深い探求など、文字通り目から鱗の話があったり、江戸時代中期の人佚斎樗山が書いた、猫たちに武士の立ち合いの本質を語らせている「天狗芸術論・猫の妙術・講談社学術文庫2014年」(剣術の秘伝書にして「人生の書」)の紹介など、色々な角度からの体の世界のお話でした。
まさに漢方薬の世界でした。
去る12月19日(土)に12月例会が開かれました。ここ2年ほど、12月例会には札幌大学の瀧元先生に講演をお願いしています。お話は古武道とか礼法とか、人間の身体部位を脳と体に分けたとすると、体の方のお話です。この分け方はもちろん養老孟司先生の脳化社会論に影響されておりまして、特に平成の世はパソコンやインターネットの発達により、グローバル化という社会の競争化が激しくなり、コンやと情報の詰め込みや分析能力のアップなど、一層の脳化社会が出現するようになりました。
がん治療の現場でもこの脳化社会は進み、患者さんやご家族は最善の結果を得ようとして医師や病院の評価はもちろん、治療法や治療成績などの情報や知識を様々な方法で入手し、治療の進展に一喜一憂しています。一言で言えば頭でっかちということでしょうが、自分自身がその渦中に放り込まれると当然、同じような行動を取ることは目に見えています。一旦、事あれば他人事ではないのです。
さて、そういった脳化社会ではやはり心身のバランスをとることがより一層重要ではないかと思いますが、その方法には日本古来からの良い方法が沢山あるように思えます。日本には「腹が据わっている」、「肝が太い」、「度胸がある」といったようなどちらかというと脳より体になぞらえた言葉がいざと言う時の言葉、人を評価する時の言葉として多いように思えます。「頭の良い首相」より「腹の据わった首相」の方がはるかに頼り甲斐を感じてしまうのが我々日本人なのです。
脱線話が長くなりましたが、瀧元先生に無理矢理、体に属する話をお願いしているのにはこういうわけがあるのです。ということで、さっぽろがん哲学外来の例会にはドクターに来て頂いて「〇〇がんの最新治療法について」というようなすぐに効く、すぐに役に立つ情報提供型の講演はほとんどありません。強いて言えば、講演を含めたさっぽろがん哲の場は「漢方薬です、じわっと効きます、そのうちに」というスタイルなのです。
で、今回の瀧元先生のお話は 『「守・破・離」、人はどう自分を見つめなおし、生きるのか』 というテーマでした。色々なお話がでました。華道や茶道での修行としての 守・破・離の持つ意味とか予想外の忍者の話、忍者は単身で敵地に乗り込み指示された情報とか暗殺とかを実行するわけなので、必死の覚悟と同時に必生の心構え(忍術における心身の在り方)が必要というこのことです。
忍術の持つ心理学的叡智の一例として自分と他人の認識への考察があり、自分と他人、そしてこの2者の境界である「非自」の存在、そして 自分が他人に触れて(他人の存在に)気づき、既知のものとするが、それは自己と他者のイメージが交錯する 非自に過ぎないという、簡単に言えば「分かったつもりの早ガッテン」ということを忍術というミステリアスな世界での奥深い探求など、文字通り目から鱗の話があったり、江戸時代中期の人佚斎樗山が書いた、猫たちに武士の立ち合いの本質を語らせている「天狗芸術論・猫の妙術・講談社学術文庫2014年」(剣術の秘伝書にして「人生の書」)の紹介など、色々な角度からの体の世界のお話でした。
まさに漢方薬の世界でした。