新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

第4回例会を行いました(0044)

2014年03月31日 | 集まりの様子
例会の様子です。 名刺交換の様子です。写真をクリックすると拡大します。

3月29日(土)13時からさっぽろがん哲学外来の4回目の例会を行いました。
当日の出席者は13名でした。今回の会合は実は今年初めてです。なので「新年あけましておめでとうございます」などというとんでもない挨拶から会が始まりました。そう言った発言者は私です。道北の日本海側の田舎に住んでいるので1、2月は地吹雪真っ盛りの交通事情ということで冬ごもり期間という訳なのです。しかし、年明けの最初の例会が3月というのはちょっと間延びしすぎている? 来年はちょっと考えないといけませんね。

さて、今回はこれといった講演はありませんで、樋野先生を4番バッターとする本州各地の熱心な活動の様子を知っておこうということで、「社団法人がん哲学外来」とか「がん哲学市民学会」の活動内容や「がん哲学コーディネータ養成講座」などの紹介を兼ねた勉強をしました。

それと、やっと出来上がったというか例会が3ヶ月も空いたその余裕というとか、我らのさっぽろがん哲学外来の名刺を出席した方々にお渡ししました。
例会の中心は各人の近況というか、自身の体験を踏まえてのがんへの思いを語り聞き合う場なのですが、今回も貴重で誠実で深く考えさせられる話をみんなから聞くことが出来まして、いつもながらの光景ではありますが、新たに感動と得心というか、心に深く響くものがありました。是非ともこの輪を広げていきたいものです。

そうそう、会が終わったら、みんな嬉しそうに出来上がったばかりのがん哲名刺の交換をしていました。今回の名刺デザインはみんなからしてみればいわばお仕着せですが、これから名刺がどんどん活用されていくことになるとデザインも各自で好きなようにやってもらうのもいいかも知れません。みんなの嬉しそうな顔を見ていてそう思いました。一人一人を大切に一人一人が真珠のネックレスのひとつひとつ個性的に輝く真珠のように活動できるがん哲学外来にしていきたいです。

がん哲学校たより・20(0043)

2014年03月31日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.3.29配信)
**樋野先生、ロンドン大でがん哲学講演を断行!!**
第52回「がん哲学学校」
「がん哲学カフェ in UK & 緩和ケアの祖を訪ねる旅」~人間学の学び~

「がん哲学カフェ in UK & 緩和ケアの祖を訪ねる旅」(毎日新聞夕刊 3月24日付け 「がん哲学外来」海を越えて)を終えて無事帰国した。今回の視察は、歴史的大事業であり,参加者にとっては、人生の良き想い出となることであろう。

3月24日(9:30~16:00) は、緩和ケアの発祥であるSt. Joseph’s hospiceの見学・セミナーに出席した。特に「First Contact Team」、「Volunteering」のコンセプト&内容には、大いなる感動を覚えた。「患者視点のチーム医療」の在り方の学びであり、日本国の遅れも痛感した。誇りを持って、役割を遂行されている、数百人の多数のボランテイアの生き生きとした風貌には、人間の使命をも感じた。

3月25日は、ロンドンの街を散策後、日本国大使館をwifeと訪問し、大使と医務官と面談し、The Athen(a)eumクラブで、昼食を食べながら、広々と人生を語る機会が与えられた。何らかの「日英医療協力」に展開出来れば、最高である。その後、Charing Cross Hospitalの敷地内にあるMaggie’s Centreを訪問した。Centre Headのお話を伺い、存在の目的と意義を学んだ。自由に、ふらーと立ち寄れる相談の場があることは、患者・家族にとって、大いに慰めされることであろう。

3月26日は、現代ホスピスの祖と言われるCicely Saundersが始めたSt. Christopher’s hospiceの見学・セミナーに出席した。特に「Nursing」、「Social Work & Bereavement〈死別〉」について教育の大切さを学んだ。その後、ロンドン大学に向かった。

ロンドン大学では、まず、Death Caféの提唱者のお話を聴き、その後、6~7名の小テーブルに別れて対話し、休憩を挟み、筆者は、講演『「がん哲学~われ21世紀の新渡戸稲造とならん~」(「Cancer Philosophy ~I want to become the Nitobe Inazo (1862~1933) of the 21 century~」)』の機会が与えられた。 会場一杯で、在英日本人、英国人も、全くと言ってよいほど、ご存じない「がん哲学&新渡戸稲造」の話を熱心に、聴いて下さった。「がん哲学&新渡戸稲造」 は、現代の世界情勢と、混迷感のある時代において、日本国の存在を語るのに、極めて良いテーマであると、実感する時となった。「人間学」は世界共通である。

がん哲学校たより・19(0042)

2014年03月31日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.3.21配信)
第51回「がん哲学学校」
「日本の国際的地位を高むる途」~チアフルな顔付~

先週の日曜日(3月16日)医学部 6年生の結婚披露宴(都内のホテル)にwifeと招待され、赴いた。大変、和やかな、且つ、涙をも誘う素晴らしい、想い出に残る披露宴であった。在学時代に、読書会をやり、『余の尊敬する人物』(矢内原忠雄 著、岩波新書)を共に読んだ。数日後の医師国家試験の合格発表でも、見事に合格した。実に、おめでたいことである。若き人生を大いに祝福したい。

「鶴尾隆先生没後5年メモリアル」(がん研究会 吉田富三記念講堂)に出席した。「がん研究会がん化学療法センター所長」であった故鶴尾隆先生とは、癌研時代に親しくさせて頂いた。改めて「研究における業績」を、の講演発表で聴き、大変勉強になったと、同時に大塚の癌研時代が、走馬燈のように思い出された。

そ の後、来日中のカリフォルニア臨床心理大学院の先生とお会い、日米カウンセリングの異同を学び、大変有意義な時であった。「次世代の対話学」の推進は、教育上「目下の急務」となろう。アメリカのカウンセリングルームで、「がん哲学外来」開設が、国・民族を超えた「普遍的な人間学」として実現する予感がする。

早稲田大学エクステンションセンター中野校講座で、「がんと生きる哲学」https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/3588/ が、開講されるとのことである。『「がん哲学」とは、生きることの根源的な意味を考えようとする患者と、がんの発生と成長に哲学的な意味を見出そうとする医師との対話から生まれました。』と紹介されている。早速、『「よりそい」が東日本の災害以来よく口にされる言葉になっていますが、よりそえていなかったことが問題ですね。がん哲学外来はまさに「よりそい」ですね。』との、励ましのメールを頂いた。

休日は、ロンドン大学での講演『「がん哲学~われ21世紀の新渡戸稲造とならん~」(「Cancer Philosophy ~I want to become the Nitobe Inazo (1862~1933) of the 21 century~」)』〈英語〉のスライドの準備でもあった。「チアフルな顔付を以て人に接し、見ず知らずの人に対しても、ーー、それがーー日本の国際的地位を高むる途である、」(『余の尊敬する人物』「新渡戸博士」より)。

がん哲学校たより・18(0041)

2014年03月31日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.3.15配信)
第50回「がん哲学学校」
何事に対しても誠実~「校則はただひとつ。紳士であれ。これのみである」~

日曜日〈3月9日〉の昼、某テレビ局の、自宅の本棚の取材があった。「内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁,矢内原忠雄、吉田富三」の本が中心であった。筆者の19歳から60歳までの約40年間の読書遍歴でもある。取材後、定例の読書会に出かけた。この読書会は、2007年12月9日から開始し、7年目に入った。継続の大切さである。『武士道』〈新渡戸稲造著〉、『代表的日本人』〈内村鑑三著〉を中心に進め、毎回15~20名の参加者との、2時間の楽しい一時である。先日は、『後世の最大遺物』〈内村鑑三著〉を読み、アフリカの探検家のリビングストン (1813-1873) とピューリタン革命指導者のクロムウエル (1599-1658) を学んだ。

帰宅しましたら、びっくりしたことに、Wifeが、筆者の還暦の祝いを密かに企画していた。ドアを開いたら部屋一杯の多数の来客(外国人、日本人、職場から)があり、本当に驚いた。プレゼントに頂いた、赤いチャンチャンコを早速着た。「60歳をお祝いするおふたりの愛が伝わってきました。」、 「奥様は日本の奥様方より、日本の伝統的習慣にも精通なさっておられるのですね!」、「奥さまの深い愛と優しさを感じずにはいられません。」、「家族に本当のサプライズパーティーを企画してもらえるなんて、普通の日本人にはありませんよ!」、「新渡戸稲造にメアリー夫人がいらしたように、樋野先生にジーン夫人がいらしゃるのですね!」など、多数の、心温まるお祝いのコメントを頂いた。後で、Wife に尋ねると、2週間前から、1人で、準備をしていたようである。

「東日本大震災きょう3年~避難26万人 遠い復興~」 (朝日新聞 3月11日付け)、3年を迎えた3月11日2:46pm、黙祷を捧げた。筆者は、丁度、教授室で、仕事をしており、大きな揺れを感じた。自宅に帰ったのは、翌朝3:00am過ぎであったように記憶している。先週は、「STAP細胞 論文撤回検討」(朝日新聞 3月11日付け)、「STAP細胞 証明できず」(朝日新聞 3月15日 付け)の報道でも賑やった。数週間前の大賛美の報道ぶりとは、雲泥の差である。何か空しさを感ずる。「何事に対しても誠実で、誰に対しても礼儀正しく、口 数を少なくするのがいちばんだ」(徒然草)、「私が望む校則はただひとつ。紳士であれ。これのみである」〈クラーク博士〉の言葉が思い出される一週間でも あった。 


がん哲学校たより・17(0040)

2014年03月31日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.3.8配信)
**樋野先生、還暦です。おめでとうございます!
第49回「がん哲学学校」
「遠い過去を知らずして遠い未来は語れない」~「還暦の誕生日を迎えて」~

3月7日は、筆者の誕生日 (1954年生まれ) であった。早速、「お誕生日 (ご生誕60年、3回目の成人式?) おめでとうございます。午年生まれの樋野先生と一緒に活動させていただけると、私も飛躍できそうです。」、「今度、ロンドンでは、「還暦」のお祝いですね!」、「先生と出会えてわが家の生き方、行きかたも広がりました。」など、温かい励ましのメールを、多数頂いた。カナダ、アメリカに住む、息子、娘からも国際電話が来た。Wifeは、ハート型のケーキを朝食に出してくれた。「みんなに愛されていて良かったですね! 家族から見放されている人達が多いなか、―――」との微笑ましい的確なコメントも頂いた。

誕生日に、「偉大なるお節介症候群」認定証を16名〈医師、看護師、患者〉に授与した。「偉大なるお節介症候群 友の会」の会報〈2012年9月1日発行:新渡戸稲造の誕生日の9月1日を記念して(1862年9生まれ)も定期的に発行されている。早速、「思い起こせば、No.1創刊号は、栃木発でした。」との明るいメールを頂いた。『「まちなかメディカルカフェ in 宇都宮」1周年記念講演
http://gantetsugaku.org/img/event/20140427utsunomiya.pdf 
樋野先生に久しぶりに会えることを楽しみに、参加申し込みをしました。』との嬉しい知らせを頂いた。『宇都宮の 「ろまんちっく村」に樋野先生においでいただいた2年前の「在宅緩和ケアとちぎ」の夏合宿から、1年8ヶ月がたちました。』時間は流れる。

週末、筆者は、久しぶりに、自宅の本棚の一つを整理整頓した。1段目~3段目は、「内村鑑三と新渡戸部稲造」、「南原繁と矢内原忠雄」の本であり、4段目は「山極勝三郎と吉田富三」の本である。「内村鑑三と新渡戸部稲造」&「南原繁と矢内原忠雄」の日付は,医学部の学生時代が多い。思えば,40年前の学生時代に、授業にも出ず、夜を徹して読書に耽ったのが、走馬燈ように思い出される。「山極勝三郎と吉田富三」は、「がん病理学者」になってからである。古本屋で、安価で、「南原繁著作集全10巻」を購入したのが、懐かしい。「吉田富三先生 人とその思想」(吉田富三先生生誕百年記念寄稿集)の編集幹事としての筆者の「編集後記」〈2003年4月26日付け〉を読み返した。「遠い過去を知らずして遠い未来は語れない」〈チャーチル〉の言葉を、引用していたのである。

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。