新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

罰(ばち)が当たった?(0008)

2013年09月19日 | 外来待合室
自分の行いが悪いからがんになったのだ、と思う人は多いようです。これまでの食生活や運動不足をふりかえり、「ちがう暮らし方をしていれば、がんにならなかったのに」と悔いるのです。
この悔やみがさらに深みにはまると、悪いことをしてきた罰として、がんにかかってしまったと思い込み、罪の意識にさいなまれることもあるようです。

ところがほとんどのがんは原因が分っていません。ウイルス性のがんや、アスベスト(石綿)がトリガー(引き金)として特定されている中皮腫にしてもはっきりした原因はまだ究明されていないのです。

生活習慣とがんは、何らかの関係があることは確かです。しかし、どのような生活を送ろうががんになる人はなるし、ならない人はならない。がんになるかならないかは単に確率の問題です。がんになったから暮らし方が悪かったせいでもないし、その罰が当たったわけでもありません。
(「がんと暮らす人のために・樋野興夫」P39より抜粋 文責J)

私のカミサンも乳がんになり、3年の闘病の後亡くなりました。闘病中、時々、「私、バチが当たったのかな」と言っていました。私は、「お前さんはバチがありすぎてどれでがんになったのか分らんだろう。大丈夫だよ。」と混ぜ返していたのですが、この先生のお話のように、そうじゃないぞ、とはっきり言うことができれば良かったと思っています。こういうのを後の祭りというのでしょう。思いやりのないばかな亭主です。(J)

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。