新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

がん哲学校たより・3(0020)

2013年11月28日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2013.10.27配信)
第30回「がん哲学学校」

「がん哲学外来・カフェ」の包容力~風変わりな病院の主治医の風貌~
先週、第51回日本癌治療学会学術集会〔国立京都国際会館〕で、「がん哲学外来~偉大なるお節介の勧め:日本国の処方箋~」のタイトルで、講演する機会が与えられた。企画者の胆力に大いに感激した。「昨日は相変わらずインパクトを与えるご講演を聞かせて頂きありがとうございました。――― 先生の真摯な受け答えには敬意を表する次第です。」との心温まる激励のメールを頂いた。

文科省がんプロフェッショナル養成基盤推進プラン採択事業「ICTと 人で繋ぐがん医療維新プラン」外部評価委員会が開催された〔順天堂大学に於いて〕。熱心な発表と質疑が交わされ、大変有意義な貴重な学びの時であった。筆 者は、「閉会挨拶」の任が与えられた。「医療の幕末」から「医療の維新」への時代の真ん中に置ける「人材の資質・育成」について話し、「勝海舟」の先見 性、「新渡戸稲造」の国際性に触れた。「がん教育」も時代の要請となって来た。「人を動かす底力のある真のリーダー」の出現の時代的到来でもある。
     1)「高い純度のある、がんの専門性」と文化的包容力
     2)「自らを教材として示す風貌」と器量と度量
     3)「30年先を明日の如く語る」胆力と先見性

この度、「国際環境発がん制御研究センター」が立ち上がることとなった。筆者は、所長として、「次世代のアジア貢献の受け皿」としての役割・使命を遂行出来 ればと願う。国際連盟事務次長として新渡戸稲造が示した、「オーランド諸島の領土紛争の裁定」の精神に学び、「賢明な寛容」を備えた「真の国際性」を目指 したいものである。「小国の大人物 出でよ!」(内村鑑三)。

週末は、「<がん哲学外来>第17回お茶の水メディカル・カフェ in OCC」 が開催された。今回は、神奈川県立こども医療センターの緩和チームの一員として、「常勤して活躍するファシリティドッグ:ベイリーを迎えて」講演が企画さ れた。台風にかかわらず、大坂、栃木からの参加もあり、会場は一杯であった。ゴールデンレトリーバー犬の「賢さ」、「優しさ」と「暇げな風貌」に感動し た。まさに、真の「人間の主治医」の何たるかの大切な学びの場であった。早速、「風変わりな病院長 樋野先生」とニューモアに溢れるメールが届いた。

樋野先生の著書から・その5(0019)

2013年11月22日 | 外来待合室
偉大なるお節介症候群認定証の実物です。画像をクリックすると拡大します。
<必要なのは「偉大なるおせっかい」>
私は、ふだんから、名詞ではなく形容詞で、ものごとを考えるようにしています。(中略)例えば「がん」という名詞で考えるのではなく、そこに「良い」「悪い」という形容詞を持ってくる。がんには良いがん(治るがん)と悪いがん(治らないがん)があります。名詞だけで考えていては本質が見えてこないのです。

「おせっかい」も同じです。おせっかいと聞いて、何を思うでしょう。してはいけないこととしたらきらわれることのように誰もが思うでしょう。ところがおせっかいが必要なことが、世の中にはたくさんあります。「がん哲学外来」も、ある意味、「おせっかい」なわけです。

そこで、形容詞で考えるのです。私は「よけいな」と「偉大なる」という形容詞を考えました。「よけいなおせっかい」はダメだけど、「偉大なるおせっかい」は積極的に行なうべきである。そう考えて、私は、がん患者さんやその家族に「偉大なるおせっかい」をやくようにしているのです。(中略) 現代社会そのものが、おせっかいの少ない社会なのかもしれません。忙しいせいもありますが、役割分担への意識が高い。(中略)けれども、誰かが困っているのに、担当か担当でないかなんて無意味です。

「偉大なるおせっかい」は、自分の担当かそうでないかを気にかけたりしません。ときには相手の事情にまで踏み込んで、自分ができることをしてあげようとします。
患者さんとその家族が、他人の「偉大なるおせっかい」を必要とする機会はあんがい多いものです。例えば、他人が仲介役を務めれば、家族が上手くいくことが多いのです。隣人として「偉大なるおせっかい」を買って出る人が増えてくれば、もっと世の中が良くなるのではないでしょうか。
(「がんと暮らす人のために・樋野興夫」P164~165より抜粋 文責J)

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私の場合は意あって力足りずで、まだまだ「偉大なるおせっかい」の初心者です。つい、最後まで面倒見切れるか、などという小賢しいことを考えてしまい、結局は尻切れトンボのおせっかいになってしまいます。これならしないほうがマシ?

で、ふと思い出したのが「江戸しぐさ」。例えば電車やバスの中でのそれとなくする席つめなんかは元は江戸しぐさだそうです。ちょっと遠くからす~っと自然にできるおせっかいなんて粋ですね。そうそう、話を聞きながら、助力を得るためにその場で関係者に「すぐに電話」するとかも粋ですね。などと、ちょっと脱線してしまいました。

いずれにせよ、樋野先生のお考えを良く理解して一人前の「偉大なるおせっかい」になりたいものです。ちなみに、おせっかいを焼くには、一見暇なそうなオーラを出さないと人は寄ってこないそうです。

さて、樋野先生が認定しているお節介症候群には3つの診断基準が書かれています。①暇げな風貌、②偉大なるお節介、③即効性と英断の3つです。3つのうち、分かりにくいのは③でしょうけども、これはさきほどの「すぐに電話」が一例ではないかな、と思っています。すぐやる課のノリ?(J)

12月例会のお知らせ

2013年11月21日 | 開催予定
日頃はさっぽろがん哲学外来の活動にご理解とご協力をいただきありがとうございます。

さて、12月例会を以下の要領で開催いたしますのでご案内いたします。
ご参加を心よりお待ちしております。


日時 2013年 12月7日(土)
14時受付 討議 14時半~17時半
場所 愛生舘サロン(南1西5愛生舘ビル6階)
議題 ①お節介症候群認定証贈呈式
②講演「からだとこころがひらく時」
講師:瀧元誠樹さん
③フェイスブック講習会(田村麻由美さん)
④状況報告会(フリーディスカッション)
⑤超ささやか忘年会
会費:1人・1000円 (会場費&飲み物)

*お節介症候群認定証は第2回(10/26)参加者を対象に
今回発行いたします。あしからずご了承ください。

**お節介症候群認定証とは
がん哲学外来の提唱者である樋野興夫先生の持論の一つである偉大なるお節介を世に広げるために発行されている証明証で、樋野先生の認定により証書が発行されます。
認定の3要件は①暇げな風貌、②偉大なるお節介、③即効性と英断 となっております。さっぽろがん哲学外来では事務局の協議により候補者を決め、樋野先生に認定証の 発行を申請しております。今回で2回目の発行となります。

がん哲学校たより・2(0017)

2013年11月17日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2013.11.17配信)
第33回「がん哲学学校」
「からし種=小さいものから始まり、鳥が宿るほどの大きな木に成長する」
先週、岡山大学病院 腫瘍センター・総合患者支援センター主催の「第2回 がん哲学外来 in 桃太郎 がんメディカルカフェ」に赴いた。医師・医療従事者・患者・家族によるカフェであり、県外からの見学者もあり、大変有意義な時であった。

夕方からは、街中で、「がん哲学外来 in 桃太郎カフェ」(岡山丸の内ヒルズ)が企画され参上した。今後、新しい試みとして、継続的に、展開される予感がする。「桃太郎の器量~リーダーの胆力~」(『われ21世紀の新渡戸とならん』36~37ページ参照:イーグレープ発行)を改めて静思した。翌朝は、医学部1年生に講義「臨床医学入門:がん哲学」の貴重な教育の場が与えられた。

筆者は、「文部科学省 がんプロフェッショナル養成基盤推進プラン 近畿3拠点(京都大学・近畿大学・大阪大学)合同事業 FD講習会」(大阪大学中之島センター)で特別講演「がんプロの2つの使命」をする貴重な機会を与えられた。

「国際環境発がん制御研究会」主催のシンポジウム「アスベスト 予 防と早期診断と治療」に出席した。厚生労働省労働基準局安全衛生部化学物質対策の「来賓挨拶」に始まり、「アスベスト利用の歴史と現状」(村山武彦先生) の講演、日本保安用品協会からの「適切な保護具の選定及び着用方法」として「アスベスト対策における関連法令・選定方法」、「(実技)アスベスト対策に求 められる適切な保護具の選定及び着用方法」の発表、IBLからの「中皮腫の発症前診断法」、筆者は「国際環境発がん制御~次世代のアジア貢献~」のタイトルで講演の機会が与えられた。関西方面からの参加者もあり会場は満席であった。

週末、「横浜 がん哲学外来 5周 年記念市民公開シンポジウム」が開催された。特別講演「私らしい終活~最期まで自分らしく生きるために、今準備すること」は、新鮮な内容であり、大変、感 銘を受けた。満員の参加者は、将来の「我が身」として熱心に、聴かれていた。筆者は、基調講演「がん哲学外来の聴診器は対話」の機会が与えられた。パネル デイスカッション「私らしい生き方」は、レベルの高い、人間として心温まるものであった。まさに、「からし種=小さいものから始まり、鳥が宿るほどの大きな木に成長する」の実感の時であった。

「する」ことより「いる」こと(0016)

2013年11月14日 | 外来待合室
記事とは関係ありません。画像をクリックすると拡大します。
高齢になって夫婦のどちらかががんになるというケースは、これからますます増えていきます。長年連れ添ってきた伴侶が、がんになった。自分は何をしてあげられるのか。何をすればいいのか。懸命に考えそれを実行する。けれども、何をしても、これでいいとは思えない。そんな悩みを持つのは、男性のほうに多いようです。

見ていると、亭主関白的なスタイルをつらぬいてきた男性ほど、それまでの罪滅ぼしのように、かいがいしく妻の面倒を見ようとする傾向があるようです。診察の時には付き添いもする。何か食べたいものはないかと聞き、それを買ってくる。家事もできる範囲でやる。けれども妻がそれでほんとうに喜んでくれているという実感を得られない。(中略)

「何もせずに、ただ、そばにいてあげれば、それでいいんです」あるとき、私がそうアドバイスすると、男性はほっとしたような表情になり、奥さんはしずかに微笑んでいました。きっと、その男性は、何かを「する」ことでしか妻へのやさしさを表現できないと思っているのでしょう。しかし、「いる」ことこそがやさしさであったりするものです。

「いてくれるだけで充分」という患者さんの言葉は、遠慮でも何でもなく、本心なのだと思います。もちろん、患者さんのために何かをしてあげることはだいじです。しかし、患者さんはそんなことよりも、家族がそばにいてくれることがうれしく、家族の「存在」に大きな安心を感じているのです。

がんになった妻に、何を言えばいいのか分からないという男性も少なくありません。適切な言葉、気の利いた言葉が見つからないというのです。
これも同じです。何も言わずに、ただ、黙っていっしょにいてあげれば、それでいいのです。寄り添ってあげるだけで、患者さんは安心し、家族の優しさを感じ取れるのです。
(「がんと暮らす人のために・樋野興夫」P136~137より抜粋 文責J)

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これもまさにわが家の物語です。カミサンは時々、「もう充分」と言っておりました。充分してもらったということかな、と思ながらも、もう少し他の言い方もあるだろうになあ、などと思ったりもしてました。

「いる」だけでいい、というのはその通りだろうけど、それだけだと不安でしかたがない自分がいるのでは、と思います。私の場合は、カミサンが入院中は毎日会社帰りに病院に通いました。これが日課でした。でも病室にいる時間は長くはありませんでした。話すことも当たり前の話だけ。「どう?」「うん、今日は気分がいいの」とか。今思うと「いる」だけの沈黙の時間に耐えられなかったかも知れませんし、そっと頭でも撫でてやっていれば良かったか、などと思っています。やっぱり何かしていないと自分が不安だったのでしょう。結局、何かしてなかったら自分が持たなかったのかも知れませんね。(J)

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。