新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

ちょっと一息・おかげ人生(0022)

2013年12月02日 | ちょっと一息
最近、女優の高峰秀子さん(1924-2010)に興味を持っておりまして、彼女がらみの本を読んでいます。その本の中の「おいしい人間」というタイトルのエッセーの中に「おかげ人生」と題しての短文がありまして、すこしご紹介します。

彼女は結婚以来、ご主人の映画監督松山善三氏の脚本の口述筆記を受け持っていました。1日に50枚、100枚と原稿用紙のマス目を埋めるのはなかなか辛いことで、「いくら愛する主人のためとはいえ、ものには限度というものがある。ただ、その限界を超えたとたんに、その作業は主人のためではなく、自分とのたたかいに切り替えるまでのことなのである。そのちょっとした切り替えがまた別の力を生んでファイトがわく。人のためにすることと、自分を試すのとは全く別なことで、私のような欲の張った人間にとっては意外と利用価値があるのだ。」というようなことを書いております。

また、人間関係について、「考えてみると、四十余年という長い間、すぐには心に浮かぶ特定の人の面影はなくても、数えきれぬほどにたくさんの人たちの恩恵を受けて私は生きてきた。たとえ、それらの全部が「親切」や「愛情」や「教育」でなかったとしても、なんらかの意味で私に問題を投げかけてくれたことに変わりはない。私はそれらの人のおかげで生きてこられた。私は私の人生を「おかげ人生」だと思っている。」と言っています。潔いという言葉が似合う人ですね。

国旗に関するちょっといい話(0010)

2013年10月03日 | ちょっと一息
本文とは関係ありませんでポリポリです。画像をクリックすると拡大します。

2020年での東京オリンピック開催が決まりました。オリンピックの開会式と言えば参加各国の国旗は選手団とともに主役を勤めますが、こと我が国では国旗への思いは人様々。9月24日の読売新聞にこんなのが載ってるよと投稿がありましたので以下に転載します。
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<国旗が結んだ世界との輪 64年東京五輪 式典用に製作>
◆学生で担当 海外支援のきっかけに
1964年に開催された東京五輪で、参加した93の国・地域の国旗製作を行い、それを機に、海外への支援活動をライフワークとして取り組んできた人がいる。外交政策を提言するNPO法人「ユーラシア21研究所」(港区)理事長の吹浦忠正さん(72)。2020年の東京五輪・パラリンピック開催が決まり、「大会を通じて、日本人が世界の国や人々を理解するきっかけになれば」と期待している。(山村英隆)
「日本の沈んだ気持ちを吹っ飛ばすいい機会になる」
吹浦さんは今月8日、7年後の東京開催が決定したニュースを聞き、興奮した口調でこう語った。
吹浦さんは、1964年の東京五輪で、早稲田大4年の学生でありながら、国旗に関する知識の豊富さを買われて、組織委員会の式典担当の専門職員を務めた。
国旗にのめり込んだきっかけは、小さい頃に自宅に貼ってあった世界地図。地図に描かれていた色とりどりの国旗に魅せられ、大学の時には国旗に関する本も出版した。
五輪で担当したのは、開会式などで使う国旗の製作。それぞれの国や地域の国旗のサイズや色を調べ上げ、確認のため、現地の五輪委員会に製作した国旗を送る作業が続いた。
64年10月10日の開会式は、国立競技場(新宿区)の式典本部から各国の入場行進の様子を双眼鏡を使って見つめた。掲げられている国名と国旗は正しい組み合わせになっているのか--。
「私たちの前を1か国ずつ通過するたびに、ほっとしました」
閉会式当日、地域として参加していた「北ローデシア」がザンビアとして独立。吹浦さんは、当日の朝、選手村へ新たな国旗を届けに行き、選手の一人と抱き合って一緒に独立を祝った。「将来、この国のために何かしたい」との思いは、同国への支援活動として現在まで続いている。
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2020年の東京オリンピックでは「おもてなし」がキーワードのようですが、その国の正しい国旗をちゃんと用意する、という当たり前のことが参加国とその国の選手たちへの敬意を表わすという意味で大事なおもてなしの一つなんですね。(J)



ちょっと一息・五輪トリビア(0007)

2013年09月12日 | ちょっと一息
2020年の東京オリンピック開催決定をお祝いしてのトリビア(雑学)をすこし。
まずはメダルのお話から。
近代オリンピックで勝者にメダルを与える慣わしは、クーベルタンが当時の万国博覧会においてメダルが授与されていたことにヒントを得て始めたものです(それに経済的理由から、当初、第2~4回のオリンピックは博覧会の付属行事として行なわれていました。競技が独立催行されたのは第5回のストックホルム大会からでした)。

ところで皆さんは、去る2004年のアテネ・オリンピックにおいて受賞メダルのデザインが一新されたことをご存知でしょうか? 新しいメダルはオリュンピアの考古学博物館所蔵「パイオニオスのニケ(舞い降りるニケ)」の復元像をデザインしたものになりました(この像の姿については本書・第28話を参照方)。
このニケ像はメッセニア‐アテナイ連合軍が対ラケダイモン(スパルタ)の勝利を感謝し、BC.421年に奉納したものです(ギリシア語の「ニケ」とは《勝利》の意で、ローマ人はこれを「ウィクトーリア」と呼びました。

ルーヴル美術館にも有名な「サモトラケ島のニケ」の像があります。またスポーツ用品メーカーのブランド名「ナイキ〔NIKE〕」は、この勝利の女神ニケから取ったものです。それに南フランスの避暑地ニースは、このニケの名をとってニカイアと呼ばれていた時代がありました)。

ところで、近代オリンピックのメダルはなぜ昔から金・銀・銅なのでしょうか? 実はオリンピック開始当時は、1位が銀、2位が銅のメダルでした。金メダルはなかったのです。それが金、銀、銅になったのは、1908年開催・第4回のロンドン大会からでした。
(出典:河津信義氏 古代オリンピックの話)

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。