新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

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ちょっと一息・五輪トリビア(0007)

2013年09月12日 | ちょっと一息
2020年の東京オリンピック開催決定をお祝いしてのトリビア(雑学)をすこし。
まずはメダルのお話から。
近代オリンピックで勝者にメダルを与える慣わしは、クーベルタンが当時の万国博覧会においてメダルが授与されていたことにヒントを得て始めたものです(それに経済的理由から、当初、第2~4回のオリンピックは博覧会の付属行事として行なわれていました。競技が独立催行されたのは第5回のストックホルム大会からでした)。

ところで皆さんは、去る2004年のアテネ・オリンピックにおいて受賞メダルのデザインが一新されたことをご存知でしょうか? 新しいメダルはオリュンピアの考古学博物館所蔵「パイオニオスのニケ(舞い降りるニケ)」の復元像をデザインしたものになりました(この像の姿については本書・第28話を参照方)。
このニケ像はメッセニア‐アテナイ連合軍が対ラケダイモン(スパルタ)の勝利を感謝し、BC.421年に奉納したものです(ギリシア語の「ニケ」とは《勝利》の意で、ローマ人はこれを「ウィクトーリア」と呼びました。

ルーヴル美術館にも有名な「サモトラケ島のニケ」の像があります。またスポーツ用品メーカーのブランド名「ナイキ〔NIKE〕」は、この勝利の女神ニケから取ったものです。それに南フランスの避暑地ニースは、このニケの名をとってニカイアと呼ばれていた時代がありました)。

ところで、近代オリンピックのメダルはなぜ昔から金・銀・銅なのでしょうか? 実はオリンピック開始当時は、1位が銀、2位が銅のメダルでした。金メダルはなかったのです。それが金、銀、銅になったのは、1908年開催・第4回のロンドン大会からでした。
(出典:河津信義氏 古代オリンピックの話)

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。