曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

この2週間は亡実母と義母の騒動で今日の天気の様に大荒れです。

2021年08月14日 | 介護

実母の入院から間もなくの死亡、そしてコロナ禍での葬儀葬祭、数々の手続きに忙殺されるのと同時に、義母=オット母Bこさんの歩けない問題からの介護保険の手続き、それにともなう診察があり、どこから報告したらいいのやらであります。

まずは実母の最後の様子から。

入院はしていたものの、自宅での看取りの自然死に近い亡くなり方でした。

入院した次の日に胃カメラを飲みそこで出血がわかり2回輸血はしました。

丸二日絶食となり、3日目の朝から尿が出なったことから今晩当りが山なので、合わせたい人があれば面会を解除するので至急呼ぶようにと言われたのが昼過ぎ。その説明の前に母親が便が出たいと言い、何度か挑戦して最後に何とか出すことが出来、その後静かになりました。(自然の看取りの時も尿が最初出なくなり、その後便が出て体の中が空っぽになるとある記事に載っていました)

直ぐ近くに住む孫も間に合い、弟夫婦、私たち夫婦と孫とが見守る中、下顎呼吸と言われる最後の呼吸になったのは、今晩だろうと言われて弟が一度家に帰った時でした。あわてて呼び出しましたが、最後の最後は弟夫婦は立ち会えませんでしたが、ほんとに静かに眠るように息を引き取りました。

今晩にもと言われた昼過ぎからまだ、2時間の間の事でした。

その間に駆けつけた人とは会話とまでは行きませんでしたが、眼と眼でたぶん母もわかっていたと思いますが、こちらの言うことにうなずいていましたから、皆が集まっていることはわかっていたともいます。

まさか私が看病に行ったその日のうちに亡くなってしまうとは思いもよらなかったのですが、本当はその日はオット母を(やいのやいの言うので仕方なく)病院に連れて行くと言っていた日でしたが、今は義母より実母だろうと付き添ったのです。どうしても付き添いをしなくてはならないと言うことなかったんですが、何か予感がしたんですかね。今日はどうしても実母のところに行かないと後悔するような気がしたんです。

その後はコロナ禍の中の葬儀と言うことで、とにかく早くと言うような感じで正直最後のお別れと言うのには寂しいお別れになってしまいました。

それでもひ孫たちも全員揃って見送りだけは出来ました。(火葬場には人数制限があり、時間的制限もありそれは心残りでした。)親戚全員とはいかず、近い親戚でも県外はお断りですし、会場でも会話が出来ないし、その後の食事を共にと言うことが出来なくて、本当にそれは残念です。

四十九日も私たち実子だけ形ばかり行うことになり、その辺の話合いもなかなかお互いの気持ちもあって、納骨はしばらく見送りとしみんなで集まれる時としました。

なんて、そっちの方に集中してしまった1週間があり、その間にもオット母の方はどんどん歩行困難が進んでしまうと言う事態となりました。

そちらはまた別記事で。

まあ、うちのお葬式はもう90才のお祖母ちゃんですし、子どもも孫のなかの何人かは県内にいますから、多少でもお別れが出来ましたが、まだお若い方などのお別れは本当につらいだろうなと思います。

いつ、今の状況が改善されるのか全く見通しが立たないと言うより、どんどん悪くなっていくので、こっちが成仏できないって感じです( ̄▽ ̄;)

もともともめごとの多い葬儀ですけど、なかなかのバトルがありましたですよ。しなくてもいいようなもめごともあって、毎日気持ちは嵐の中と言う感じでした。今ちょっと落ち着いたんですが、まだ船酔い状態って感じのよし子がお送りしました。


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