京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その506)日蓮宗、京都の大寺領の有る・本法寺・涅槃図

2013-03-18 00:26:46 | 京の話題

先日の、平成25年3月14・15日は「大涅槃図開帳」がありました。

「山門」から入山します。

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私にとっては、この朱門の山門が大好きです。

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左右の仁王様。

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日蓮宗本山叡昌山本法寺は、久遠成院日親上人の開創で、永享8年(1436)、京都東洞院綾小路に建立されました。
日親上人は、時の将軍足利義教に「立正治国論」を献じ、平和の招来を直言しましたが、これが将軍の忌諱に触れ獄舎に投ぜられた上、寺も焼却されました。
さらに、将軍義教が上人に加えた刑罰は次第に苛酷となり、ある時は焼鍋を頭にかぶせる等の残虐眼を覆う迫害もありました。
世に「冠鐺(なべかぶり)日親上人」と称するのは、この法難をいいます。
しかし、上人の大慈大悲の法華弘通の大不動心は、遂に後花園天皇の叡感に適い、康正元年(1455)四条高倉辺に官地を賜り本堂の再建が実現されました。
その後、長禄4年(1460)、三条万里小路に移建することとなり、さらにまた、天文年間に一条戻橋辺(現今の晴明神社)に移りましたが、天正15年(1587)に、当時の都市区画整理により現在地に移り、時の第10世日通上人は、寺領千石の寄進を受け、光悦の父・光二は私財を投じて再建、堂塔伽藍は厳然として京洛の空に聳え、日蓮宗門の一大偉観を呈しました。
「多宝塔」

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かくて時移り、天明8年(1788)の大火は洛中を忽ち灰燼となし、豪華を誇った本法寺の伽藍も遂に炎上の災厄に逢い、僅かに経蔵と宝庫とを残すのみとなりましたが、その後、檀信徒の堂塔再建の悲願は着々結実され、今日の本法寺の存在を見るに至ったのであります。

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本阿弥光悦は、日本文化史の上に大きな業績をのこした偉大な芸術家として知られ、海外にもその存在を高く評価されています。
光悦は、寛永14年80歳で歿しましたが、その生涯を家業の外、広範囲に亘る各種の技芸に携り、そのいずれにも独創の才を恣にふるいました。書は寛永の三筆と称され、陶器や漆器には稀代の名品を作り、また絵画にも後年琳派の源流をなす金銀泥画の妙技を示しています。

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まず、この庫裏に入ってお迎えお迎えして頂く、屏風でしす。

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未だ、参拝者の少ない時で、ゆっくりと拝見出来ました。

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そもそも本阿弥家は、日親上人の本法寺創建当時から深い関係があります。
すなわち、光悦の曾祖父本阿弥清信は、刀剣の鑑定や研磨などを家業として、足利義教に仕えていましたが、将軍義教の怒りに触れて投獄され、たまたま日親上人と獄舎を共にする身となり、相親しみ相語らう内、上人の教化に深く感動して帰依致しました。
 後に許されて獄舎を出た清信は、剃髪して日親上人より法名を授かり、本光と称し、有力な日蓮宗の信者となり本法寺の大檀越となったのであります。
 天正15年、現在の地に本法寺の伽藍が移転建立された時、光悦は父光二と供に尽力し、私財を投じてその完成に努力しました。
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三つ巴の庭と呼ばれる本庭は本阿弥光悦の作といわれ、室町期の書院風枯山水の影響を強く残しながらも、桃山時代の息吹を感じさせる名庭である。
書院の東側を主体とした約600平方メートルの全体の平面形態は、書院東側から南部へ曲り込んだ鍵形となっており、東南隅の奥深い部分にこの庭園の主役ともいえる枯瀧石組が据え置かれている。この枯瀧の中核には、大小の立石を用いた三尊石組の形式がみられ、室町時代よりの枯瀧石組の伝統手法が巧みに再現されているとともに、一段落して枯瀧手前に配置された縦縞紋様をもつ青石により、水流の落ちる様相を表現している点には、斬新な趣向がうかがえます。

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書院の縁先間近い位置に、長さ1.5メートルほどの切石十本により、十角形に縁どられた蓮池があり、その北部の半円を二個組み合わせた円形石とともに図形的意匠を見せています。

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唐門、「豊臣秀吉」が通った所から、紋は五七桐紋になっています。

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庫裏から眺める”唐門”です。「庫裏」

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「庫裏」から眺める「唐門」と庭園。

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本阿弥光悦作で国の名勝に指定されている三つ巴の庭に面したこの書院は、文政12年に紀州 家の寄進によるもので、上段の間をはじめ18畳が三間あります。
年に一度の「長谷川等拍」筆 仏涅槃図、慶長4年(1559年)
宝物館には貴重な資料が有りますが、一度は、参拝に。
ここのご住職と私の菩提寺の住職と知り合いとは、お話を聞けば、世間は狭いな?
上京区小川町通寺ノ内上ル本法寺前町617