京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その167)菅原道真・北野天満宮

2012-03-19 15:43:52 | 京の話題

いま、梅は真っ盛りそこで有名な北野天満宮へ。ここで今日は梅三昧です。

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その前に少し北野天満宮の事を。延長8年(930年)清涼殿に烈しい雷雨があり貴族ら多くが死にました、醍醐天皇も病床について、延長元年に道真の怨霊を鎮めるために道真を右大臣に戻していましたが、まだ怨霊は不満で祟りをなしているとして、朝廷や藤原家は再び鎮魂の方法を考えていました。

そんな折、天慶5年(942年)多治比文子(たじひのあやこ)という巫女に「われを北野の地に社殿を建てて祀れ」という道真のお告げが有りました。しかし文子は貧しく自分の家に小祠を造ることしかできませでした。さらに天暦元年(947年)に近江比良宮の禰宜であった神良種(かみのよしたね)の息子太郎丸にも同様のお告げがあり、良種は文子と供に、北野朝日寺の最鎮の協力をえて社殿を設けました。その後、天徳3年(959年)に右大臣藤原師輔(もろすけ)が邸宅の用材を移して社殿を造営しました。

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永延元年(987年)には天満宮の名が勅号となり、祭礼が勅祭となりました。その後、学問の神としてあがめられ、、奉仕する神人には、織部司・酒役・御油などの神人がいて、織物や麹・酒・油の座が営まれて商売上の特権を有し、北野天満宮の名をひろめました。

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二千本以上と言う、数々の梅が咲きさながら梅の楽園にきた感がします。

以下、うんちく無で、数々の名梅を観賞します。(なにぶん、私は、梅には詳しくないので、勝手に名前を付けてください)

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白梅に紅梅、見事なものです。

また、境内西には「連歌所の井戸」 がのこり、室町から江戸のかけて盛んに連歌会が行われ、連歌を献じて神の御意を慰めることを「法楽」といい、この神社の法楽は「聖廟法楽」と称し毎月25日に催され、朝廷をはじめ庶民にも親しまれていました。

「連歌所の井戸」

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梅の時期も桜と同様に短いです、早い目に。明日は、寒の戻りで寒くなると言う事です、それと花粉が満載、御注意!

紅梅を見ると、何時も祇園祭の「保昌山」を思い出します。

上京区御前今小路上ル馬喰町


京の話題(平安京その166)パワースポットの車折神社

2012-03-19 00:06:20 | 京の話題

嵐電の駅を降りるとすぐ前にこの神社の裏が有ります。

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今この神社はパワースポットで売りでしています。この神社に有る、悪運・愚因縁の淨化に御利益が有る、願いをかなえる「清めの石」(パワーストーン)社務所にて授与出きます。

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祭神は清原頼業(きよはらのよりなり)です。平安前期に右大臣までなった清原夏野の後裔で、藤原頼長の知遇をえて明経(みょうぎょう)博士、高倉天皇の侍読(天皇に学問を教える学者)になったじんぶつで、その学識は当代無比、日本の大器といわれました。

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この神社の寺名は、後醍醐天皇が大堰川行幸のおり、この地を通ろうとすると、牛車が石にあたって動かなくなりました。供のものが調べてみると、その石のおくに祠があり、頼業の廟所とわかり、さっそく「車折大明神」の神号と正一位の位を贈られたことに始まります。

御利益は「祈念神石」といわれ、社務所にて石を授かり、お願い事を神前にて念じた後、持ち帰って、願い事が成就した後に何処かで石を一つひらって洗い清め、その石に祈願内容を書き、授かった石と供に神前に返します。決して、この石を持ち帰ってはいけませ。(罰があたります)

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このように、その石がうず高く積まれています。しかし他の人は絶対この石を持ち帰ってはいけません、注意です。

また、頼業の名にちなんで、金の「寄り」がよくなるという商売繁盛のご利益から、商売人からの信仰が有ります。

もうひとつ、末社に芸能神社が有り「天宇受売命」(あめのうずめのみこと)・・まあ、今のダンサーと言うところですか、を祭神とした神社があります。芸事にご利益があると言う事で、千社札や名刺が一面に張り付けてあるのが目につきます。

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まだまだ見どころは有りますが、このへんで。嵐電に乗っていると、車窓から鳥居が見えます。また、五月第三日曜日は「三船祭」でも良く知られています。

右京区嵯峨朝日町23