このお寺「神光院」は「上賀茂神社」の境内に有りました。
「神光院」は「放光山」と号する、「真言宗」のお寺です。寺名と山号供に「光」と言う字が使われている由来は、上賀茂神社の神主の「賀茂能久」(よしひさ)がある夜、「光雲の照らした地に一字を建立せよ」との神託を受け、この地に光が放という事です。
建保5年(1217年)に創建され、後に「真言密教」の道場となりました。
堂宇は天保年間(1830~1844年)に焼け、明治元年の「廃仏毀釈」で廃寺となりました。
山門を入ると「蓮月尼舊栖之茶所」(れんげつあんきゅうさいちゃところ)の石碑があり、小さな茶室が有ります。「蓮月尼」とは幕末の女流歌人として知られる「大田垣蓮月」のことです。晩年は出家して、ここ「神光院」に隠棲しました。
墓ばかり心にかかる雲もなし
今日を限りの夕暮の空
「蓮月尼」85歳の辞世のうたです。
境内は「草木成仏」(心を持たない草木でも成仏する)という教えで、色々な木々や草花が栽培されています。また、空池や大師姿見池も有ります。
御本尊の「弘法大師像」は、大師自身が刻んだとされていて「厄除大師」として知られています。
北区西賀茂神光院町120
(たわごと)
パラリンピックが始まりました。なに不自由なく暮らしている我々には、頭が下がる思いです。
ご心配をおかけしました。私の右手二指(人差指)の回復は順調です。しかし、この指が使えないなんて、なんと不自由なこと。人間は全て自由に使えて当たり前。しかしこの一本の指だけでも不自由では何をするにも、万事不自由です。「居合道」はおかげさんで右手の人差し指はあまり使いません。むしろ右手は添えるだけで、左の手で柄の先を握ります。
それはそうと、「桜田門外の変」(安政7年3月4日・1860年)では、現場のあと人差指がごろごろと落ちてたということです(司馬遼太郎著)で剣術では、人差し指は添えるだけです。しかし、日常の生活は不便ですョ。