京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その359足利義満の外護受けた・大圓寺

2012-09-25 00:08:42 | 京の話題

ここ「大圓寺」は天文22年(1553年)「足利義満」の外護を受け、「専誉秀光和尚」(せんよしゅうこう)を開山として」、最初は川北のちに建立されました。

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山号は「鏡智山」と号し「浄土宗」のお寺です。創建後「明智光秀」の城下町の形成」に際して、現在の地に移されました。

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後、亀山城主「小早川秀秋」が文禄4年(1595年)に米弐石を寄進して、五箇寺の一つになり、その後寛永20年(1642年)と元禄12年(1699年)に二回の火災に遭い、現在の本堂は宝永7年(1710年)に再建されました。

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境内の薬師堂に祀られている「薬師如来」は霊験あらたかな「亀山薬師」と呼ばれ、もとは亀山城の天守の近くに祀られていました。

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天守を建てるにあたり、現在の地に移されました。

亀岡市西町

(たわfごと) 人間の修復する力

8月19日に、と有る他人の過失で、私の、右手第2指(人差指)の先端から6mmほど切断・欠損したという、誠に情けないニュースを記載しました。

人間(動物)て回復力が強いですネ。現在は欠損した肉もどんどん、盛り上がりもとの指の状態に変わりなく回復に向かっています。生き物の回復力の力強さに感動です。(他人ごとみたい)

これを、冷静に包帯を交換する時、監察する私も、不思議な人間?(負傷から毎回デジカメで記録していたらと)しかし、この暫く使用しなんだ右手の人差指、今は窓際族。(パソコン使うのに不十な事)サラリーマンの世界も同じことなんです。(人間の指でも窓際族てあるのですね)これ、冗談で言っているようですが、本気ですです。完全復帰した時その他の指の仲間に戻れるか?動物の復元力の強さにつくづく感じました。(色々な人には言えない事も有りますが)

我々健常者は何処を一時的に不自由な目に有っても暮らしにくいです。感謝しなくては。感謝、感謝の人生です。


京の話題(平安京その358)浄土宗本願寺派・誓顯寺

2012-09-24 00:08:27 | 京の話題

このお寺「誓顯寺」(せいけんじ)は「浄土宗本願寺派」に属し山号は「正法山」と号します。

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このお寺の開基は、本願寺第11世「顕如」の弟子となり、淨寶の法名を賜った、もと紀伊国名草郡雑賀庄の豪族「有馬則秀」です。

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「有馬則秀」は「織田信長」と本願寺の門徒が争った 「石山の合戦」に参加していましたが、「信長」の死後、天正9年(1581年)に出家し、この地に建立しました。

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後に、慶長12年(1607年)現在の地に移されました。

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このお寺の境内には、亀山藩を代表する文人の「中島雪楼」(せつろう)「軽森野楊」(やよう)のお墓が有ります。

亀岡市西町

(たわごと)

世界で一番強い格闘技は?と先日お聞きしました。それは日本の「大相撲です」昨日も「日馬富士」が勝ち全勝優勝。これで「横綱」は間違いなし。

世界中の格闘技「K!」「レスリング」「キックボクシング」「空手」「てっこんどう」など素手で戦う競技は多く有りますが、体重別等を一切無視してのこの「大相撲が」世界最強の格闘技といわれています。(誇れる、我が国の武道。しかし日本人の横綱が長く出ないのは悲しいです)

しかし、日本の相撲が紀元5期頃から、モンゴルに伝わり、そしてまたこの形式の相撲が「モンゴル人」によって日本で花が咲いたのは、なにか因縁めいた感じがします。


京の話題(平安京その357)この地では珍しい日蓮宗・法華寺

2012-09-23 02:01:11 | 京の話題

亀岡市中心を散策していると、この近辺におおくの寺社が有ります。やはり「明智光秀」が城下町を形成するときに、多くの寺社を整備した事がわかります。

しかし、「日蓮宗」のお寺はこのお寺とあとは2寺位とここのお方にお聞きしました。多いお寺んの宗派は禅宗「曹洞宗」です、これも歴史を生きたこの地があると聞きました。

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このお寺「法華寺」は「長栄山」と号する「日蓮宗本圀寺派」に属するお寺です。

寛正5年(1464年)に「円珠院日玉上人」を開山として開かれました。亀山城主「小早川秀秋」の保護を受けて現在の地に移されました。

城下の寺院本堂の中で最も古く、宝永6年(1709年)に建立されたこのお寺の本堂に祀られている」「高祖日蓮上人像」は、「身延山日号上人」の作と伝えられています。わざわざ私の為だけに案内頂きました。(どこへ行っても厚かましいです)

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山門脇の「妙見堂」に祀られている「妙見大士菩薩」も、「身延山日堅上人」の作と伝えられてます。

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本日は私の為にだけ、特別に拝観さして頂きました。(合掌)

亀岡市西町

(たわごと)

この世で、素手で戦う最強の格闘技は?日本に有ります、それは明日にします。


京の話題(平安京その356)歴代藩主を祀る・形原神社

2012-09-22 00:08:16 | 京の話題

この「形原神社」は「松平信岑」(のぶみね)を祭神として歴代藩主を祀る神社です。

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寛延元年(1748年)に丹波篠山から「亀山藩」に入封した「形原松平信岑」を偉業を祀り、歴代藩候を祀り、明治13年(1880年)に旧藩主を偲んで創建されました。

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正面に「唐破風」を設けた門と透き塀に囲まれた「一間社流造」銅板葺の本殿大棟の鬼板をはじめ随所に「八丁子」の紋が施されています。これはこの神社の「形原松平氏」の家紋でここから「形原神社」の名前がつきました。

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10月25日はこの「形原神社」のお祭り「亀岡祭り」で賑やかです。一度はこのひに訪れることをお勧めします。

亀岡市横町

(たわごと)   先人の知恵

大相撲も盛り上っています。「日馬富士」が昨日も勝ち、全勝街道まっしぐら。来場所は「横綱」一人で頑張っている「白鴎」も少し肩の荷が下りたかと。

全く、これと関係ないですが、相撲の取り組みが全て終わると「弓取り式」が行われます。これはただのパフォーマンス?

相撲の取り組みが終ると、多くの観客が我先に帰ろうと、出口に向かいます。特に昔の建物は出口が少なく、その上に狭く作られていたため、多くのけが人が出たらしいです。(砂時計現象)その為、取り組みが全て終わると「弓取り式」を行います。最後まで見る者、早く帰る者などで人の流れがスムースになり、出口が混雑しません。

そのため、帰りの観客は混雑すること無く、スムースに出口に行けます。大相撲の中にもこのような工夫が有ります。雑踏警備(ざっとうけいび)の基本はここにも有りました。(これを書いていると、以前に、明石の花火大会で、雑踏警備の警察や警備会社の不備で多くのお子さんが亡くなられた事を思い出します)

甲子園でも最後に「六甲おろし」を流し、帰りの観客がスムースに帰る事が出来るように、工夫しています。


京の話題(平安京その355)源頼政守り本尊・古世地蔵堂

2012-09-21 00:08:02 | 京の話題

亀岡市内のほんのわずかな角地にひっそりと鎮座しています。

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「源頼政」の「鵺退治」(ぬえたいじ)で知られる、「地蔵尊」が祀られてます

寺伝では、禁裏に夜な夜な現れる「鵺」に悩まされた帝は、高僧などに祈祷を命じますが効果が無く先例に従って源氏の武将の中から武芸に秀でたものに「紫宸殿」の警護を命じますが、その時選ばれたのが「源頼政」です。「頼政」は代々家に伝わる「地蔵尊」に祈願して見事「鵺」を退治しました。

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「源頼政」は治承4年(1180年)平氏打倒の「宇治川の合戦」で戦死、死骸は西つつじヶ丘の「頼政塚」に葬られ、守本尊は所領内に建てられた」「矢ノ根地蔵」として安置されました。よってここの地蔵尊は写真だけです。

亀岡市横町

(たわごと)   子供の時に必要な、トラウマの効果。

最近いじめのニュースがまた話題になっています、それに関してあるお寺のご住職のお話。

我々、幼稚園か小学校の低学年の時に、毎年お盆に「六道まいり」(珍皇寺)http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/08/post_a5cf.htmlに母親に手をつながれてよく行った事が有ります。もちろん、信心てなものは無く、お店で玩具などを買ってもらうのが楽しみでしが。その時に「珍皇寺」に一年で一回だけ御開帳がある「地獄・極楽」の絵図を見せられます。

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この絵図を見るのが怖かった事。

母親から「ウソをついたり悪い事すると地獄へ、その代わり良い事をすると極楽へ」と、この絵図を見せられて。今でも、この絵図がトラウマになっています。別に宗教的な事では無いですが、知らず知らず人間教育になっていたと思います。現在の母親達はこのような事をしているのでしょうか?人が見ていなくても、悪い事をすれば地獄へとの、トラウマ。昔の人は知らず知らず人として、この様な人間教育をしていたと。このようなトラウマは物心つく子供には必要かと、ご住職に教えられました。(子供の時から、”善”と“悪”の区別がつく人間に育てる事が本当の人間教育)