このお寺の創建、北朝の「光厳帝」の事は前記に記載しました。
まず「開山堂」に入ると開創の「光厳帝」の落飾後の木像が安置されています。
その「開山堂」の欄間の仏像の凄さにはめを見張る思いがします。
時代は不明ですが(額に水昌が埋めて有る事から鎌倉後期の物と思います)「阿弥陀如来像」両脇には「招き観音像」(重文)
その他、仏堂内には二十余の仏像が安置されています。
この、堂内でも見渡す限り、仏像で見あき足りません。
回廊をまわり、屏風絵もみとれます。
「勅使門」をあとにして、見応えのある、このお寺を後にします。
なお、この開創「光厳帝」はこのお寺を開いたのち、二年あまりで崩御され、お寺の背面の山に御陵が造られました。
その後の天皇も帰依し、お寺は繁栄しましたが、戦国期の戦乱で全壊し、のちの「太閤検地」で寺領は没収されました。しかし、第108代「後水尾天皇」の中宮の父である徳川2代将軍「徳川秀忠」が回復し、宇堂を建設しこのような見事なお寺になりました。
右京区京北井戸町丸山14
(たわごと) 20数年前に長期、ベトナム出張に行った、思出-最終回
言葉のこと。町の、あちらこちらで何か大きな字で標語が貼ってありました。二人の通訳でやっと分かりました。日本語になおすと「エイズは死ぬ」(今は、良い薬が出来て死ぬ事は、勿論有りませんが)。しかし、これが問題です。ベトナム語で「エイズ」は「シーダ」といいます。ここだけの話、ホントにここだけの話、私の苗字は「石田」です、ここだけの話です。なんと、自分の名前を英語で紹介すると、「アイ アム イシーダ」少し間違って聞くと、「アイ アム シーダ」なんてことですか。言葉は怖い、誤解のもと。
思い出すままに書きましたが、書き足りない事がまだまだ山ほど有りますが、このへんで。しかし、今の、ベトナムは眼を見張るような繁栄です。日本の最高の友好国、日本の新幹線も導入してくれます。ベトナム女性の制服アオザイは美しいです、体の線がバッチリみえて、別に盗撮はしていませんが、但し、メタボが着たら、腸詰ウインナーですが。そんな女性は誰一人もおられませんでした。
東西ドイツや南北ベトナムも統一され、平和な国になりました、中東シリアも平和になるように。 改めて、シリアで凶弾で亡くなられた、ジャーナリストの山本様の御冥福と、この死が無駄にならないように。
つまらないたわごとにお付き合い頂き、有難うございます。約束通り、お土産に保存大切保存していあ螺鈿(螺鈿)細工をプレゼントします、御希望のかたは、コメント下さい(アドレスは表示されません。但し、数に限りが有ります)抽選で。(私の、Eメールアドレス御存じの方は直接でもかまいません)※この貝は昔乱獲されたため、今では貴重品です。
改めて、現在の繁栄した、ベトナムを仕事ぬきにして訪れたいと思います。
ベトナム螺鈿細工の額