胃 癌 日 記 49(番外編1-3)
-スキルス胃癌発見(10月15日)から1年の日々-
夏期登山、大峰山脈の弥山・八経ヶ岳
(近畿地方最高峰の八経ヶ岳からの大峰山脈)
私も結構しんどかったけれど、取り付きからの急登で一気に高度約300m稼いで、小さな送電鉄塔や926mのピークを巻き、スタートから約2時間の登りで11時05分に大きな送電鉄塔に到着した。電磁波が嫌で、鉄塔から少し離れて小休止。最近電力会社がテロ対策として、送電線や送電鉄塔の地図を国土地理院に情報提供しなくなり、2.5万分の1地図や5万分の1地図から、送電線・送電鉄塔の記載がなくなるそうだが、これはあったほうが有り難い。特に里山や大峰山脈のようにルートファインディングに苦労する山域では本当に重宝する。今のところ昭文社の山地図には記載されているが、是非今後もお願いしたい。
小休止の後、大鉄塔から暫く行くと天川川合から続いている現在使われていない林道に出会い、少し林道を歩き再び山道に入ると直ぐに、遭難碑がある。皆で冥福を祈り、あわせて今回の山行の無事を祈願した。
再び急緩の山道を登り続け、やがて12時35分に栃尾辻に到着。計画の10時着から2時間35分遅れ。少し気にはなるがまあこんなもんか。
しかし、ここでとんでもないことが起こった。山屋として、言語道断のことであるが、わたしの登山靴の右足ソールの前部が外れ、「へらへら」と笑った状態になってしまった。装備の事前点検の怠りで、あってはならないことである。痛烈に反省しつつ、とにかく応急にツエルトの細引きで縛り、歩けるようには修理する。左足も剥がれてきており「へらへら」と笑ったような状態になるのは時間の問題なので、左靴も同じように修理した。
(弥山(1,895m)頂上の弥山神社)
栃尾辻には非難小屋がある。管理者は誰だか分からないが、場所としては弥山・八経ヶ岳西北稜のポイントとなるところなので、もう少し手入れして欲しい。少なくとも吉野熊野は国立公園なのだから、環境庁はもっと関わって欲しいと思う。避難小屋から50m位登り昼食とする。昼食は私が作ったおにぎりとゆで卵、それに連れ合い持参の丸干しにチーズ。孫はこの頃はすっかり元気を取り戻し、ムードメーカー。次女は至って元気でリーダーとして孫を引きつれて先頭でどんどん登っている。
昼食後13時10分発。暫く行くと1,518mのピークの西側を巻く道を辿る。巻き道といっても快適な道もあれば急峻な道もある。ここの道は大峰らしく「へつり道」だ。次女が先行し、孫が慎重に続いて登り、連れ合いが続き私が「しんがり」で登って行く。暫く「へつり道」を行き、前3人が過ぎたそのあと、私が「へつり道」の上に落ちていた木の枝に乗り体重をかけたとたん、その木が朽ちていて幹ごと折れてしまい、その反動で右側急斜面に滑落してしまった。
「しまった」
と一瞬思い、身体のコントロールが利かないままに谷側に2回転ほどして、『これは遭難か』と頭の中をやばい思いがよぎった。幸い5m程落ちたところで倒木に頭は打ったけれど何とか滑落が止まった。運が悪ければ斜面の見えない底まで滑落してしまってもおかしくない状況であった。止まった場所で骨折や筋列断が無いのを確かめ、ゆっくりと慎重に木の根っこを掴み、身体を確保しながら起き上がった。そして慎重に慎重に急斜面を這い上がり何とか「へつり道」まで戻った。身体は何とも無いようだ。体中泥だらけは仕方が無い。飲料のペットボトルをタオルで拭いていると、タオルがどろどろになってしまった。情けないやら悔しいやら。みんながびっくりして心配して、孫などは少し落ち着くと
「じいちゃん、大丈夫?」
を連発。何とか気を取り直して「へつり道」へ戻り、暫く歩くと尾根に合流し尾根道を登り続けた
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