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胃癌日記60

2013-02-01 17:53:18 | 闘病

         胃 癌 日 記 60

                   スキルス胃癌手術から1年(2012年12月9日)の日々(2)

 -鎌倉へ表敬訪問-

10月17日は仕事から帰り、晩御飯を食べてから夜行バスで鎌倉の姉Hのところに行く。今回は表敬訪問というより病気見舞い。少し病変が見つかり15日入院、17日に手術を受けた。それで18日19日と年休を取って見舞いに行くこととした。

 17日夜10時に大阪駅バスターミナル発横浜行きの夜行高速バスに乗る。18日朝6時50分横浜駅バスターミナル着。顔を洗い喫茶店でコーヒーとパンの朝食を食べ、8時前の東海道線に乗り藤沢へ向かう。駅からは25分の徒歩で入院先のF病院に8時55分着。病室へ行くと姉は手術後でドレーンなども繋がっていてすこし痛々しいが、それでも元気そうで何より。姉の息子で甥のYが付き添っており、病気や手術の様子を聞いたが、手術そのものは1時間ぐらいで、看護士さんもてきぱきとしていて信頼できるとのこと。順調な経過で21日の日曜日には退院の予定とのこと。暫く病気のことや家族のこと、世間のことなどを話しながら憂さ晴らし。午後1時前病院の食堂でYと一緒に定食を食べて、そのあとYはずっと付き添っていたのでチェンジ。Yは自宅に戻り私は病室へと戻った。午後には担当のドクターの回診があり、説明を聞いたが手術はうまくいって術後も順調とのこと。病室からは、見晴らしもよく海と江ノ島も遠望できる。個室なので今日はここで泊まって、ゆっくりと姉と話でもしようと決めた。夜は近所のスーパーで散らし寿司とサンドイッチを仕入れてきて食べた。

 19日は朝5時10分に目覚める。姉も起きだして朝の身支度をしている。8時には私は食堂にモーニングサービスを食べに行く。朝食を食べ終わり病室に戻ると姉も朝食を食べ終わっていた。点滴も終わったので、暫くゆっくりした後で姉を歩行練習に誘った。看護士さんに断って、隣の病棟へ続いている廊下を、手摺を持ってゆっくりと歩かせる。姉は口では「平気や」とか偉そうに言っているがやはり全身麻酔後始めての歩行なので足許がおぼつかなく、慎重に歩かせた。

 病室に戻って話をしていると主治医の先生が回診に来て、説明をしてくれた。手術は上手くいって回復も順調とのこと。ドレーンで繋いでいる痛み止めも中止してドレーンを抜くとのこと。処置が始まるので私は部屋の外で待った。やがて処置が終わり呼ばれて病室に入ると、姉はすっかり『身軽』になり、随分と楽そうな表情だった。

 9時半過ぎに、もう一人の姉Tがやってきた。姉H、Tと3人でいろいろと話す。母親の思い出話や家族のこと、苦労した時代のことや今日の、違った意味ではあるが苦労のことやその原因など、四方山話。考えれば10ヶ月前は私が逆の立場で、S病院に入院してしんどい思いをしていた。なんだか可笑しい感じがする。やがて昼食時間になりHが入院食を食べているあいだ、私はTと病院食堂へコーヒーを飲みにいった。食堂ではTから田舎の土地利用などいろんな相談を受けた。

 Hは順調で元気そうなので、コーヒーの後大阪へ帰ることとした。午後1時過ぎにHに挨拶して、F病院を後にした。歩いて藤沢駅に戻り駅2階で昼食のそばを食べ、土産を買って電車で横浜・新横浜へ、そこから16時09分発の、のぞみに乗って帰阪した。まずは一安心。

(続く)

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