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胃癌日記69

2013-02-20 20:37:08 | 闘病

                      胃 癌 日 記 69

           ‐スキルス胃癌手術から1年(2012年12月9日)から1年の日々‐

-悶々とした日々の中でも-

 気持ちの中でもやもやしたものを持ちつつも、多忙な仕事をこなしつつ12月1日にはまた連れ合い、次女、孫Tとの4人でハイキングに出かけた。今回の目的地は京都北山の峰床山。峰床山は京都府下で2番目に高い山で標高970m。朝7時20分に車で家を出発し、8時30分に京都の次女宅に寄り北山の峰床山へと向かった。

 あいにくの小雨模様が八瀬大原を過ぎた辺りから本降りの模様で、さらに進んで花折トンネルを越えると霙になってきた。さらに鯖街道を北へと走り登り口の中村小学校を少し過ぎて9時30分に坊村へ着いたときは、すっかり雪がしんしんと降っていた。小4の孫もおり装備、服装も十分でなく、本日の峰床山登山は断念と決定。さてどこかドライブしておにぎりをどこかで食べるか、それとも大原に行って温泉に浸かるか、朽木まで行って温泉に浸かるかあれこれと皆で思案をしていたが、ふと

 「そうだ。大原の金毘羅山へ行こう。金毘羅なら雨も少しはましだろうし、何よりハイキングと言っても登山靴を履いて登っても全然おかしくない。」

 と、アイデアと同時に言葉が出た。次女も賛成し、少しの雨なら装備も十分でおにぎりを食べるのに山中の神社に屋根付きの拝殿があったと思うとのこと。早速車をUターンさせて金毘羅山へと向かった。

 10時10分金毘羅山麓の江文神社(えぶみじんじゃ)着。私は若い頃には労山に入っていて金毘羅山のバリエーションたっぷりの岩場で大いにロッククライミングのトレーニングに励んだ。ロッククライミングは勿論アイゼントレーニングや岩場でのビバーグなどの訓練も積んだ。この山は京都のみならず近府県のクライマーが産声を上げたメッカだ。ただ、私の場合才能が少し足りないと言うか、肝心なところで『ビビリ』と言うか、本番のクライミングは大岩壁を登攀したわけではない。せいぜい剱岳の源次郎尾根や八ッ峰、登攀具を使った沢登り程度だが、それでも30数年ぶりの金毘羅山に入ったことが懐かしく、嬉しく少し身震いがした。ただし本日は勿論ハイキングコース。

 雨も殆ど止みかけで、神社を少し散策の後10時45分にスタート。皆にロックゲレンデを教えようと思い、岩場へのアプローチの道を行く。直ぐに山道に入るが、どうも岩場にも行かないし、ハイキングコースでもない。なにしろ30数年ぶりなので道が分からない。それでも行け行けで登って行くとやがて尾根に近づき、道も不明瞭になってきた。かれこれ1時間ほど登って、

 「これは、ハイキング道でも岩場への道でもないね。林業の作業道見たいやね。」

 と言って、スタート地点までバック。12時過ぎにスタート地点に戻り、神社の看板をみると、ハイキングコースは拝殿の手前を逆のほうに登るように案内がある。そういわれれば地図もそのようになっている。気を取り直して12時15分に登りなおし。今度ははっきりした道で、ピッチを上げ12時45分には山中の金毘羅新宮に到着した。途中また雨が降り出し雨具を着てのハイキング。金毘羅新宮は無人の小さな神社だが、次女の言うとおり屋根のある拝殿がある。そこに上がらせてもらって、少し遅めの昼食のおにぎりと、カップ麺、行動食等を頂いた。この日は雨でもあり頂上の祠までは行かず、昼食後山を降りた。

 帰りには北山通りの喫茶・ケーキ屋さんでコーヒーとケーキを食べて次女を家まで送り、大阪の自宅へと帰った。

 翌12月2日は職場のハイキング。

 9時半に出町柳集合で、貴船から鞍馬にいたる簡単なコースだ。例年紅葉狩りと称して11月下旬に開催するが今年は仕事の企画が満載でこの時期になり、参加者も4名プラス子供1人と少し寂しいハイキングとなった。貴船神社におまいりした後、鞍馬に向けて一山超えるのだが、さっさと早足で登ってしまったが私と小学生の子供は息も切れず平気だった。鞍馬寺の散策の跡鞍馬温泉に向かい、お食事処でゆっくり昼食を堪能し、子供と楽しく遊びその後温泉に浸かり16時過ぎの叡電に乗り帰途へとついた。2日連続のハイキングだったが、肝機能の異常ということで悶々とした思いを持ちつつも、ストレスフリーの休日であった。

(続く)

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