散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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六本木から渋谷へ/アシュトン・マニュアルとKM先生

2013-10-30 08:47:51 | 日記
2013年10月29日(火)

午後から「放送大学創立30周年」記念行事。
六本木のホテル会場で、式典とシンポジウムに3時間。その後は立食パーティー。
向い側の部屋には「S君のいっそうの活躍を期待する会」との看板がかかり、国会議員などが集まるふうである。

パーティー会場への入場を促す声がかかり、歩きだす傍からホテルマンが連呼する。
「右側からもお入りできます」「右側の扉からもお入りできます」

お入りできます・・・
言ってて背筋がゾッとしないのかな。

すぐに「年齢のせい」などと言うのは愚劣だが、確かに加齢の影響があると思うのは、十年前まではイヤイヤながらも耐えられた状況が、今はガマンできなくなっていることである。
たとえば満員のパーティー会場の人いきれだ。
あっという間に頭痛がしてきて、開会早々にリタイア。
乾杯までもたなかった。

***

その足で渋谷へ移動し、外の風にあたって一息つく。
牛タン・麦とろの定食、パーティーのフォアグラ食よりこのほうがいいや。

イザベルさんとクチブエ君が主宰する薬の勉強会、今回からアシュトン・マニュアルを丁寧に読んでいく。
僕が碁にウツツを抜かした一日、クチブエ君は釜石で17kmあまりのマラソンを走ってきた。
アップダウンの激しい難コースだが、彼はもう何年もこれに出走することを習慣にしている。

マニュアルは、
「ベンゾジアゼピン系を長年のんでいる患者自身が副作用による不調を訴え、医師のほうは気づかない」
という状況を提示している。
しかし、イザベルさんの実体験では、
「のんでいるほうが体調が良いのだけれど、飲み続けるのは体に悪いと聞くので何とかやめたい」
という相談が多いという。
患者自身は、自分の不調が原病から来るのか、それとも薬の副作用なのか、渾然として分からなくなっているとも。

確かにそうだ。
どこから生じる違いなんだろうか、興味深い。

今日は初めての参加者あり、Kさんとおっしゃる苗字をうかがって、ふと連想が働いた。
「KMさんとは、何か関係がおありなのですか?」

KM先生はずいぶん前に他界なさったが、僕などにはいつになっても「そこ」に存在する偉人である。
ただ、さほど珍しい姓でもなく、質問としては突飛なものだ。
ところが、

「関係が、あります。そんなふうに訊かれたのは初めてですけれど。」

お互いに驚いた。
Kさんの、お姑さんだったのだ。

世界って、どういうカラクリになっているんだろう。

また当たった/二年越しの卒論/人から好かれること

2013-10-30 00:32:29 | 日記
2013年10月28日(月)

週が明け、通勤の途次に新木場駅のホームで週刊「碁」を買う。
表も裏も井山が勝っているが、中を見ていくとポスト井山を狙う十代棋士の台頭しきり。
楽しみなことだ。

週末にみっちり打って、まだ腰が痛い。
電車の扉脇の手すりに背中をぐりぐり押しつけながら、段級位認定問題のプレゼントコーナーを見て目が丸くなる。
また当たった・・・



これで確か5回目だ。
何カ月ぶりかで何となく思いついてハガキを出してみたら、また当たったよ。
応募者は毎回400人近くもいるんだから、これは相当な強運、
「この趣味は続けてよい」という天の導きか、それとも悪魔のささやきか。

「囲碁書籍」って何だろう、既に持ってるものでないといいな。
どうせなら一等の対局時計が良いのに。あれ、買うと高いんだ。

***

Nさんが卒論の仕上げのため、八王子から2時間以上かけてやってきた。
この人に卒論は難しいと思ったが、非常な熱心を退けるに忍び難く、
「二年かけてもいいなら、受けましょう」と回答した。
そしたら本当に二年間、たいへんな努力を重ねて頑張ってきた。

結局ここへ来て時間との競争、あと一息である。

***

Eさん:

信念に従って生き、結果的に人から賞でられた時には、喜びがあるでしょう。
しかし、人の視線に縛られ、好かれることに汲々として過ごすならば、首尾よく好意を得たとしてもたかだか安堵が残るにすぎず、それ以上の喜びは期待できません。
肩の荷を降ろした次の瞬間から、またしても視線を覗う生活が始まります。
これを徒労と呼ぶのではないでしょうか。

そのような呪縛から、自由になってほしいのです。