散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

弔意

2022-01-29 06:20:33 | 日記

 非道な暴力によって命を奪われた鈴木純一医師の殉難を深く悼み、御無念をお察しいたします。重傷を負われたスタッフがすみやかに回復なさり、故人を慕うすべての方々に慰めがありますように。
合掌

原詩 ~ Neue Liebe

2022-01-27 22:12:54 | 日記
2022年1月27日(木)

ひとりの人、心ゆくまでに、他の人の
ものたるを得べきや?
 長き夜を思ひつゞけて「否」と答へし。
                                                                         
さらばわれひとのものたり、ひとわが
ものたるを得じとや?
    闇黒をもれて我胸の衷に喜びのきらめく
                                                                                           
「われ神と心ゆくひとつになりて
あるを得ざるべきや?
今日わがかくなるに何の妨げかある」
                          
あまきおどろきわが身ぬちをはしる!
あやしきはそをあやしとせる我よ
つちに居て神をわがものといだくを!
                                                              
     新しき恋
メリケ(独逸)

> 三谷隆正「問題の所在」(1929)の扉に配された詩です。きっと氏が訳しておられるのでしょう。
> けれども私にはまずもって、言葉が分からず、意味を取ることができず、この詩を読むことがかないませんでした。

 そうおっしゃるあなたは、よりこなれた訳を求め、それを図書館に見出したのですね。

ひとは欲するとおりにこの世で
他のひとのものになりきることができるだろうか?
—— 長い夜思いを巡らし 否といわざるをえなかった
                     
ではわたしはこの世で誰のものでもなく
誰もわたしのものではないのだろうか?
——   暗闇から一筋の歓喜の光が心にひらめく
                                                                                      
神となら欲するとおりに
わたしのもの あなたのものとなりえないだろうか?
今日そうならないのは 何が妨げているのだろうか?
                                                                  
甘美な驚きが身体をつらぬいて走る!
不思議なことに この世で神自身を所有することが
奇蹟になりかけていたのだ! 
                        
新しい愛
『メーリケ詩集 改訂版』/森孝明訳

 しかしなお、見比べるにつけオリジナルへの渇望やみがたく、長い夜を思い巡らしているらしい御様子に、ついついお節介をいたしました。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S519.htm
    
 この訳者は謙遜にも「特に最終連が非常に難解で意味がとりにくいが、自分なりに解釈してみた」と記していますが、私にはとても誠実な訳であるように思われます。翻訳という裏切りを、それらしい修辞で韜晦などしていないという意味において。
 この詩とりわけ wundern と Wunder が重ねられた最終連の思想は、少々 wunderlich であり実にwunderbar であるようです。
 感謝

Kann auch ein Mensch des andern auf der Erde
Ganz, wie er möchte, sein?
¯ In langer Nacht bedacht ich mir's und mußte sagen, nein!

So kann ich niemands heißen auf der Erde,
Und niemand wäre mein?
¯ Aus Finsternissen hell in mir aufzückt ein Freudenschein:

Sollt' ich mit Gott nicht können sein,
So wie ich möchte, Mein und Dein?
Was hielte mich, daß ich's nicht heute werde?

Ein süßes Schrecken geht durch mein Gebein!
Mich wundert, daß es mir ein Wunder wollte sein,
Gott selbst zu eigen haben auf der Erde!

"Neue Liebe" 
  Gedichte von Eduard Mörike für eine Singstimme und Klavier

Ω

『二流の人』を8年越しで二度注文しようとしたこと

2022-01-24 16:58:49 | 日記
2022年1月24日(月)


 「どうしたことか手許に見あたらない」とボヤいた後、真剣に探し直してみたが、やっぱり見あたらない。間違えて田舎に送ったか、息子に持って行かれてしまったか、何しろこの名調子は折に触れて読み直したいもので、手許にないという生活は考えられない。
 無駄を承知で再度購入しようと腹を括り Amazon で検索したところ、Kindle なら無料とある。やったとばかりクリックしたら、即座に画面に現われたメッセージ…

お客様は、2014/1/5 に 二流の人 を注文されています。 

 何とまぁ、8年前にもまったく同じ騒ぎをやらかしていたのである。なるほどクラウドの中に確かにあった。その後あらためて紙ベースのものを読んだ記憶が確かにあるのだが、それすら自信が持てなくなった。

***

 「名を捨てて実をとる、といふのが家康の持って生れた根性で、ドングリ共が名誉だ意地だと騒いでゐるとき、土百姓の精神で悠々実質をかせいでゐた。変な例だが、愛妾に就て之を見ても、生活の全部に徹底した彼の根性はよく分る。秀吉はお嬢さん好き、名流好きで、淀君は信長の妹お市の方の長女であり、加賀局は前田利家の三女、松の丸殿は京極高吉の娘、三条局は蒲生氏郷の娘、三丸殿は信長の第五女、姫路殿は信長の弟信包(のぶかね)の娘、主筋の令嬢をズラリと妾に並べてゐる。たまたま千利休という町人の娘にふられた。
 ところが家康ときた日には、阿茶局が遠州金谷の鍛冶屋の女房で前夫に二人の子供があり、阿亀の方が石清水八幡宮の修験者の娘、西郷局は戸塚某の女房で一男一女の子持ちの女、その他神尾某の子持ちの後家だの、甲州武士三井某の女房(之も子持ち)だの、阿松の方がただ一人武田信玄の一族で、之だけは素性がよかった。妾の半数が子持ちの後家で、家康は素性など眼中にない。ジュリヤおたあといふ朝鮮人の侍女にも惚れたが、之は切支丹で妾にならぬから、島流しにした。伊豆大島、波浮の近くのオタイネ明神といふのがこの侍女の碑であると云ふ。徹底した実質主義者で、夢想児の甘さが微塵もない人であった。」
坂口安吾『二流の人』冒頭から12~14%あたり

 あれ?ちょっと混乱があるような。
 先にも引いたとおり、リストの中に「於茶阿(おちゃあ)の方」と「阿茶(あちゃ)局」があり、名は似ていても全く別人である。「遠州金谷の鍛冶屋の女房」は「於茶阿」の話で、「阿茶局」は「神尾某の子持ちの後家」の方ではないか。
 このあたり安吾先生の筆法もやや乱暴で、阿茶局は武田の家臣飯田氏の出自、その前夫の神尾某は今川の家臣だから、歴とした武家の女であって鍛冶屋の女房と同列の素性ではない。前夫に死なれて再嫁するのはこの時代珍しくもないことで、それで素性が怪しくなるわけではない。秀吉の名流好みとの対照はおっしゃる通りであるけれど。
 ついでながら、上の書き方では家康が鍛冶屋の女房に横恋慕して夫から取り上げたようにも読めるが、さにあらず。前夫が鍛冶屋仲間に打ち殺されたので、その仇を討ってやって室に入れた云々の経緯があったはずだ。そのことも『二流の人』で読んだように思ったのだが。
 ああ、記憶はもはやアテにならない。全然、まったくアテにならない。



Ω

漸進主義の体現者ふたり

2022-01-20 07:32:06 | 日記
2022年1月20日(木)

 「しかし前者の態度は白人に都合のいい無害な「アンクル・トム」と批判され、後者のビジョンも「『黒人大統領』を実現したアメリカにもはや人種差別はない」とするご都合主義の「ポスト人種」論にからめとられてしまった。彼らは理想主義を嘲弄する現代の生きづらさを身をもって表した点でも、なるほど相通じているのである。」
生井英考「米俳優 シドニー・ポワチエさんを悼む」朝日新聞朝刊から

 「前者」はシドニー・ポワチエ、「後者」はバラク・オバマである。アメリカは大変?
 こちらは「大変」と言えるところまで来ていないのだから、本当にたいへんだ。



Ω

無用の推理

2022-01-19 09:44:22 | 日記
2022年1月19日(水)

  ○○教会の牧師さまがいらして、最後の塗油の儀式を施してくださいました。
朝刊の連載小説

 「塗油(終油)の儀式」はカトリックでは一般的だが、カトリックなら「牧師さま」ではなく「司祭さま(神父さま)」のはずである。
 プロテスタントの中では、聖公会が塗油を行う。聖公会ならば「牧師さま」でもおかしくない。
 描かれている人物は聖公会の信徒さんと、以上のことから推理される。

 そんな回り道をしなくても、○○教会と伏せたところには、実在する聖公会の教会名が記されているのだった。ずっと読み続けていれば、教派に関する解説もとっくにあったのかもしれませんね。
 失礼しました。

Ω