2023年5月23日(火)
個人攻撃が目的ではないので敢えて名前は伏せるが、社会的な要職、それも教育関係の全国組織の幹部を務めるある人が、公の場の時間つなぎに言ったのが、
「昔から、島根と鳥取の区別が付きませんで…」
という言葉であった。
それだけなら特にどうということはない、というのも直接関係のない遠方の人間にとって、確かに区別が難しくはあるだろう。
あきれたのは続く下の句である。
「住んでいる人に言わせると、ゼンゼン違うんだそうですね。」
これはもう一発アウトである。ゼンゼン違うのは当たり前ではないか。
これがスピーチネタとして成立するためには、鳥取も島根も違いがないという認識を語り手と聞き手が共有していなければならない。この言葉を冗談として受けとるよう聞き手に求めるのは、「鳥取と島根なんて、オレたちにはまるで違いがないよね」と同意を求めるのと同じことだ。しかもこの御仁が統括する組織は、島根と鳥取を含む全都道府県の利用者の存在に支えられているのである。
あきれました。
鳥取と島根がゼンゼン違うのは、埼玉と神奈川がゼンゼン違うのと同様であり、山形と宮城がゼンゼン違うのと同様であり、愛媛と香川がゼンゼン違うのと同様である。ノルウェーとスウェーデンがゼンゼン違い、イランとイラクがゼンゼン違い、アルジェリアとナイジェリアがゼンゼン違うのと同様である。
いずれも遠くの人間には区別の付きにくいことで、すべての情報に通暁することが不可能である以上、誰しも無知に陥りがちになることは致し方ない。ならばこそ無知を克服することに絶えず励み、その作業を楽しむのが「教養」の基本姿勢というものだ。自分の無知が、あたかもこれらの地域の遠さや印象の薄さのせいであるかのようにほのめかし、笑いのネタにするのは、「教養」とはまったく逆向きの心理的なベクトルの表われである。語るに落ちたとはこのことか。
やや脱線するが、島根と鳥取の区別のつかない大人が大きな顔で闊歩する現状には、今日の初等教育の問題点が鮮やかに表れている。息子たちが区立小学校に通っていた頃、「目黒区の次は、世界の話に飛んでしまう」ことがしばしば食卓の話題になった。その中間にあるはずの日本各地の学びがすっぽり抜けているのである。東京に在住するおとなの多くが島根と鳥取を区別できず、四国四県の配置が分からず、九州七県(沖縄を除く)を弁別できないのは、初等教育の当然の結果であって彼らのせいではないのかもしれない。
その状態を放置したまま、小学校から英語を学ばせて何になるのか。仮に英語を自在に操れるようになったとして(そこからして怪しいものだが)、外国人から「シマネとトットリってどんなところ?」と聞かれたら、「知らない、その二つ区別できない」ときれいな英語で答える外はない。それがいったい国際人というものでしょうか?
国際化の時代だからこそ、聞かれて困らないよう自分の国についてちゃんと学ばせておけというのは、理の当然であって逆説でもなんでもない。
***
島根と鳥取の区別がつかない某氏には想像もつかないことだろうが、島根に住む人々の出自に関する自己意識は、さらに緻密で込み入っている。
松江滞在中、関わりをもった人々に「こちらの御出身ですか?」などと聞いてみた。聞く方としてはぼんやり島根県東部(旧国名の出雲地方)ぐらいをイメージして「こちら」と聞くのだが、戻ってくる答えは常に細かい。「いえ、もともと松江ではなくて」、その後は出雲、安来などのおおどころから町や郡などの名が語られ、さらに県西部(旧・石見国)の地名が出てくることもある。太田、江津、浜田、益田、山口県境近い津和野まで、島根は愛媛などと同じく東西に長い分だけ存外に中が広い。もとより微妙に、あるいははっきりと文化も言葉も違っている。
とりわけ宍道湖の西の出雲と東の松江は、出雲大社と松江城が象徴するとおり鮮やかな対照を為しており、住む人々の間に小さからぬ対抗意識があったとしても不思議のないことである。先に「寺社に足を向けるのに何のこだわりもない」などと書いたが、一畑電鉄で宍道湖の北沿いを西へ向かい、奥まった山懐にやおら姿を現す出雲大社の偉容に接しては、少々話が変わってくる。境内に翩翻と翻る巨大な日章旗を見あげ、この国はいったいどういう姿をしているのだったかと、あらためてため息をつくのでもあった。
デリケートでもあり複雑でもある問題なので、ここで深くは掘り下げない。五月下旬の晴れあがった青空に、大小の雲の動きが妙に生き生きと感じられたことだけを、さしあたり書き留めておこう。「出雲」「八雲」の地名が示すとおり、古来この地は雲が次々と湧き出でる土地であり、そのことが人々を励ましもすれば悩ませもしてきたはずである。
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