2014年7月31日(木)
「ブログ、もう少し易しく書いてください」
面と向かって云われた。
「字がね、難しくて読めないんです」
注文つけられてフユカイ?
とんでもない、この人がこのブログを読んでくれてることが地味に嬉しくて。
注文、どんどんつけてください。ただ僕にも事情があるから、注文に応じられるかどうかは分からないけれどね。
それにしても、こちらが何の情報提供したわけでもないのに、見つけて訪問して、読んでくれてるなんて・・・
ありがとうございます。
***
『千字文』は大目に見てほしい。どうやら3分の2までたどり着いたところで、始めたからには終わりまでいかないと、気味が悪いですから。
で、その86。(番号は僕が整理のために勝手につけてるので、原文にはない。しめて1,000字を8字ずつ追っていくから全125回、その86まで来たというわけだ。)
○ 庶幾中庸 勞謙謹勅
庶幾(ショキ)は「そうありたいと希望する」こと。「中庸を庶幾する」。
後段は「謙(そしり)を労(いたわ)り、勅(ただしき)を謹(つつし)む」だそうだ。
教わらなければ読めたもんじゃない。
「中庸(の正しい道に到達すること)を願い、謙虚であるよう努め、謹んで身を正しくする」
意味は読んで字の通りだ。
中庸の徳は、たとえばストアの不動心などと同じものか、違うものか。何かしら似たところはあるのだろう。しかし、中庸なんてそんなに大事だろうか?東西の賢人が、この種のことをそんなに称揚するのはどういうわけだろう?
むろん、何も感じず考えず、何の誘惑も受けない呑気さとは違うことなのだろう。東西の広がり、南北の両極を知ったうえでの中道ではあろうが、真理がいっぽうの極にある可能性だってないわけではない。バランスのとれた中心に真理があるとは、ありそうな話だが必然性はあるまい。
むしろそれは「真理」よりも「心理」に関わることで(この言葉遊びは面白い)、「不決断」や「リスクを冒さない」こと、あるいは精神の老化や鈍麻の別名ではないのか。
ずっとそんなふうに思って注意を払わなかったけれど、案外そうでもないのかもしれない。こっちが年をとってきたのかな、少なくともそれが「判断回避」や「リスク回避」ではないことについて、裏を取りたい気持ちがする。
何言ってるんだかわからなくなってきた。
寝よう。
「ブログ、もう少し易しく書いてください」
面と向かって云われた。
「字がね、難しくて読めないんです」
注文つけられてフユカイ?
とんでもない、この人がこのブログを読んでくれてることが地味に嬉しくて。
注文、どんどんつけてください。ただ僕にも事情があるから、注文に応じられるかどうかは分からないけれどね。
それにしても、こちらが何の情報提供したわけでもないのに、見つけて訪問して、読んでくれてるなんて・・・
ありがとうございます。
***
『千字文』は大目に見てほしい。どうやら3分の2までたどり着いたところで、始めたからには終わりまでいかないと、気味が悪いですから。
で、その86。(番号は僕が整理のために勝手につけてるので、原文にはない。しめて1,000字を8字ずつ追っていくから全125回、その86まで来たというわけだ。)
○ 庶幾中庸 勞謙謹勅
庶幾(ショキ)は「そうありたいと希望する」こと。「中庸を庶幾する」。
後段は「謙(そしり)を労(いたわ)り、勅(ただしき)を謹(つつし)む」だそうだ。
教わらなければ読めたもんじゃない。
「中庸(の正しい道に到達すること)を願い、謙虚であるよう努め、謹んで身を正しくする」
意味は読んで字の通りだ。
中庸の徳は、たとえばストアの不動心などと同じものか、違うものか。何かしら似たところはあるのだろう。しかし、中庸なんてそんなに大事だろうか?東西の賢人が、この種のことをそんなに称揚するのはどういうわけだろう?
むろん、何も感じず考えず、何の誘惑も受けない呑気さとは違うことなのだろう。東西の広がり、南北の両極を知ったうえでの中道ではあろうが、真理がいっぽうの極にある可能性だってないわけではない。バランスのとれた中心に真理があるとは、ありそうな話だが必然性はあるまい。
むしろそれは「真理」よりも「心理」に関わることで(この言葉遊びは面白い)、「不決断」や「リスクを冒さない」こと、あるいは精神の老化や鈍麻の別名ではないのか。
ずっとそんなふうに思って注意を払わなかったけれど、案外そうでもないのかもしれない。こっちが年をとってきたのかな、少なくともそれが「判断回避」や「リスク回避」ではないことについて、裏を取りたい気持ちがする。
何言ってるんだかわからなくなってきた。
寝よう。