散日拾遺

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『風立ちぬ』 その3

2013-10-19 05:00:27 | 日記
2013年10月19日(土)

「人の作品をあげつらうのは簡単だが」
と誰かの声、
「自分ならどう書いたというんだ?」

珍しく明け方に目が覚めてしまった。
誰の声だろう?

ごもっともだけれど、『風立ちぬ』については私案がある。

主人公がヴァレリーの詩を訳しあぐねている、という書き出しにする。
婚約者の死後、彼の地を再訪して「いざ生きめやも」という句に想到する。
上古の語法からすれば破格であるこの表現を選ぶプロセスそのものを、最後の部分に記していく。
当然、第5の部分のタイトルは『死のかげの谷』の代わりに、『いざ生きめやも』となる。

「何を言おうと外野の詮索だ、身を張って自分で生み出したものとは違う」
と声、

おっしゃる通りだろうね。

*****

閑古鳥のほかにもうひとつ教わったこと。鰥夫と書いて「やもめ」と読むのだ。
鰥は漢音で「かん」、大きな魚の名前とある。
どんな魚で、ナゼ「やもめ」の意を託されたか、手許では分からない。

ややこだわるなら、鰥夫は「やもお(を)」と読んで妻のない(失った)男、
寡婦は「やもめ」と読んで夫のない(失った)女とするのだろう。

 是を以て里に鰥・寡なく、家に余の儲(たくは)えあり。

『日本書紀』仁徳7年9月、例の仁政の話だな。
里と家、鰥と寡、無しと有り、きれいに呼応して良い文だ。
そして、よく読めば不思議な内容である。