散日拾遺

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また当たった/二年越しの卒論/人から好かれること

2013-10-30 00:32:29 | 日記
2013年10月28日(月)

週が明け、通勤の途次に新木場駅のホームで週刊「碁」を買う。
表も裏も井山が勝っているが、中を見ていくとポスト井山を狙う十代棋士の台頭しきり。
楽しみなことだ。

週末にみっちり打って、まだ腰が痛い。
電車の扉脇の手すりに背中をぐりぐり押しつけながら、段級位認定問題のプレゼントコーナーを見て目が丸くなる。
また当たった・・・



これで確か5回目だ。
何カ月ぶりかで何となく思いついてハガキを出してみたら、また当たったよ。
応募者は毎回400人近くもいるんだから、これは相当な強運、
「この趣味は続けてよい」という天の導きか、それとも悪魔のささやきか。

「囲碁書籍」って何だろう、既に持ってるものでないといいな。
どうせなら一等の対局時計が良いのに。あれ、買うと高いんだ。

***

Nさんが卒論の仕上げのため、八王子から2時間以上かけてやってきた。
この人に卒論は難しいと思ったが、非常な熱心を退けるに忍び難く、
「二年かけてもいいなら、受けましょう」と回答した。
そしたら本当に二年間、たいへんな努力を重ねて頑張ってきた。

結局ここへ来て時間との競争、あと一息である。

***

Eさん:

信念に従って生き、結果的に人から賞でられた時には、喜びがあるでしょう。
しかし、人の視線に縛られ、好かれることに汲々として過ごすならば、首尾よく好意を得たとしてもたかだか安堵が残るにすぎず、それ以上の喜びは期待できません。
肩の荷を降ろした次の瞬間から、またしても視線を覗う生活が始まります。
これを徒労と呼ぶのではないでしょうか。

そのような呪縛から、自由になってほしいのです。

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