2015年10月27日(火)
誅斬賊盜 捕獲叛亡
見るからにものものしいが、趣旨は明瞭。亡は「逃亡」の亡で、叛亡は叛いて逃げるの意。
李注:「賊・盗・叛・亡は、すべてその罪を赦すことができないものである。それゆえ、人を害したり物を盗んだりするものは、必ずその罪を責めて死刑にし、叛いたり逃亡したりするものは必ず捕える。悪を懲らし、善を勧めるためである。」
おっしゃるとおり、これ人倫の然らしむるところにして、社会の基に違いないのだが、しかしこう冤罪が多くては・・・
大阪の女児焼死事件、20年ぶりに「母親と当時の内縁の夫」が釈放された件、仮に新聞報道が過不足なく事実を伝えているとするなら、悲惨に過ぎる。警察も検察も裁判所も、すべきことをしておらず、すべきでないことをしている。
冤罪はどこの国にもあることだろうが、この件などは僕ら日本人に、何か大事なところで欠落があるのではないかということを考えさせる。組織人として行動する際の根本的な構えとでもいうもので、その欠落が法の運用を歪め、医療を歪め、教育を歪め、政治を歪めているというような。
本来の意味での、哲学。
哲学?
philo-sophia なのかな、どうだろう。
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そうか、うっかりしていた。冤罪に対する危機感と警戒心を今この時こんなに強く覚えるについては、最近のもうひとつのニュースが関係していたのだ。
こちらは再審の行方とか新聞報道の煽り方とか、一切関係ない。最初に告発した「被害者」が、「あれはウソでした」と告白したというんだから。
ウソを見抜く材料は、今から考えれば掃いて捨てるほどあった。公権力を託された人々が、誰も彼もすべきことをせず、すべきでないことをしたのである。
もちろん、他領域の人々を指弾して事足れりとは考えまい。とりわけ、冤罪と判明して釈放されたこの男性が、元の職場や近隣で現に経験していることは、僕らの領域の問題とぴったり重なる。
Paradigms Lost、スティグマの問題である。
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【朝日新聞デジタル 2015年10月15日 より】
■■ 強姦一転無罪へ、なぜ私は冤罪に 72歳が国を提訴へ
10代女性への強姦(ごうかん)罪などで服役中に被害証言はうそと判明し、裁判のやり直しになった大阪府内の男性(72)が冤罪(えんざい)を見逃した責任は警察と検察、裁判所にあるとして、国と府に賠償を求める訴えを近く大阪地裁に起こす。逮捕から7年、男性は16日の再審判決でようやく無罪になる見通しだ。しかし、刑事司法のどこにどんな誤りがあったのかを正さなければ、この事件は終われないと思い定める。
■ 強姦事件の再審始まる 検察側が無罪主張 大阪地裁
男性は2004年と08年、当時10代の女性に自宅で性的暴行を加えたとする強制わいせつ1件と強姦2件の罪に問われた。09年の大阪地裁判決で「醜悪極まりなく、齢(よわい)六十を超えた者の振る舞いとも思えぬ所業」とされ、懲役12年に。最高裁が11年に上告を退けて確定し、服役した。
だが昨年9月、弁護人が女性から「被害はうそ」と告白を受けて再審請求。大阪地検は当時の診療記録に「性的被害の痕跡はない」と書かれていたのを確認し、11月に男性を釈放した。今年8月に地裁で始まった再審公判で、検察側は「虚偽を見抜けず服役を余儀なくさせた」と謝罪し、自ら無罪判決を求めた。
男性は今回起こす国家賠償請求訴訟で、自宅に第三者がいる状況で被害を受けたとする女性の証言の不自然さや、自身の疾病で性行為は難しいといった説明が捜査段階の取り調べで考慮されなかったと主張する。
さらに公判段階でも、冤罪を裏付ける証拠となった診療記録の取り寄せを弁護人が控訴後に求めたのに、検察は安易に「存在しない」と回答したと指摘。二審・大阪高裁も、当時の受診状況を確認するために求めた女性と母親への証人尋問を認めず、一審の一方的な判断を漫然と支持したと批判。予断を持たずに捜査と審理を尽くしていれば、冤罪は防げたと訴える。
弁護人の後藤貞人(さだと)弁護士は「性犯罪の被害者の証言を疑えということではない。真実を見抜く力など誰にもないからこそ、無実の訴えがあれば、できる限り調べるのが捜査機関や裁判所の務めだ」と指摘。「なぜ、それが尽くされなかったのか。訴訟で問題点を探り出し、冤罪防止につなげたい」と話す。
■ 「刑事も検事も取り合ってくれなかった」
男性は今月1日、朝日新聞の単独インタビューに初めて応じ、提訴を決めた心境を語った。
「無実の人間にどれだけの被害を与えたか。警察官、検察官、そして裁判官にもわかってほしい」
08年9月、大阪府警の刑事ら3人が突然、自宅にやって来た。その場で逮捕されて警察署へ。10代女性への性的暴行の容疑がかけられていると初めて知った。「まったく理解できなかった」
警察の取り調べに否認を続けた。男性刑事の言葉は「やったやろ」「覚えてないなら教えたるわ」と次第に荒っぽくなったという。検察の取り調べでは、被害証言の矛盾を訴えた。しかし、女性検事は「絶対許さない」と一切取り合ってくれなかったという。
無罪主張は三審に及ぶ裁判でも退けられ、服役を余儀なくされた。月1回、大阪から大分刑務所(大分市)へ面会に来てくれる妻だけが心の支えだった。
懲役12年。その途中、6年2カ月の不当な拘束を経て自由の身になった後も苦しみは続いた。生涯の仕事として25年間勤めた電気設備会社に復職を求めたが、拒まれた。近所で知り合いに会っても、どこかよそよそしい空気を感じる。
16日の再審判決で無罪が言い渡されても、その思いは晴れない。名誉は完全に回復できず、失った時間も取り戻せないからだ。「せめて国賠訴訟で冤罪の原因を突き止めたい。二度と同じような思いをする人が出ないように」と願う。(阿部峻介)
■ 強姦再審事件の経過
2008年9月 大阪府警が10代女性の告訴を受け、男性を強制わいせつ容疑で逮捕。大阪地検は同罪で起訴
11月 地検、同じ女性への強姦罪2件で追起訴
09年5月 大阪地裁、懲役12年の判決
10年7月 大阪高裁、男性側の控訴棄却判決
11年4月 最高裁、男性側の上告棄却決定
14年9月 男性の弁護人が女性から「被害はうそ」と告白を受け、地裁に再審請求
11月 女性に「性的被害の痕跡なし」とする診療記録があったとして、地検が服役中の男性を釈放
15年2月 地裁が再審開始決定
8月 再審初公判で検察が謝罪、無罪判決求める
10月16日 再審判決で無罪の見通し