2025年4月29日(火)
昭和百年?なるほどそうか。
そういう括り方に今朝まで気づかなかった。「昭和の日」だからメディアはこの日に騒ぐのだろうが、この日はもともと天皇誕生日、戦前なら天長節と呼ばれたものである。ちなみに地久節は皇后誕生日、「天は長く地は久し」という言祝ぎだが、『長恨歌』のそれは「天長地久、時ありて尽くるも、この恨み綿々として尽くる時なけん」と続くのだから、あながち目出度いとばかりもいえない。
母が存命なら今年満百歳、健在の父は昭和2年生まれの満98歳だが、大正天皇の崩御は同帝15年(1926年)の12月25日だったから昭和元年は一週間しかなく、まもなく明けた昭和2年が実質的な昭和の始まりだった。この年生まれの和男さん昭子さんは全国に数多く、父もその一人である(和男ではない、念のため)。
そういう次第で、百年の節目は我が家にとっても重みがあるが、ことさら4月29日に重ねる意義を感じるものではない。
むしろ思い出したのは「明治百年」のことで、これは当時いろいろと話題になった。それが1967(昭和42)年なのか翌68(昭和43)年であるべきか、共に社会科教員の二人の叔父が議論していた覚えがある。大政奉還か王政復古かということで、おおかた後者に分があったのだろう。
そこにこもる上下左右さまざまな思いは「昭和百年」の比ではなく、そのように「明治百年」を熱っぽく論じる空気こそ昭和という時代をよく表していた。赤報隊をテーマにした映画がこの時期につくられ、美化されがちな明治維新を批判的に検証する内容だったと記憶するが、当時は小学生であやふやな話ではある。
下って昭和をどう総括するか、歴史家の大事なテーマになることだろうが、僕らの世代はこのテーマに関して面白い位置にある。昭和は歴代元号の中でも異例に長く、63年まで続いた。僕は昭和32年生まれだから、長い昭和のちょうど中点で誕生している。実質的な昭和元年生まれの父に、折り返し点生まれの息子、世代の風景を規定する基本条件である。
TVの中では例によってインタビュアーが通行人をつかまえ「昭和という時代をどう振り返りますか」などと無理無体な質問を発している。答えがてんでバラバラなのは当然で、昭和という時代は物理的に長いばかりでなく、史上に類がないほどの流転・動転・逆転を内蔵して過ぎた。どこの何に注目するかで、出てくる言葉もまるで違ったものになるのは当然であろう。
もっとも、いくつか大きな区切りがあるのははっきりしている。昭和20年の敗戦は最たるもので、その後の混乱を経て朝鮮戦争が経済と政治における反転上昇のきっかけとなって高度成長期へ向かい、やがて低成長時代へ移行するという大筋は動かないところ。しかしその詳細に分け入ろうとすれば、「どこの何に注目するか」で千も万も説が立てられることだろう。
で、
ここ何年か「死生観」や「死生学」に言及する機会が増え、その観点から日本の近現代を振り返るとき、自ずと浮かんでくる図式がある。キーワードは「喪失体験」であり、「敗戦」などという言葉で表しきれない、あの凄まじい破壊・混乱とそれに伴う絶望を意味することはいうまでもない。
何があったとしても、生き残った人間たちは生き続けていくほかないが、いきおおせていくにつれ失ったものを意識し、振り返ることもまた避けがたい。しかし、思い出すにはあまりに甚大な喪失であり、しかもその喪失の仕方が、存在根拠を根底から覆す態のものであった。
そこで集団としての日本人はその喪失に直面することを避け、ひたすら新たなより良い生にしがみつき、「死」とそれにまつわるものを全て否認した。あわせて採用された躁的防衛の目に見える成果が高度経済成長であり、それは戦争において失ったものを経済において取り戻そうとする復権の企てであったからこそ、激しくもあり急でもあった。
その時代が過ぎて低成長が定着し、超高齢化と少子化の時代を迎えはじめて人は落ち着いて「死」に直面する心構えを取り戻しつつある、ざっとそんな粗筋である。
その視点から見るなら、長い昭和の最初の3分の1は「戦争と喪失」、次の3分の1は「否認と躁的防衛」、最後の3分の1は「減速とわずかな鎮静」ぐらいにまとめられるのではないか。平成は「直面(化)の始まり」であり、令和でどれほどの深い直面(化)が果たされるかは、これから次第であると。
こうした流れに、schizophrenia が「精神分裂病」と呼ばれていた期間を重ねるなら、それなりにユニークな日本の現代史論が書けるような気がする。
大事なことを忘れていた。昭和について振り返る便宜上、「戦争と喪失」を出発点に置いたが、それ自体が、明治維新以来の日本人集団の迷走の帰結である。「死」に対する僕らの構えを通観しようとするなら、少なくとも黒船来航まで遡らずにはすまない。
などと考えをなぞりながら草刈り機を手に門を出たら、目の前にいきなり…

そういえば今朝からしきりに声がしていたっけ。この至近距離でお目にかかるのは初めてである。これは雌、きっと雄も近くにいるはず、などと思う間もなく…

何という僥倖!取り落としそうになる草刈り機をそっと地べたに置き、スマホを構え3分半にわたって動画を撮り続けた。
わずか数mの近さで、人間の存在に気づかぬはずはないのに少しも動じる様子がない。雌はツイツイとやや足早に地面をついばみ、雄はどこまでもゆったり雌の後を追う。婦唱夫随、やがて雌は隣家の塀に飛び上がり、雄は草むらに姿を消した。
国鳥の誉れも知らぬこと、昔も今もキジはキジ、つがいはつがい。天は長く地は久しく、鳥の鳴き音は山野に絶えることがない。
Ω