散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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朝寝して宵寝するまで昼寝してときどき起きて居眠りをする

2017-01-28 12:15:23 | 日記

2017年1月28日(土)

 「高齢に進むほど睡眠時間は短縮されるし、それが自然なのだからそれで構わない」ということを睡眠の専門家が言ったりするが、僕は信用していない。周囲を見回してもそうなっていないし、理屈としてもおかしいと思う。どんな状態の高齢者にどんな調査をした結果なのか疑わしい。

 とか何とか言って、要はこのところ週日でも7時間半は眠り、昨夜などは9時間熟睡した自分を正当化したいだけなのね。30-40代よりよっぽど寝ているもの。待てよ、必要ないのか、「私まだ若いから眠いんです」と言えば足りるんだね。でもやっぱりおかしいものはおかしい。

 昨夜の長い眠りは、昨日の充実の結果とも思われる。来院した患者さん・御家族が11組、来るはずで来なかった人が2人、人数としては常よりずいぶん少なかったのに、まるで申し合わせたように皆がずっしり重いお土産を置いていった。若い人の目が輝き、高齢の御両親の不安と安堵が吐露された。自身の限界を押し広げようとする野心があり、理不尽な攻撃から身を守ろうとする努力があった。拾われた指環の運命も、拾った人次第で大きく分かれる。詳しく書けないのがいかにも残念、技倆があれば13編の短編が書けることだろう。皆が一生懸命で、だからこそ全ての逸話が何ほどかユーモアを醸している。human と humor は一事の両面なのだ。

 以前に長いこと通っていらした女性の娘さんが、お母さんに勧められて受診するということがあった。こういう経験はたぶん二度目で、不思議でもあり身が引き締まりもするのだが、考えてみればそれがそんなに珍しいというのが当院と当科の性質を表している。地域で開業する内科・小児科の医師たちにとっては日常当然の風景で、三代にわたってお世話することなどもあるだろう。それが本来、この職種に与えられた祝福だったのだ。

 昭和2年生まれの父は元々蒲柳の質で、疫痢や何かで何度か死にかかったという。その時分に入院させてもらった某医院が松山にあり、お世話になった先代はとうに他界されたが、代替わりした御家族と教会で出会うということがあった。長ずるに従って健康を増し、今年めでたく卒寿を迎えたのも遠い昔の恩あればこそ。

 おかしいな、まだ眠たいよ・・・

Ω


朝の金言

2017-01-27 07:51:48 | 日記

2017年1月27日(金)

 聖書の中からどれか一箇所、というのは乱暴な話だが、そんな風に考えてみたい気分の時がある。

 「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け」(ローマの信徒への手紙 12:15)

 χαιρειν μετα χαιροντων, κλαιειν μετα κλαιοντων.

 結婚披露宴の時、共に喜んでくれた参会者への御礼の挨拶にその場で引用した言葉だが、日頃は後段に聞くことのほうが多い。出典を確認しようとして開いたコンコルダンス、はさんだしおりにこの句が書かれており、調べる手間が省けた。しおりは2004年10月の新潟県中越地震の後、被災教会・被災地支援のために教団が作成頒布したものである。パウロの神学よりも、こうした寸言に強く打たれる。

 要するにそのことに尽きている。言葉はそれを助けるためにあるものだが、罰当たりで小賢しい人間というやつは、喜んだり泣いたりしないで済むように言葉を使ってすまし顔をしている。煎じ詰めれば言葉は要らないのだが、逆に言葉を自在に使っているように見える人が、こういう時に限って「軽々しく言葉にできない」などと妙に寡黙になるのは、共感の欠如と言葉の底の浅さをこもごも露呈する。

 家族ということにもつながっている。共に喜び、共に泣く者の集いが家族なのだ。そのことを実行する人々は、そこに家族を作り出している。濃厚な血縁で結ばれているようでも、このことが欠けているならもはやそこに家族はない。

 「わたしの母とはだれか、わたしの兄弟とはだれか」(マタイによる福音書 12:48)

 τις εστιν η μητηρ μου και τινες εισιν οι αδελφοι μου;

Ω


サマータイムの思い出

2017-01-27 06:40:19 | 日記

2017年1月27日(金)

 勝沼さん、さっそくありがとうございます。経度の差とサマータイムで見かけの日没時間が2時間ずれること、参考になりました。

 「夜中になっても真っ暗にならない」との被爆二世さん情報を私が少々勘違いし、紛らわしいインターネット情報も加わって、いわゆる白夜を想像したのが早合点だったみたいですね。

 御指摘のサマータイムについては思い出があります。1994年の3月末にアメリカへ渡り、最初の日曜日がその年のイースターでした。宿の近くにモザイクで名高い壮麗なカテドラルがあったので、ミサに出てみようと家族で出かけたのです。セントルイスはその名も聖ルイ ~ 第7,8回十字軍を企てたフランス王ルイ9世 ~ にちなむことから分かるように、元々フランス人が中心となって植民した土地ですからカトリックも強く、こんなカテドラルも建てられたのでしょう。もっともそれがこの話のポイントではなく、実際この日も創立200周年の伝統をもつセントルイス最大の長老主義教会にハシゴしたのですから、節操のないことで。

 それはさておき、ちゃんと時間を調べて朝からカテドラルに出向いたのに、人っ子一人いないんですね。しばらく右往左往するうち、ふと家族の誰かが腕時計を大時計と見比べ、「遅れてる!」と叫んだのです。お察しの通り、この日がサマータイムの初日だったんですよ。僕らはきっかり一時間遅れて教会に着いたのでした。

 その半年後、今度は正反対のことが起きました。またしても日曜の朝、いつものように支度を整えてタウンハウスの駐車場で車に乗り込もうとしていたら、お隣に住む仲よしのサラ・ヤンシーが寝間着姿でドアを開けて叫んだんです。

 「あんたたち、まだ早いわよ!」

 「え?」

 「今日から冬時間なの、わかってる?」

 書いてて思い出したのですが、どちらも日曜日でしたね。サマータイム/ウィンタータイムの開始は日曜日と決まっているんでしょう。なるほどそのほうが混乱が少ないでしょうから。

 やってみるとサマータイムは悪くないものです。アメリカ人は概して朝早起きなので、夜明けの時刻には敏感なのかもしれません。日本人ももともと早起きだったはずですが、国民の過半が都市に住んで日照と関わりないオフィスのサービス業に従事しているのでは、意味が感じられないかも知れません。そのような意味でサマータイムの効用が感じられる世の中になってほしいと思っています。日本人よりアメリカ人のほうがお天道様の動きに敏感なんて、ちょっとシャクじゃありませんか?

 ともかくサマータイムは、慣れれば平気でした。その他の生活尺度の中で、距離のマイル表示は案外慣れやすかったと思います。最後までダメだったのは気温の華氏表示でした。「人が生活の中で実際に経験する温度帯を百等分したのが華氏」という同僚トム・コルソ氏の説は、華氏0度が摂氏-32度、華氏100度が摂氏41.7度であることを考えるとなかなか説得力がありましたが(日本の気温の最低記録は-41℃、最高記録は40.9℃だそうです)、どうにもピンと来なくって。換算表を作って冷蔵庫の扉に貼り、毎回それを覗き込んでました。

 サマータイムとか時差とかは、ミステリー小説のトリックなどでちょいちょい使われてきましたね。予告殺人の時刻が過ぎてホッとしたところ、実は予告は西海岸時間によるものだったと気づいて恐慌を来し等々。メルボルンの「経度」と「サマータイム」、勝沼さんならどう使いますか?

***

・タイトル

一月のメルボルンの日没が21時な理由

・コメント

調べました。試行錯誤して「メルボルン 夜明るい」と検索したところ、学研の質問サイトに答えらしきものを見つけました。リンクがうまく貼れないので検索してみてください。

 ネットってすごいですね。

 夜通し明るいというわけではなく、メルボルンの1月は日没が21時ごろで、21時半過ぎまでは薄明るい感じのようです。写真は21時過ぎくらいではないでしょうか。

 実はほぼ同経度の東京とメルボルンは夏の日没のタイミングは変わりませんが、二つの理由から1時間ずつ計2時間、時刻としてはずれることになります。

 一つはサマータイム。私はサマータイムって16時に仕事を終えることだと勘違いしてました。16時を17時にすることだったのですね。サマータイムによって時計が1時間進められるので、時刻としての日没も1時間ずれるのです。

 もう一つは標準時の位置のズレです。ほぼ同経度にある東京とメルボルンですが、東京の標準時は西にズレた東経135度、逆にメルボルンの標準時は東にズレた東経150度になります。この15度が同じタイミングの日没を時刻の上では1時間ずらすのです。

 サマータイムと標準時の位置のズレ、この二つによってほぼ同じタイミングで日が暮れても、東京では19時に、メルボルンでは21時に日が暮れるのです。

 勉強になりました。

Ω

 


似てる!

2017-01-26 19:23:24 | 日記

2017年1月26日(木)

 身近のフクロウ・グッズの中で、これをぜひとも載せておきたい。箱根の森美術館で買ったのだと思う。1946年とあるから、パブロ・ピカソ(1881-1973)65歳の時の撮影である。炯々たる眼光とは、このことか。手にしているのは作品なんだろうが、ほとんど自画像だ。(絵じゃないから自画像じゃないね、自我像?)

 フクロウ万歳!

Ω


フクロウはフクロウ

2017-01-26 08:41:25 | 日記

2017年1月26日(木)

 森林文化協会が『グリーン・パワー』という雑誌を出している。今は同協会に勤めているO君を通じて知ったものだが、これは良い出版物である。毎号学ぶところが多く、だいいち楽しい。表紙の写真も魅力的で、昨年7月号のそれは干支にちなんで今年の年賀状に使わせてもらった。

 

 アオバズクの若鳥が2羽、アブラゼミに目を丸くしている。詳しく言うと、向かって左の鳥は目が点になり、右の鳥は目をまん丸くしている図だ。かわいいやらおかしいやらで、ときどき取り出しては見て喜んでいる。

 一昨日届いた2月号、今度はこれ。

 

 これまた心温まるショットだが、同時に思い出すことがあった。たまたま見かけたとある組織のHP、あった!

  http://www.kankenpo.or.jp/

 二枚の写真、場所も撮り手も違うようだけれど、明らかに同じ種類の鳥ですよね。フクロウ/ミミズクの係累に違いないが、何という種類だろう?『グリーンパワー』の表紙プロフィルには鳥の種類までは書いてない。O君に問い合わせたら、詳しい人に訊いてくれた。その答えが…

 「フクロウだってさ」

 「フクロウはわかってるよ、何ていうフクロウなの?」

 「だからフクロウ」

 「・・・からかってる?」

 「からかってないよ」

 O君は僕と違って人をからかったりしない。フクロウ目フクロウ科フクロウ属にフクロウという種名のフクロウがあるのだ。どうやらそれではないかという。恐れ入りました。

 学名 Strix uralensis、英名 Ural owl、その名の通りユーラシア大陸北部から日本列島にかけて分布する。「五郎助奉公」と鳴くのは君なのね、「ボロ着て奉公」「糊り付け干せ」とも?Wiki がこんなのを載せている。

【フクロウの染め物屋(抄)】

 昔々、あるところにフクロウが経営する染め物屋がありました。

 そこにカラスが目立つ色に着物を染めて欲しいとやってきたので全身を真っ黒に染めてあげたところ、予想外の色にカラスは激怒し以降フクロウを見るなり追いかけまわすようになりました。

 平地で暮らしていたフクロウはカラスを避けるため、誰にも見られないよう夜の森の奥深くでひっそりと「ホーホ、糊付け干せ」と鳴きながら営業をしているそうです。

***

 森の物知り博士、森の哲学者、森の忍者と異名も多い。イヌイットの民話では、人々に火を運んでくれた恩寵の鳥でもある。『クマのプーさん』にも不可欠の脇役。そういえば僕の身辺に、フクロウの置物やマスコットが妙に多いのだった。

 『ふくろう図鑑』さんから諸々拝借(http://www.owl-wan.com/owl_zukan.html#leaf)

      

 左から順に、モリフクロウ、シロフクロウ、フクロウ、オナガフクロウ、コキンメフクロウ、アナホリフクロウ

…だそうだ。

Ω