散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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鮑と虹と

2013-10-08 23:46:38 | 日記
2013年10月7日(月)

よく見れば和歌山市は和歌山県の最北端に位置している。
大阪から見れば「手前/近い側」であるが、和歌山県の拡がりの中ではいちばんのハズレである。東京ボケしてそんなことにも気づいていなかった。

「くろしお」は堺も岸和田も飛ばしていくから、天王寺を出ると次は和歌山だ。
あっけなく着いたかと思うのが浅はかで、そこからが長い。
海南、御坊、田辺、白浜、これでようやく紀州路の半ば、半島南端の串本を回って那智勝浦から新宮へ。
僕の読み違いでなければ、神武帝一行はここから熊野川を遡行し、1,300m級の山並みの狭間を北上して奈良へ入ったのだ。そこから奈良盆地までさらに70kmほどもある。
この大迂回のエピソードには、どんな意味が託されていたか。

日本史の古層に思いを馳せながら、大阪・和歌山・奈良から集まった牧師先生方と研修会。
まずは部屋に荷物を置き、白浜随一のホテル11階からの眺めに一瞬見とれる。
Mさんは田辺の盲導犬訓練所を訪れたついでに、この浜辺まで足を伸ばしたとのこと。
見事な白砂は、瀬戸内の浜辺を彷彿させる。



大きな鳶が二羽、隣の建物の屋上手すりで何やら押し問答をする風情。鳶を眼下に見るのは、たぶん初めてだ。
そういえば、神武帝の道案内をつとめた八咫烏(やたがらす)は、日本書紀では金鵄(きんし)すなわち金のトビとも記される。

研修会場は地下の会議室で、風も光も入る余地がない。
一日目のスケジュールを終えた時は、むろんとっぷり暮れていた。

夕食会場に入って着席し、目の前に大きな鮑が置かれているのに目を奪われた。
裏返しに置かれた貝が、威勢よく体を広げてうごめいている。
指を近づけると、1センチぐらいのところで気配を感じてすっと体を縮めた。
触る前に反応するのはこちらの体温を感じているのか、鋭敏で反復性も良い。
牧師さんたち一様に、指を近づけては「わぁ」と声を挙げている。

地元で採れる新鮮な逸品、石を並べた鍋の中で蒸しあがったそれは、柔らかくて実に美味しい。
ゴメン、と詫びながらしっかり味わって平らげた。



*****

2013年10月8日(火)

7時にホテル前の浜辺に集合して祈祷会。

グラスボートの看板に「ハマブランカ」とある。
カサブランカのもじりだろうが、妙なことを思ってふと気づいた。
ブランカはスペイン語で「白」だから、ちゃんと「白浜」になっているのだ。

浜辺では皆が軽く興奮気味である。
指さす方を見れば、西から北にむけて大きな虹がかかっている。
この顔ぶれの思うことはひとつ、創世記9章、契約の虹だ。吉兆!

「虹」が虫偏であるのは、蛇(龍)が空をわたり天を工(つらぬ)いて虹を描くとの説話に依るという。
ゲルマン神話では、神々は虹の橋を登ってワルハラの天宮へ入って行く。
ワーズワースの詩の通り、虹は人の心をこ踊りさせる。
My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky;
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
"The Rainbow" (1802)

僕には個人的な思い出がある。
転機にあたって、虹を見ることが過去に少なくとも三度あった。
場所と日にちまで特定することができる。
今度は何の導きだろう?

遠く南の海上に台風24号あり、荒れ気味の海上に雲がせり出してきて虹が薄れ始める。
開会祈祷が終わって頭を挙げると、すっかり消えていた。