2016年4月27日(水)
・・・というわけで、珍しくせっせと前倒しの仕事に励み、連休は前半を郷里の巡回で過ごす。ともかく美しい季節であるが、移動日はいきなり雨に迎えられた。
小雨とはいうものの草刈り機の効率は著しく落ちるし、石の多い庭はどこで滑るか分からず、自重するのが正解である。ふと思い立って大日の陽だまりを覗いてみたら、夏みかんとレモンがそれぞれの色の大きな実をたわわに実らせている。鈴なりとまではいかないものの、昨年の不作とはうって変わって天晴れの盛果。正月に父が「放棄する」と宣言した手間のかかる離れ地だが、この収穫を見て放棄する手はない。枯れ葉の始末や草刈りは明日のことにして、まずは夏みかんを手の届く高さで43個回収した。
さっそく試食すると、爽やかに酸味が利いて美味い。一般消費者には「酸っぱい」と敬遠されそうだが、歯切れよい酸味なくして柑橘類に何の値打ちがあるかというのだ。ああ帰省の甲斐があったと夕飯を前に手足を伸ばすと、窓には常の通りヤモリが夜の御出勤である。ヤモリは「家守り」なんだろうが、「夜守り」ともあててみたくなる。冬の間に家族が増えたか、大小あわせて6匹を数えた。
ガラス窓の外側というのは彼らにはありがたいはずで、灯火に惹かれてやってくる小昆虫を楽々と捕らえて飽食するかと思えば、そう簡単でもないらしい。小さな蛾が鼻先に寄ってきたのをパクリ食いつく仕草の前に、相手は易々と身をかわしている。こんなので餌が取れるのかなと心配になって、この風景はどこかで見たぞと思いついた。
高校の修学旅行、奈良はたぶん猿沢池。鯉の群に亀が点在して一塊をなしている。そこへ餌を投げるとほぼ百中の百、鯉が食べてしまうのである。餌が空中にあるうちに早くもとらえた魚が、身を翻して水中に沈んだ残像に向かって爬虫類がのっそりと頚を伸ばす。こんなことでよく恐竜絶滅後の6500万年とやらを生き延びたものだ、それにしても「類」としての誇りはないのか、などと無茶な言いがかりを水面に投げていたのは、何の投影だったんでしょうね。
ワニ、ヘビ、カメ、それにトカゲが爬虫類の残党4目、それぞれ個性があって捨てがたい中で、ヤモリという名のトカゲは人の生活に馴染んだ親しみがある。医学部時代の友人の話に、マレー半島をマレーシアから北へ旅していって、食堂の天井からヤモリが落ちてくるのを見たらタイ領に入った証拠だというのがあった。これはいくらなんでもホラだったんだろう。
ヤモリに声援送りつつ一杯傾けるのも、帰省の小さからぬ楽しみだったりする。