散日拾遺

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インディラとスプートニク

2013-10-04 07:00:48 | 日記
2013年10月4日(金)

1957年のこの日、初来日中のインドのネルー首相が上野動物園を訪れ、その4年前に親善のため贈られていたゾウのインディラと対面した。
『かわいそうなゾウ』の物語から、12年余りが経ったのだ。

同じ日に、ソ連が初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。
ソ連に先を越されたことにアメリカは衝撃を受け、宇宙開発と軍拡に傾斜していく。
いわゆるスプートニク・ショック、アポロ計画はその果実ともいえる。

その後も、有人宇宙船ボストーク打ち上げ(Востокヴァストーク、1960年)、女性宇宙飛行士テレシコワ Терешко́ва 起用(ボストーク6号、1963年)など、ソ連が一歩先んじることが続いた。背後には旧ドイツの科学技術があったとされる。

人類初の宇宙飛行士となったガガーリン Гагаринは、68年に飛行機事故で亡くなった。
「地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、薄青色の円光にかこまれていた。青いヴェールをまとった花嫁のようだった。」(いわゆる「地球は青かった」)
「私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった。」
といった言葉がよく知られている。

後者を巡って、ネットでこんな小噺を見つけた。
ガガーリン自身が好んで語ったと親友の証言があるらしく、事実だとすればなかなかのユモリストだが、フルシチョフ時代にこれをソ連で語れたとすれば、そのほうが驚きだ。
(Two sides of the moon『アポロとソユーズ』デイヴィッド・スコット、アレクセイ・レオーノフ、2005)

 宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにモスクワ総主教アレクシー1世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。

 総主教 「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。」
 ガガーリン 「見えませんでした。」
 総主教 「息子よ、神の姿が見えなかったことは自分だけの胸に収めておくように。」

 しばらくしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンはさきほどとは違うことを答えた。

 ガガーリン 「見えました。」
 フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。」

テレシコワは健在である。
打ち上げ時、彼女には「カモメ」というコードネームが与えられており、地球からの問いかけに対する応答 Я чайка"「こちらカモメ」が「私はカモメ」と訳され、チェーホフの『カモメ』と誤って結びつけられつつ人口に膾炙した。
宇宙服の中から覗く、スラブ人らしい凛とした顔立ちが、僕の記憶にも残っている。

***

ゾウといえば、F牧師が信徒の一群を連れてタイにスタディ・ツアーにおいでたらしい。
(伊予弁では「いらっしゃる」を「おいでる」という。感じの出た言葉で好ましいだろう。)
そこでインド象ライドを体験したそうだが、もちろんゾウは賢く、観光地のゾウは世慣れてがめついのである。
なので御褒美のバナナをケチると、長い鼻に水をたっぷり含んで背中の客にひっかけるんだって。

「舐められてはいけないので、バナナを与え過ぎないほうが良い」と経験者のF先生が助言なさり、その通りにした何人かが鼻水シャワーを浴びたというんだが、F先生御自身は「私?ちゃんとバナナを携えて乗りましたから無事でしたよ」と澄ましている。

あれ~?