散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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読書メモ 018 『風立ちぬ』その1 (付:フジバカマ)

2013-10-17 20:38:59 | 日記
S君より:

おはようございます。すっかり秋になりましたね。昨日の台風にひっかかりませんでしたか?

些細なることにてありき本日のためらい捨ててフジバカマ咲く(鳥海昭子)

フジバカマはキク科で、あの日のことを思い出す、という意味があるそうです。大宮駅


(「季節の花300」http://www.hana300.com/fujiba.html より拝借)

想起、か。
鳥海さんの歌には、むしろ前へ向き直る潔さ、みたいなものを感じるけれど。

*****

映画『風立ちぬ』が話題になっているが、ここは元祖、堀辰雄の『風立ちぬ』について。

昨夕、コースの作業があらかた終わって休憩の時、O先生とM先生の会話に耳が吸いついた。
社会福祉の研究者として一流のお二人は、コースにとっては慈父と賢母のような存在だが、フランス語に堪能というちょっと意外な共通点をおもちである。それを予備知識として。

「『いざ生きめやも』、という訳が間違いだとはいえない、それは『あり』だとは思うんですけれども、しかしバレリーの原詩に立ち返った時に、それが適切かどうかというのは別の問題で、」

「そうですね、Il faut には『ねばならない』という、命令とか義務を読みとるのが自然ですから。意志としても、とても強い意志・・・」

「そうなんです、『生きめやも』も意志には違いないけれど、詠嘆を含んで抒情的な、ある種の迷いや逡巡を含んだものになっていますよね、」

聞きほれてしまった。

***

『風立ちぬ』というタイトルのイメージは、ヴァレリーの詩「海辺の墓地」から採られている。その訳の当否をお二人は論じているのである。

原詩の該当箇所はこういうのだ(アクサンはこの画面ではうまく打てないので御勘弁)。

Le vent se leve, il faut tenter de vivre.

思いっきり散文的に訳すならば、「風が立つ、(私は)生きようと試みねばならない」となる。
どう日本語に落とし込むかはゆっくり考えるとして、il faut ~ は英語の must に相当する強い命令ないし義務を表し、「好むと好まざるとに関わらず、私は生きる試みを起こさねばならない」というほどのニュアンスがそこに伺われる。
フランス語もフランス人も猛烈に個人主義的なくせに、il faut といい、on で始まる構文といい、意味上の主語を省略できるところが面白いとかねがね思う。
しかしここで「生きることを試みねばならない」のは私以外ではありえない。

いっぽうの「いざ生きめやも」だが、僕にはそもそも、この句の意味が分からない。

「生きめ」は動詞「生く」+助動詞「む」で、「め」は「む」の已然形だ。
「やも」は係助詞「や」+係助詞「も」で、古語の中でも上代に属する用法である。
文末用法の「やも」は、活用語の終止形に付く場合と、已然形に付く場合があり、終止形ならば疑問・反語、已然形なら反語と決まっている。(『大辞林』ほか)
従ってここは反語、大好きな憶良の歌「まされる宝、子にしかめやも」(=子どもに如く、より以上の宝があろうか、否、ありはしない)が典型的な用例だ。

するとどうなるのだ?
「生きめやも」・・・生きていこうか、否、生きたりはできない・・・?
そんなバカな。

バカなとは思うものの、手許の辞書・文法書類からは他の解釈を発見できない。
それでは話が始まらないので、「さあ、生きていこう」という意味にとっておく。
「生きむ(=生きよう)」を修飾する、「やも」は肯定的な詠嘆ということになるか。
辞書には載っていない用法だけれど。

***

『風立ちぬ』に触れる前に、O先生とM先生の話に戻って僕にも思い当たることがある。
フランスものの場合に特に顕著かどうかわからないが、外国語の詩や歌詞を日本語に訳す場合に、原文の力強さを削ぎ落として情緒纏綿たる柔らかい文に焼きなおすことが、ちょいちょいあるようなのだ。

典型例は、シャンソンの『愛の讃歌』である。

いちばん人口に膾炙している歌詞は、たぶんこれだろうか。

 清水が湧くように 静かにあふれくる
 心の泉よ 愛の喜び
 さす日に輝いて いつでも美しく
 心にあふれる ひそかな幸せよ
 (小林純一 詞)

少し強烈なのがこれ、

 あなたの燃える手で あたしを抱きしめて
 ただ二人だけで 生きていたいの
 ただ命の限り あたしは愛したい
 命の限りに あなたを愛するの
 (岩谷 時子 詞)

ところで原詞はどうかといえば、

 Le ciel bleu sur nous peut s'effondrer
 Et la terre peut bien s'ecrouler
 Peu m'importe si tu m'aimes
 Je me moque du monde entier

 青空が落ちてこようが
 大地が裂けようが
 ちっともかまわない、あなたが私を愛してくれさえすれば
 世界がどうなろうと私には関係ないの
 (石丸とりあえず訳)

凄いだろう?そしてどうだろうね、これ。
確かに直訳では曲に乗りそうにもないけれど、曲に乗る歌詞をひねり出す過程で、歌の印象というものが根本的に変わってしまったことは否み難い。特に小林版ではそうだ。

両先生の会話を聞いていて、ひょっとして堀辰雄も同じようなことをやっているのではないかと、少しばかり勘ぐってしまうわけだ。

***

探したら、もうひとつあった。
http://blogs.yahoo.co.jp/boitepostale2006/37534791.html
というサイトで詳しく紹介している人がある。

 空がくずれ落ちて 大地がこわれても
 恐れはしないわ どんなことでも
 愛が続く限り かたく抱きしめてね
 何もいらないわ あなたのほかには

 世界のはてまで わたしは行くわ
 おのぞみならば
 かがやく宝ぬすんで来るわ
 おのぞみならば
 祖国や友をうらぎりましょう
 おのぞみならば
 あなたのために何でもするわ
 おのぞみならば

 もしも いつの日にか あなたが死んだとて
 なげきはしないわ わたしもともに
 とわのあの世へ行き 空の星の上で
 ただふたりだけで 愛を語りましょう

これならば「訳詞」と言ってよい。永田文夫という名が記されている。

面白いのは、いくらかマイルドな岩谷訳に依った越路吹雪はストレートで強烈な歌い方、原詞に忠実な永田訳を用いた岸洋子は上品な歌い方と評されていることだ。
永田訳を越路吹雪が歌ったら、エディット・ピアフの熱唱にかなり近づいたことだろう。

(この項つづく)


朝の祈り/F先生/ジンベエザメ

2013-10-17 06:18:39 | 日記
2013年10月17日(木)

昨春まで松山番町教会を牧していらした小島(おじま)誠志先生、広島カープファンなので、クライマックスシリーズの行方に今頃やきもきしていらっしゃるだろう。
たいへんな読書家であるうえ、人柄の現れた温かく内省的な文をものされる。
番町教会の週報を両親がとりおいて、送ってくれるのが楽しみだった。

昨夜、思いきって早めに休んだら、今朝は6時前に自然に目が覚めた。
その時ふと、下記の文が頭に浮かんだ。

 朝、目を覚まします。今日しなければならないことがドサッとかぶさってきます。急いで立ち上がるのではなく、静まるのです。沈黙して聞くのです。そうすると何をしなければならないかがわかってきます。何が大事で何が大事でないかが見えてきます。何を選び何を捨てていいかがわかってきます。
 全部、何もかもをしなくていいのです。脈絡なくあれもこれもして、結局何をしたかわからなくなります。一生駆け回って、その一生が何だったかわからなくなります。
 わたしたちは忙しいのです。目まぐるしい毎日です。仕事に追われています。仕事に追われてパニックになる。ある場合には仕事ができなくなってウツになります。
 仕事は選びとって行かなければなりません。そのために「聞く」のです。聞くとき、混沌の中に一筋の道が現れてきます。
(番町教会報 No. 127、2009.7.12)

10分ほどか、これを思い出しながら布団の中でぬくぬくと過ごした。
そしたら、大量の仕事がドサッとかぶさってきている現実が思い出されて、のんびり寝ていられず起きてしまった。ダメだなぁ・・・

そこで小島語録からもうひとつ。

 祈りは
 日常に打ち込まれた杭(くい)
 祈らなければ流される
 時代に、人々に、
 肉の自分に
(番町教会週報 2008.4.20)

祈りだ。

***

1987年から88年にかけての別府時代は、思い出したくもないような最低の一年だった。
天中殺とか大殺界とかいうのは、ひょっとしてこういうものかと考えたりした。
けれども後から振り返るに、困難の中でこれほど他人から助けられたこともなかった。
おかげで生かしてもらったと、つくづく思う。

恩人のひとりがF牧師で、別府市内に3つある教団の教会のうちいちばん小さなF教会を牧していらした。
凛とした気品のある大柄で穏やかな方だったが、主日の講壇では静かな語り口の行間から抑えがたく火の噴き出るような、魂のこもった説教をなさった。
当時すでに体調を崩していらしたのであろう、命を削って言葉を紡ぎ出されるのが伝わってきた。

ときどきお宅に呼んでくださり、「お風呂にいきましょう」と筋向かいの銭湯に誘ってくださったりした。安くて快適な別府の街湯である。
奇しくも同郷、伊予・松山の御出身で、数年後に郷里に戻り、そこで他界なさった。
留学などもあり、再会を果たすことができなかった。

先日の白浜の集まりで、事務局を担当して周到に御準備くださったのは、和歌山県A教会のS先生だった。牧師の家系であることがお名前からわかる、背筋のよく伸びた女性教職である。
この方が大分の生まれとうかがったので、かつてF先生にお世話になったことを告げた。

「父もF教会におりました。その後任がF先生です。」

表情を抑えながらS先生がおっしゃった。

「小さな世界ですので、このようなことがよくあります。」

白浜で虹を見た、その帰り道の会話である。

*****

和歌山からのニュースに目が向いている。

先日はカメムシ、今朝はジンベエザメ。
串本町の海岸に体調4m、推定体重500kg超のジンベエザメが打ち上げられているのが見つかった。台風26号の高波で浅瀬に迷い込み、戻れなくなったらしい。
町内の水産会社の従業員らが救助し、沖へ逃がしたという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131016-00000000-agara-l30
(紀伊民報 10.16)

伊豆大島の土石流、死者17人、行方不明43人。
和歌山の浜辺で大きな生き物を救う人々の力が、400km東の島へ伝わることを切に祈る。