2018年4月26日(木)に戻りまして
学習センターで面接授業を行う楽しみの一つは、センター所長に会って話を聞くことである。センターでは本部の専任が来たというので下にも置かず歓待してくれるが、実は所長先生方こそ多士済々、一騎当千のツワモノと呼びたい豪の者が揃っていて、これでどうしてこっちが「先生」なのだろうと混乱をきたすことが珍しくない。これまでにも、岩手・滋賀・香川・徳島・福岡など各地で多くの先生方に教えを請う光栄に浴してきたが、今回また高知で目を見張るような御仁に出逢ったので、あらましを書き留めておく。いただいたメールから随時引用しつつ。
Y先生は滋賀の御出身、滋賀については「どこをつついても何かが出る、歴史好きの天国」と滋賀学習センターの先の所長から聞いていた。この人は確か高知の出身で滋賀に居着いたのだから、Y先生とトレードみたいなものである。何しろ滋賀という土地が、Y先生の人生をのっけから決めにかかった。以下、早速メールの引用:
「ペグマタイト(pegmatite)という鉱物があり、福島県の石川、岐阜県の苗木、滋賀県の田上が日本三大ペグマタイト産地として知られています。ペグマタイトは巨晶花崗岩ともいい、数センチから数メートルの石英、長石、雲母などからなります。これらの他に水晶、煙水晶、草入り水晶、黒水晶、黄水晶(シトリン)、電気石、トパーズ、緑柱石(エメラルド)、放射性元素を含む鉱物、希土類元素を含む鉱物などが含まれます。この他にも産出の希な珍しいさまざまな鉱物が見つかります。このようなペグマタイトに含まれる鉱物を『ペグマタイト鉱物』と称します。」
「小学生のころは田上周辺のペグマタイト鉱物の採集によく出かけました。色や形が美しいもの、珍しいものが採れると、友人同士で自慢しあったものです。これが、地質学や鉱物学に興味関心を持つきっかけになりました。その後、父の転勤で5年間、栃木県西那須野町(現在は那須塩原市)で過ごしましたが、この間は那須の岩石や塩原の化石の採集に熱中しました。栃木時代は天体望遠鏡の作成と天体観望にも時間を費やしました。那須の空は美しく天体観望にはうってつけでした。また、冬には明けても暮れても田圃のスケートリンクでスケートに興じました。いずれも今は懐かしい思い出です。のんびりした良き時代でした。」
※ ペグマタイト → http://www.msoc.eng.yamaguchi-u.ac.jp/collection/origin_12.php(山口大学工学部学術展示館)
御父君がケチャップで有名な某社にお勤めだった関係で、トマトの産地をたどる形で転勤がありY少年も転校を経験した。滋賀から移った先が那須である。関西訛りを冷やかされるなどお決まりの苦労はさておき、那須でY少年を魅了したのは降るような星空、地面を見下ろして石を磨いていた少年は、一転して天体観測に夢中になった。
天体観測などと洒落た言葉を使ってみたが、そこで直ちに障壁となるのは道具の問題。天体望遠鏡は高価なもので、とても子供の手の届くものではない。そこで家にある双眼鏡を持ち出し、お茶を濁したのが僕のレベルである。Y少年は一冊の本を頼りに、天体望遠鏡の自作に取り組んだ。このあたりに凡と非凡の分岐点がある。
クラスに20人の男子あれば、必ず昆虫少年が一人、天文少年が一人、工作少年が二人は居た、往時のコドモたちの旺盛な好奇心が彷彿されるが、それにしても反射望遠鏡というのが凄い。初めはレンズを磨いて屈折望遠鏡を製作していらしたが、レンズには収差 abberation という現象が付きもので思うに任せない。そこで諦めることなく反射望遠鏡へ踏み込んだのだが、むろん独学で、ここまで付き合う仲間もありはしなかった。ただ、驚くべきことにこうした少年の熱望に応える書籍があったのだ。
「単行本で書名や著者名を記憶しているのは木辺成麿『反射望遠鏡の作り方』(誠文堂新光社)です。他にもいろいろ参考になる本を買い求めました。『天文ガイド』や『天文と気象』などの天文雑誌の記事もおおいに参考になりました。」
天文ガイドは僕なども何度か買ったが、土星の輪っかの見事な写真に嘆声を漏らして終わる程度のことだった。一方のY少年は、ありあわせの材料を組み合わせ、みごとに一台の反射望遠鏡を完成させたのである。スマートフォンで愛おしそうに見せてくださったその写真、昔ニュートンが水銀中毒の危険を冒して磨き上げた反射鏡に重なって見えた。
***
天へ向かった少年のまなざしが、いかにして再び地に戻ったかは伺い損ねた。ただ、天文と地質が実は分かちがたく連動しているのは素人にも分かる理屈で、必然的な展開があったこと想像に難くない。地質学者としてのY先生は、学問の命ずるところに従って世界を股にかけるフィールド調査の日々を送った。で・・・
「御出身が松山とおっしゃるのは、詳しくはどのあたりですか?」
「市の北部、平成の合併以前は北条市だった地域です。松山から今治へ向かう途中の」
「北条ならよく知っています。」
事も無げに言われた。何度も訪れたことがおありだという。なんでまた?
「北条あたりの地質は花崗岩が主体ですね。」
「はい、おかげで砂浜も見事な白、白砂青松は花崗岩のお蔭かと」
「あの一帯の花崗岩は、1億年前のものなんです。」
絶句した。地質や天文を事とする人々の宇宙人めいたところで、超常的な数字を手の中のビー玉かなにかのように転がして平然としている。とまれ父祖の地が一億年の花崗岩の上に立つと知って、訳もなく誇らしく感じたものだが話の先があった。
「ここ高知の城山ですね、こちらは4億5千万年前のものと考えられています。」
バンゲアと呼ばれる太古の超大陸が、融合したり再分裂したりする過程のすべてを生き延びた岩塊が、土佐の高知のお城の山を形作っているのである。人に想像力が与えられているのはまことに恩寵というものだ。大学人としての日々の仕事はさしものY先生にも多大の煩悶をもたらさずにはおかないが、いったんフィールド調査に出ると憂さなど全て雲散霧消、Y先生の人生は基本的に「ストレス・フリー」であったという。
何をやっているのかと、つくづく思う。莫大なエネルギーを消費してわざわざ夜を明るくし、満点の星空という魂の清涼剤を頭上から消し去っておいて、胸元にストレス解消法を探す式の愚かしさである。昼食の帰り道、高知大学キャンパスの一隅に置かれた石の群を見ながら、「その石にも、この石にも、等しく地球の歴史が記されています」とおっしゃった。せめてこれからは石を見る目を少しでも養おう。
***
天に星、地に石、そして海には何でしょう?夜の部でY先生が御馳走してくださった、この唐揚げの正体は・・・
Ω