2022年10月26日(水)
「愛の反対は無関心」という言葉をマザーテレサのものとして記憶していたが、これはありがちの思い違いということらしい。思い違いが生じた事情について仔細に検討したサイトがある。
ここに解説されている通り、真の発信者はエリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel, 1928-2016)と思われる。ホロコーストのサバイバーであり、その体験を記した自伝的著作により、1986年にノーベル平和賞を受賞した。
(写真は Wikipediaより)
上記ブログが Wikiquote 所載の原文を紹介してくれている。ブログ主さんの名訳と共に転記する。
The opposite of love is not hate, it’s indifference.
The opposite of beauty is not ugliness, it’s indifference.
The opposite of faith is not heresy, it’s indifference.
And the opposite of life is not death, but indifference between life and death.
愛の反対は憎しみではない。無関心だ。
美の反対は醜さではない。無関心だ。
信仰の反対は異端ではない。無関心だ。
生の反対は死ではない。生と死への無関心だ。
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出典の正確を期する姿勢は貴いもので、その言葉が発せられた歴史状況を正しく理解するために欠かせない。もとより同じ言葉がマザーテレサの口から出ても不思議はなく、思い違いが固定するに至った一因もそこにあるだろうし、同じ意味の言葉を呟いた人々が、長い歴史の中で他になかったとも思われないが、それらはまた別の話である。
まずはホロコーストを生き延びた人物がこの言葉を発したという事実に、足を止めて慄然とせねばならない。憎悪と暴力の嵐の中を命からがら逃げ延びた末に、真の敵は憎しみの暴風よりもむしろ冷たく静かな無関心なのだと呟く。そのことが恐ろしいのは、憎悪や暴力には与しないつもりの「わたし」自身も、無関心に広く深く浸されていることは否定できないからだ。
無・関・心…
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「反意語」をめぐるこのレトリックは、面白いものでしばしば用いられる。卑近な傑作として、「買う」の反対は何かと先生に訊かれた小学生が「見るだけ」と答えたというのがある。「買う?買って!」「今日は見るだけ」といったやりとりが透見されて微笑ましく、教育の問題としてもこれを頭から誤答とすべきではないだろう。
切り抜き類を整理していたら、ある刊行物の「貧困の反対は?」という見出しが目にとまった。四国方面で子ども食堂の活動を続けている女性牧師の投稿で、その結論は「貧困」の反対は「裕福」ではなく「助け合いの輪」であるという。「輪」は「話」そして「和」につながるとも。
さらにひねって「助け合いの輪」の反意語は何かと問えば、ここでも「無関心」と言えそうであり、それならば「貧困」は「無関心」と同値ということになる。
深く納得する。
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