散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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両先生の温かいコメント/不可能な償い、贈与としての赦し

2013-10-22 22:56:09 | 日記
2013年10月22日(火)

O先生とM先生の会話を黙って拝借したのが気になっていて、『風立ちぬ』関連部分をプリントして先生方のボックスに届けたのが今夕。

帰宅するとM先生からもうメールが届いている。さっそくお読みくださり、温かいコメントをくださった。

小一時間で今度はO先生、M先生からのメールを御覧になり、ボックス確認を待たずネット上でブログを訪問なさった様子。O先生もまた喜んでくださった。

妙な言い方だけど、ほんとうに偉い人たちはこういうもので、超多忙の中にあって人との関わりを決して粗略にしない。つくづく頭が下がる。

両先生のメールから、一部引用させていただこう。
まず、M先生。

 「風立ちぬ」の映画が評判になっているということを聞き、少女時代に読んだ記憶のあった本を最近読み直して、「人生経験が加わるとキャッチするところが全く異なるのだなあ」と実感した次第です。
 そんなに好きでも嫌いでもないというのが今回の読後感でしたが、フランス語を知らなかった少女時代には全く気にならず、むしろかっこいいと思ったヴァレリーの一句の訳がとても気になってしまったのでした。

 ストラスブール大学で研究する傍ら受講したフランス文学の初歩の授業でディドロを熱心に論じていた女性教師の顔が今も目に浮かびます。その時日本で「文学」と私が思っていたものとあまりにも違い、論理的で力強くかつセンシティブな「文学」が存在することに感動したことも昨日のことのように覚えています。

論理的で力強くかつセンシティヴな「文学」、どれほど憧れることだろう!
いっぽうのO先生は、常に前進して止まぬ永遠の青年だ。

 私の中では、秋風とともにすでに「風立ちぬ」の時代は過ぎ去って、昨日見た映画「陽だまりの彼女」の時代になっています。これも、良かったですよ。

「陽だまりの彼女」?
そういう映画があるんだ、と呟いたら、三男が「原作読んだよ!」と朗らかに言う。高校受験生のくせに、隅に置けないやつだ。

***

先のブログで触れた酒井啓子さんが次男の先輩にあたるので、ブログのプリントとともに記事を渡した。一読後もじもじしていると思ったら、珍しく思うところを述べ始めた。

償う、ということは、不可能なのだという。
デリダなんぞを読みながら、そんなことを考えているらしい。
人は自分の行いを償うことができない。償いは存在せず、ただ赦しがあるばかりだと。
もしも償いらしき行為によって赦しを期待するなら、それは一種のとりひきであって赦しではないのだと。

償いができるし、償えばあたかも権利のように赦しが得られると思うところに、さまざまな蹉跌が生じる、そういうことだろうか。

もちろん、償いは加害者の行為であり、赦しは被害者のわざである。
とすれば、被害者は加害者を赦す力をもつのに対し、加害者は徹底的に無力であることになる。だまし絵のようなパラドックスだ。

見かけほど難しいことを言っているのではないと思う。
僕流に書きくだせば、こういうことだろうか。

長男が修学旅行から家族へのおみやげに買って帰った長崎のビードロを、僕は不注意で壊してしまった。しばらく気に病んで、ある方法でビードロを二つ手に入れ、一つを長男に贈り、一つを家に飾った。
僕としては精一杯の償いではあるが、そのビードロは、あのビードロではない。長男が長崎の店頭で手に取って選び、大切に持ち帰ったビードロは、壊れてしまって永久に戻らない。
もしも彼がそれを根にもつなら、僕は決して赦されないことになる。償いらしき行為を受け入れて僕の失敗を水に流すのは、ただ長男の決断による贈与であって、僕からは要求できないことだ。

赦しはフランス語で pardon だと次男情報。まさに贈与なのである。

***

むろんそのことは、加害者が「償いの不能」に居座って何もしなくてよい、ということを意味しない。これは次男ではなく僕の付け足しだけれど、変えることのできない過去を疑似的な代償物で置き換えることではなく、変えることのできる現在において、また変えるべき未来に向けて、変わる努力をすることが、償いに最も近い主体的な行為として加害者の側に残される。
それをいつぞやのブログで「悔い改め μετανοια」と呼んだのである。 μετανοιαとは「方向転換」の意味なのだから。

加害者側に悔い改めの姿勢があるかどうか、それが被害者側に伝わるかどうか、それが憎悪や報復の連鎖を解消する大きなカギでもあるだろう。

不意に思い出した。
『ツァラトゥストラかく語りき』の中に、「贈り与える徳」という一章があったはずだ。

そして聖書、
「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒言行録 20:35)

そうに違いない。

「かがみ」の話/武器禁輸原則/吉田松陰と福沢諭吉

2013-10-22 07:58:36 | 日記
2013年10月22日(火)

ふと気になって、「かがみ」の語源を調べてみた。

「かげみ(影見)」というのが、まず出てくる。
影は shadow ではなく、figure のほうだ。
姿を映すもの、なるほど。

もうひとつ、「かかめ」という説も紹介されている。
「かか」は蛇のこと、その目だというのだ。これはまた想像を刺激する。
蛇が聖書で悪役なのは残念なことだ。
ギリシア文化圏ではむしろ健康や衛生の象徴とされ、医神アスクレピオスの杖にも絡まり、薬局のシンボルとして上皿天秤とセットになっている。脱皮することが、古く悪しきものを脱ぎ捨てて新生するイメージにつながったらしい。

鏡はもともと神秘的かつ高価なもので、近世までは庶民の手の届かぬところにあった。
落語の『松山鏡』、篤行のお百姓に殿さまが御褒美をくだされようとしたところ、
「ものは何も要らないけれど、亡くなった父親に一目会いたい」
とせがまれる。困った殿さまはお百姓に尋ねる。
「そのほうは父親に似ておるか?」
「へえ、そっくりと言われます」
そこで殿さまはお百姓に鏡を下賜された。鏡を見たお百姓、
「ああ、おとっつぁま、おとっつぁま、懐かしいこんだ、しかしとっつぁま、えかくフケたんではねえか・・・」
皆が笑い、そして涙する。

その昔、鏡を知らない時、人々は毎朝の整容をどのようにしたのだろう?
水に映して見るということは、一法だったに違いない。しかし、身の回りに水がなかったり、荒天で水場が波立っていたりした時は?
その時は、お互いがお互いの鏡になったに違いない。
助け合わなければ、それぞれの身づくろいができない、そういう時代があったはずだ。

例によって妄想が動く。
そのようにして平和に助け合っていた小さな群に、ある日、鏡がもたらされる。みな驚き、争って鏡を使うようになる。気がついてみると、お互いはお互いの整容に力を貸さなくなっていた・・・

遠い昔のお話である。

***

朝日の一面は「武器輸出三原則 見直し」だ。

「国際協調主義に基づく積極平和主義」を首相は強調したそうだが(「主義」に基づく「主義」は表現として美しくない)、「対米追従主義に基づく積極武闘主義」としか、僕の耳には聞こえない。

アメリカ流の正義がアラブ民衆にはどう見えるか、先週末に届いた「白水社の本棚」で酒井啓子さんという人が書いている。読めるかな?

こういう「見直し」は一方向への硬直性に縛られている。いったん緩められた原則が、あらためて引き締められることは期待し難い。憂色を禁じ得ない。




***

> 確かに松陰は明治以降の日本が病的に暴走する象徴だったのかもしれない。でも同時にその情熱が多くの若者に夢を与えたこともまた真ではないかと思うのです。病気ないし病的なという言葉を使うと分かった気になるけど、そう単純ではないように思います。(勝沼さんより)

吉田松陰はプラスのシンボルとして語られるのが常でしたから、『ものぐさ精神分析』の視点のほうが斬新でしたね。おっしゃるとおり、そう単純ではないのでしょう。

私はいつもながら、福沢諭吉『痩せ我慢の説』を思い出します。
「立国は私なり」、つまり愛国心は拡大された自己愛に過ぎず、何ら高尚なものではない。しかし、日本という国とそこに住む民の歴史的水準を飛躍的に向上させるために、今は愛国心に訴えることがどうしても必要であるという、福沢らしい複眼的視点です。

おそらく岸田の指摘は正しく、松陰には度外れに子供っぽいところがあったのでしょう。しかし、そのような児戯的なエネルギーがなければ、あの難局を乗り切れなかったことも事実なのでしょうね。

昭和・平成の歴史を見て、福沢ならば何をどう語っただろうか、興味の尽きないところです。