散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「県境越え自粛」ですか?

2021-04-10 09:43:57 | 日記
2021年4月10日(土)
 誰がやっても難しいことなので、政策のこまごました批判などはなるべく控えるよう心がけているが、この山場に来て首相も都知事も「県境越え移動の自粛」を強調するのを聞いては、さすがに幻滅を禁じ得ない。
 この週末は久々に鶴見川沿いをジョグ・ウォークしてみようか、それには東急線で県境を越え神奈川に入る必要がある。それとも仲間を語らって新宿歌舞伎町あたりで痛飲しようか、これは都内の移動で済む。どちらが安全でどちらが危険かは言うまでもない。
 三密を避けるという大原則の価値は当初から今に至るまで不動であり、それをどう達成するかで上も下も苦慮してきたが、そのために編み出された各種のキャッチフレーズの中で、「都道府県境」を強調するのは最も見当外れで有害作用が多い。隣県同士のいがみ合いを助長する危険については以前に触れた。
 この時期に久々こんなかけ声がかかるのは、目前に迫ったGWを睨んでのことだろうが、昨年来、望郷の念をこらえにこらえ帰省を控えてきた全国各地の若者たちに、どう響くか考えてのことか。彼らの嘆きは診療の場で語られない日がない。先日は、地方の医科大学に進学した若者が東京への帰省を長く禁じられ、オンライン授業漬けとの挟み撃ちで神経症状態に陥ったケースの相談を受けた。
 ここでもポイントは「久々に会えた嬉しさにまかせ、むやみに会食などしないように」というところにあり、そこをわきまえての移動そのものに大きな害はなかろうに。生真面目な若者に限って大人のかけ声に従順に従い、無用に自分を追い詰めていく。わきまえない者は、かけ声などはじめから聞こうとしない。誰の得になるか。
 いかにも頭の痛い状況ではあるが、だからこそ今さら見当外れの有害弾を撃ってほしくはないものだ。いっそ「GWは家族と一緒にゆっくり過ごされよ、ただし会食は厳禁」とでも勧め、帰省希望者にPCR検査を優先的に施行するといったメリハリはつけられないものか。
 当方、大人らしくわきまえているつもりだが、この件については聞く耳もたない。午後は県境を越え、人影まばらな川縁をのんびり散策してみるとしよう。

Ω

龍のごとき人の送別

2021-04-10 07:55:12 | 日記
2021年4月10日(土)

池に田に 遊ぶ蛙も小魚らも 安らかならん 龍の守れば

 思いがけず喜んでいただいたのが嬉しくて書き留めておく。巧拙はともかく、そのようなお人柄だった。
 当日、蛙を「かえる」と読んでしまったが、これは断然「かわず」が良かった。下の句は「安くぞあらん」とでもするのだったか。
 素人芸にもこだわりはあるんですという次第。

 インターネット上の龍の絵をリンクで添えたところ、その爪が5本であることを即座に指摘された。本家正統の徴であるという。よく描かれたものだが著作権付きらしく、ここに掲げるわけにいかないのが残念。

Ω

アマガエル哀話

2021-04-07 10:21:07 | 日記
2021年4月6日(火)

 重い病気で余命を限られた父親に、家を飛び出した次女から電話が入る。
 「帰って来るな、帰るなよ」と父親。その言葉通り、娘は臨終の床にも葬儀にも現れなかった。
 後日帰郷して長女に詰め寄られ、次女の言ったこと。
 自分は父親に逆らってばかりいた、右へ行けと言われれば左へ行き、静かにしろと言われれば大声を出し、いつも逆らっては手を焼かせていた。そんな自分が帰ってきたら、なるほどおちついて養生もできなかろう。せめて最後ぐらいは父親の言葉に従おう、そう考えたのだと。
 哀れやボタンの掛け違い、次女の性格からして「帰るな」と言えば、きっと帰って来るものと父親の方では期待した。それが見事に裏目に出て今度ばかりは父の言葉の字面(じづら)通りに振る舞い、結果的に最後まで父親の望みに逆らうことになった・・・何作か前の朝のドラマに織り込まれた挿話である。
 この場合、父親が「帰れ」と言ったら娘は反射的に逆らったに相違なく、どのみち父親の死に目には会えそうもない定めである。では会いたくなかったのかといえば、そうとばかりも言い切れない。こんなちぐはぐを父娘はずっと繰り返してきた、「人は生きてきたように死んでいく」というのは個人に限った話ではない、関係についても言えることである。
 本筋には関係ないのに折に触れて思い出す挿話だが、先日プレゼントされた韓国の民話集の中に同種のものがあった。中国や日本でも知られる古型であり、今日もまたそこかしこで再現される悲喜劇のモチーフに違いない。

 「昔々、母親の言うことを全然きかないアマガエルがいました。こっちに来いといえばあっちに行き、あっちに行けといえば反対へ行きます。危ないから行くなというと必ず行くという具合で、何であれ反対のことばかりするのです。
 「言うことを聞きなさい」といえば「嫌です」と答え、「もう寝なさい」というと「嫌です、遊びます」、「ご飯を食べなさい」といえば「食べません」。
 言うことをきかないアマガエルのせいで、母親はついに病気になりました。日が経っても病気は良くならず、悪くなるばかりです。死期を悟った母親は、アマガエルを呼んで最後に言いました。
 「私が死んだら山に埋めず、必ず川辺に埋めなさい。」
 この言葉を残して母親は死にました。アマガエルはわんわん泣きました。
 「僕があんまり言うことをきかないので、お母さんは亡くなったのですね。ごめんなさい、今度こそ言われたとおりにしますから。」
 そして母親の言葉通り、亡きがらを川辺に埋めました。ほんとうは母親は、反対のことばかりする息子が自分を山に埋めてくれることを望んでいたのです。
 それを知らないアマガエルは、雨が降ると川辺の母親の墓が流されはしないかと心配で、そのため雨が降るたび大声で鳴くのでした。」
"청개구리 이야기" (下記収載)より、大意を私訳 

 

Ω