2017年11月23日(木・祝)・・・先週書きかけていたお話
前夜ふと思いついてやってみた。流行の小鍋料理、これは豆腐と豆乳の豚肉鍋に豆苗を添えたもので、豆づくしが目にも体にも良いでしょう。食べて寝たら、休日を良いことに10時間も熟睡した。加齢と共に睡眠時間が短縮するなんて、エビデンスに支えられた偉い先生の説でもやっぱり腑に落ちない。
起きてふらふら歩いていたら、ふと「ワルトトイフェル」という言葉が浮かんだ。これがアタマの仕組みの不思議、なんで今、この時ここでワルトトイフェル?
「スケーターズワルツ」を嫌いな人は少なかろう。小学校の音楽の教科書に記された作曲者名がそのまま記憶に定着し、大学でドイツ語を習った時に思い出して意味を調べた。Wald(森)+Teufel(鬼)・・・森の鬼!これは大したミスマッチだ。
ドイツ人は森の民、ほんとは怖いグリム童話も、無意識のように広く冥府のように深い森の世界が原風景。ローマの軍団はトイトブルクの森でゲルマン人に殲滅され、怒濤のモンゴル軍はシュヴァルツバルトの森でついに行く手を阻まれた。
ドイツ語らしくヴァルトトイフェルト発音すれば、ちょっと怖い感じが出るかなと思ったら、実はこの人、フランス人である。さてはと思いつくとおり、独仏係争地はアルザスの出身。以下、Wikiからコピペ。
エミール・ワルトトイフェル(フランス語: Émile Waldteufel, 1837年12月9日ストラスブール - 1915年2月12日パリ)は、フランスの作曲家。大衆音楽、とりわけワルツ『スケートをする人々』『女学生』やポルカなどのダンス音楽の作曲家として知られ、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世にならって「フランスのヨハン・シュトラウス」「フランスのワルツ王」と呼ばれた。
ストラスブールにて、ユダヤ人の家庭に生まれる。出身地アルザスはドイツ語圏であり、1793年以前および1871年から1918年まではドイツ領であったが、ワルトトイフェルもその名が示すとおり、シャルル・ミュンシュ、アルベルト・シュヴァイツァーらの多くのアルザス人と同じく、ドイツ系の文化圏に生まれ育った・・・(以下略)
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Wald と言う言葉から、もう一人のドイツ語人を思い出した。国際連合の4代事務総長、クルト・ヴァルトハイムである。僕の年代では第3代のウ・タント(在任1962-71)が記憶の首座を締め、その前のダグ・ハマーショルド(同 1953-61)が視察中にアフリカで墜落死してウ・タントが就任したことを後で教わり、ウ・タントからワルトハイム(と発音された)に変わる場面を中学卒業間近にテレビで見た。ヴァルトハイムはオーストリア人、青年時代にはナチ突撃隊員だった経歴があり、「にもかかわらず」のオーストリア大統領・国連事務総長歴任が多くの人に多くのことを考えさせたに違いない。
僕はよく知らない。時間のあるうちに知っておきたいことの一つが Waldheim(森の家)氏の胸の内である。
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