2018年11月30日(金)
どっちからいく?
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「どちらの絵もトレチャコフ美術館で何度も見ました。商人トレチャコフはクラムスコイを含む「移動派」(当時の美術アカデミーに反旗を翻した画家達)のパトロンだったので、トレチャコフ美術館のコレクションの中心なんです。」
「『見知らぬ人』の顔は最初は典型的なロシア美人と思っていたのですが、ロシアに住むと、ロシア美人と言ってもスラブ系、北欧系、コーカサス系、モンゴル系と様々なことに気づきます。気づいた後でこの絵を見直すと、これは髪の黒さ、眉の濃さなどからコーカサス系の美人、殊にアルメニア系ではないかと思うのです。もちろん贔屓目です。」
この羨ましいコメントの発信者E君は、仕事の関係で豊富なロシア滞在経験をもち、その後アルメニアにもしばらく住んだ。「美人大国」アルメニアがすっかりお気に召したようだが、ネットの写真など眺めていると「見知らぬ女=アルメニア人」説もあながち彼の贔屓目ばかりではないように思われる。
⇒ https://world-note.com/armenian-people-characteristics/
E君は大学の同級生で、後年ロシア通になったぐらいだから当然『忘れえぬ女』の来日を覚えているかと思ったら、これが意外で・・・
「そうだった?覚えてません。見たかな?」
「勉強ばっかしてて、気がつかなかったんだろ。この絵で文学部の学生と議論になったもん、来たのはマチガイないよ」
E君には周りの見えないところが確かにあるが、勉強ばっかりしてるようなツマラナイ御仁ではおよそなかった。人の記憶はさまざまなのだ。
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荒野の試練というのは、マタイなら4章1節から11節に記される悪魔の誘惑のことで、共観福音書には「パンの誘惑」以下、有名な三つのテーマが悪魔とのディアローグとして描かれている。
クラムスコイの絵でイエスが背を丸めて座り、己が内面に沈潜自問する姿であるのはいかにも近代的な表現である。腰から下をとりまく灰色の地面と上半身を覆う青みがかった空の広がりがスクリーンとなって、そこにイエスの、そして絵を見る者の内なる悪魔が投影されるだろう。長くこの絵の前に立ち続けることは、到底できそうもない。
けれども試練は荒野にだけあるのではなく、日常生活に潜む悪魔の働きこそ恐ろしいのだ。「見知らぬ女」の沁み通るまなざしが、忘れようにも忘れ難い胸底の火種を掻き立てる。荒野に試練 πειρασμος、日常に誘惑 σκανδαλον、躓かないものは幸いである。
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