2020年8月9日(日)
傘を忘れ弁当を忘れても、マスクを忘れて外出はできない時勢である。新しいマスクに換えようか、少し考えて袋を破ろうとした時、ある場面を思い出した。
1957年の東映映画『純愛物語』、観たことのある人はすぐに思いあたるだろう。
白血病 〜 原爆症が進んで少女が入院する。入院といっても治療らしい治療ができるわけではなく、孤立無援の戦災孤児がかろうじて寝床を与えられるに過ぎない。
見舞いに来た少年に、少女が1枚のマスクを手渡す。無一物の少女の、なけなしの贈り物である。あんた、風邪ひいちゃいけないよ、気をつけなよと、世話女房のように言葉を添える。少年は受けとって大事にポケットにしまった。
数日後に少年がやってきた時、病室に少女の姿がない。看護師に問うと、短い答えが事務的に返ってきた。「解剖に回されましたよ。」
ふらふらと病院を出て通行人とぶつかり、悪罵が交錯する。向き直った少年がポケットからマスクを取り出し、震える手で初めて顔にかけ、寒さの中へ消えていく、そんな幕切れだった。
この名画にもう一つ忘れられない場面がある。少女が、おそらく家裁の判事から説諭されるところ、判事役はたしか宮口精二だったか。その決めの言葉が、
「君はIQが高いんだから、しっかり働かなければいかん」
というのである。
ここに込められた励ましの意味あいを理解することには、精神保健福祉論の講義数回分にあたる意義があるだろう。
IQが高いほど職業選択上有利であるのは、どこの世界でも変わらないが、戦後混乱期のような厳しい世相ではより逼迫した意味がある。戦災孤児たちの中でもIQが低い少年少女は、まともな仕事につけないばかりか、それにつけこむ悪人・ヤクザの好餌となりパシリとして使い回され、しかも自分が利用されていることに気づかず、悪人たちにどこまでも忠誠を尽くすといったことが頻繁に起きる。(同型のことが、こともあろうに現代の取り調べの場面で刑事によって行われ、とんでもない冤罪事件に発展したことは記憶に新しい。)
不良少女として家裁送致されたが、生来利発で明敏な主人公に対して、IQの低い子どもたちの困難と対比しつつ、自分に与えられた資質を活かして全うに生きよと判事が教え励ます、上記はそういう意味合いなのだった。
IQは何のためにあるか、それが不十分な人々にどんな悲しみがあるか、大部の教科書よりも雄弁に教えてくれた小場面。脚本家水木洋子、入魂の巧技である。
まもなく11時2分、ナガサキ75周年。
http://blog.livedoor.jp/michikusa05/archives/51728635.html
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