散日拾遺

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ちっぽけでいい/謝罪のこと

2013-10-11 07:14:49 | 日記
2013年10月11日(金)

> 「人間はちっぽけでいい」という言葉にはとても危うさがあると思います。
この”人間”は一人称でないととんでもないことになる。

> 逆説的な表現かもしれませんが「人間(自分)ってちっぽけでもいいんだ」と思えるには人間(個人)を少しもちっぽけに扱わない社会が環境として必要なんだと思います。

勝沼さん、ありがとう。急所の一言、もとい二言をいただきました。
二つ目は、ヴォネガット自身が生涯追求したところでもあったと思います。

教えてくださった太田光氏のブログを、一瞬チョー斜めに見てみました。
「一読後に号泣し、その後に優しい気もちになる、この世に大した意味はないけれど、それでも人間は生きていていいのだというメッセージを受けとる・・・」
それでわかった気がします。

『国のない男』わたしは知らなかったので読んでみます。金原瑞人訳なんですね。
私、青年期に彼に会っているんですが、彼の方は覚えていないでしょうね。

『スローターハウス5』、賭けてもいいけど勝沼さんのお気に召すと思いますよ。

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産経新聞が「村上春樹氏にノーベル文学賞」との誤報を配信し、7分後に撤回したそうだ。
わざとだったら面白いなぁ。
誰かが書いていたけれど、「流行作家賞」なら文句なく受賞なんだろう。それで良いのではないかしら。

「文学賞」にしたところで、川端康成と大江健三郎がそれぞれの時代の最高の作家だとは、僕には思えないもの。

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1993年の今日、ロシアのエリツィン大統領が来日、宮中晩餐会でシベリア抑留問題に関し、それまでになく真摯な謝罪を述べたという。

中韓の謝罪要求に対して、正直なところ「何度、いつまで、謝罪を繰り返せばいいのか」と暗い気もちになる自分がある。ならば相手が謝罪したことについては、きちんと受け止めて評価できなければいけないだろう。

水に流して忘れるというのではない。人が人に対していかに酷いことを為し得るかの証拠として、記録は伝えていかないといけない。
ただ、今は僕らの過ちを彼らが記憶し、彼らの過ちを僕らが記憶する。次の段階では、それぞれの過ちをそれぞれ自ら記憶するようでありたい。

innocent な民族、pure な国家など、どこにもない。人は集団として振る舞う時、必ず悪事を働く。それを抑止するためにこそ、制度が要る。